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『長嶋少年』

僕には友達ではなく盟友という人が一人いる。

小学校の時の友人のYだ。Yは僕の小学校時代の一番のガキ大将だ。ドッチボールと腕相撲は誰よりも強く、Yは小学校の時から競馬にハマっていた。

小学校の 卒業式。

僕たちは保護者や在校生の前で一人一人これからの抱負を語るというイベントがあった。

「中学生になっても友達と仲良く、勉強頑張ります」「部活頑張ります」とか小学生のありきたりな発表が続く中で、Yの順番になった。 Yは4クラスしかない学年の6年4組で出席番号も一番最後。この学年の大トリだった。 

全生徒、そして保護者がYくんが何を喋るかと固唾を飲んで待っていたら、 Yは「歌います。長渕剛で『トンボ』」と言い、ギターを持ち出して熱唱したのだ。

Yは卒業式を自分のリサイタルにしたのだ。

何ともスケールのでかいYであるのだが、僕はYとは学校で遊びはするけども、住んでいる家も遠ければ、性格もタイプも違う。小学校の間は仲が良いというほどの間柄ではなかった。

月日は流れ、20歳。 

僕は大学を辞めて、教師になりたいとアルバイトと受験勉強をしていた時だ。

僕は家の近くの予備校の自習室を使って大学受験に向けて勉強していた。年齢的に2浪という事もあり、勉強を一緒にする友人はいなく、一人孤独に勉強をしていた。

その自習室の中に一人だけ、眼光鋭く、一心不乱に勉強をしている猛者がいた。顔つきからも年齢は僕以上だろうと想像したし、勉強している姿勢から一人鬼気迫るものを感じていた。

ある日、自習室でその彼が僕に近づいてきたのだ。 何か悪いことして、怒られるのかと思ってビクビクしたのだが「古屋だよな?」と声をかけてきたのだ。何で自分の名前を知っているのかと思ったら 「俺だよ、Yだよ」 と。

卒業式で長渕を熱唱して以来のYとの再会が、予備校の自習室だった。 

8年ぶりの再会で僕もYだと信じられなかった。顔つきが変わっているとかよりも、あのガキ大将だったYが勉強していることに想像がつかない。 

勉強を中断して、お互いにこれまで経緯を話し合った。 


Yは高校時代、学校にもほとんど行かず荒れ狂っていたそうだ。バイトしてそのお金をパチンコに使って、パチンコに負けてお金がなくなったら午後から学校に行って、という生活をしていたらしい。

しかし僕たちが高校3年生の時に新潟で大きな地震が起こった。 

Yは高校生の時に車の免許を新潟の合宿で取得していたらしく、新潟で地震が起こった時にお世話になった新潟の人たちを思い出したらしい。

そして新潟での恩を返すため「俺が助けに行かないといけない」と感じたそうなのだ。なんとも義理人情に厚い。

しかし、ここで学校を休んで新潟に行ってしまえば留年決定になると先生にも言われたのだが「オレなんかのクソみたい一年が伸びるより、新潟の人たちの今の方が大切だ!」と先生の制止を振り切り、原付バイクで新潟ボランティアに行ってしまった。

長渕を熱唱していた男気は高校生になっても変わっていなかった。  

新潟では瓦礫の片付けなどして新潟の人たちのためになれたと充足感はあったようだが、これで留年が確定したと、失意のもと高校に帰ってきた。

しかし高校の先生たちが休日返上でYのために特別授業をしてくれてなんとか卒業をさせてくれたそうだ。

卒業してからも、バイトをしてお金を稼いではパチンコするような生活を続けていたのだが、そんな生活をして一年経ってYの母親がガンになってしまったらしい。

母の容態を見ていて、自分このままの生活していたら、親不孝でしかないと感じたらしく、しっかりと立派な姿にならなければとYは決意した。

その時に、留年を救ってくれた高校時代の先生の顔が浮かんだようで、自分も学校の先生になろうと決め、大学受験の勉強を始めたとYは語ってくれた。

僕も教師になりたいと大学に再受験したいと思っていたので、Yと同じ志し、これから一緒に勉強しようと誓ったのだ。  


真っ当な人間になろうと、目標を掲げ目指すのはいいのだが、Yは今まで勉強をしてきた経験がなく、勉強に関してはずぶの素人だった。  

予備校の授業。

Yは気合いは十分にあるので、一番前のど真ん中の席を陣取って先生の話を聞いた。 先生が「ノートは小さく書くのではなく、大きな字で分かりやすいように書け」とアドバイスをしてくれた。

Yは先生の指示通りにしようと思って、油性の極太マッキーを買ってきて、ノートに板書を極太マッキーで書いた。

ノートが次のページにいき、ページをめくったら、今まで書いた文字全てが次のページに色移りしていた。 

「初めての授業で勉強したことは、勉強する時にマッキーは使えないという事だ」 Yはそんな話をしていた。


そんなYが目指す大学は「早稲田」。Yの性格上一度何かやると決めたらとことんやらないと気が済まないらしい。そういうところも昔と変わっていない。  

「教科書を暗記すれば大学に合格できるんだな!!!」と、家の大黒柱とオレをこのロープで縛れと言い、Yをロープで柱に縛ると「全部を覚えるまで寝ない!」と宣言して、柱に縛れらながら教科書の音読をしていた。

寝た方が効率がいいよ…といっても全く耳を貸さなかった。  

しかし、やる気だけは十分にあるのだが、受験間際になってもYの成績は全く伸びていなかった。

そしてYが急に自習室にも来なくなった。心配して電話をしてが繋がりもしなかった。どうしたのかと思っていたら、受験間近になって携帯を使ってしまう時間が勿体無いと2階の自分の部屋の窓から外に放り投げていたらしい。何もかも、やる事のスケールが違いすぎる。 

そして受験が終わった。

お互いに結果報告のために居酒屋に入った。 

僕は無事に第1志望であった埼玉大学に合格した。 

しかし、Yは浮かない表情をしていた。受験した早稲田はもちろん不合格のこと、日本大学や国士舘大や帝京大学など、しっかり実力が出せていれば合格したであろう大学も不合格だった。 

「もう一年勉強し直す」とYは悲しげに言っていた。

だがこの一年間Yはロープで柱に身体を縛り、携帯を窓から投げるまで勉強をやり尽くしていたので、もうこれ以上受験勉強をやっても伸び代はないだろうと思った。

不器用ながらも全力で勉強していたYを見ていたので、Yの不合格に対して、なんて声かけていいか分からなかった。

僕も黙りこくっていたら、Yは「嘘だよ。法政大学合格したよ」と言ってきた。

Yは僕に対して不合格ドッキリをかましていたのだ。

僕は涙が流れてきた。

自分が合格した時は涙なんて流れなかったのだが、Yが無事に合格してくれたことが嬉しかった。あのYが柱に縛られながら勉強していた事が報われたのだ。他人の人生がうまくいったことで涙を流したことは初めての経験だった。  

Yは法政大学に通い、無事に卒業し教員免許も取得し、現在は専門学校で教師をしている。

このまま教師として落ち着くのかと思っていたが、最近、昔のチャレンジングだった自分を懐かしく思ったらしく、教員をやりながら新たな教員の形やビジネスを模索しているらしい。 

これからYがどんな壁にぶち当たろうと、僕はどこまでもYの人生を応援したいと思う。  

「長嶋少年」は長嶋茂雄に憧れる野球少年のノブオを描いた小説。僕はこの小説をスタバで読んでいたのだが、周りの人の目を憚らず号泣した。どんな境遇だろうと歯を食いしばって立ち向かうノブオ。ずっと応援し続けたくなる人生に触れ合えます。




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