時間のない世界
サマーディという言葉があります。
仏教における禅定(ぜんじょう)、ヒンドゥー教における瞑想において、精神集中が深まりきった状態のこと。
調べてみるとたいがい瞑想の状態の事とありますが、絵を描いていたり音楽を演奏していたりすると、なんだか描いている間や演奏している間を覚えていないような、そういった集中しきった状態というのがあります。これもまた同じサマーディと思われます。
『Shine』という、あるピアニストについての映画があるのですが、この時間が止まった感じがとてもよくわかる映像があります。
こちら。ラフマニノフのコンチェルトを弾いているシーンです。
あ…これいまサマーディ中だな…よくわかる。時間の流れが違っていることが表現されています。
曲の途中で、いきなり水中にいるような音。そして気づけば拍手喝采の中に彼はいる…
仏教ではこのサマーディにも注意が必要だと説いている。気持ちいいので耽溺したり執着がでちゃうんですね。
私も絵を描いたり消しゴムはんこを彫っていたりするときとそんな状態になるのがわかります。フワフワ~ときもちいい。楽しい。
思うに、集中しすぎると頭の中にブラックホールができちゃうんじゃないかと。こんな風に仮説を立ててみました。それが今日の絵です。
絵に集中してたら、ホットコーヒーがアイスコーヒーになっちゃったよ!
わたし、よくやるんですねー。
絵を描いた後、飲むのはいつも冷たくなったコーヒーなんですが…なんか幸せ。
猫ちゃんは「頭の中にブラックホールができたんだね~重力が大きい場所は時間が遅くなるから」と解説。
時間がたっていない分、人より少し若いのかしら…(笑)
ついつい夢の世界を浮遊したくなりますが、それでも現実に生きています。
気づきの瞑想はこういうフワフワしてる感じにも向いていて、とくに歩く瞑想や手動瞑想、よく噛む…これも瞑想になるそうです。これらのタイプは体を使うため、こちらの世界に戻ってきやすい瞑想だなと感じてます。
サマーディの幸福感は逃避のためには行わない。そうすると現実が苦しく感じられるからです。
気づきの瞑想を経て感じるのは、サマーディはむしろ現実を豊かにするためにあるものなのかも…逃避としてではなく、サマーディをそのまま喜びとして味わう。そうすると、現実もまた喜びとして立ち上がってくる。苦しい現実の苦が消えて、サマーディ同様味わうものとしてそこにそのまま、ある。
木々が美しかったり、空の雲はいつも変化をして飽きない。
無常は無常のまま、美しいなと思う。
私なりにサマーディで描いた空。
巧くはないかもだけど、旨いかな(笑)
味のある絵で私は好き。
そんな気がする今日この頃なのでした。
☆まるっ☆
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