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ウィズコロナ期は「役に立つ」と「意味がある」、どっちが有利なの?

  自宅生活を余儀なくされるウィズコロナ期は、「役に立つ(機能)」と「意味がある(世界観)」、僕らはどちらを武器にしていくべきなのでしょうか?

 コロナ以前、(少なくとも個人にとっては)「意味がある」戦いが優位でした。機能(役に立つ)領域は、大資本や既存プレーヤーがすでに上位を占めていて、付け入るスキがほぼなくなっていたので。

 そこに新型コロナウイルスがやってきました。僕は、今回のコロナ騒動は、ガラガラポンになる可能性が高いと思っています。優位だったプレーヤーが振り出しに戻され(むしろマイナスまで?)、全員がまたゼロから再スタートをさせられる状況です。

 こんな100年に1度起きるかどうかのガラガラポンでは、「役に立つ」と「意味がある」どちらの戦法が優位になるのでしょうか?

 今日は、いくつかの切り口からこれから起きそうなコトを書いていきます。 ちなみに、twitterでアンケートを取ったところ、意味がある(アート)の時代と答える人のほうが若干多い結果になりました。

機能とは文明、世界観とは文化である

 まず、「役に立つ(機能)」と「意味がある(世界観)」の関係性について、整理しておきましょう。簡単にいうと、両者は振り子のように往ったり来たりしています。「役に立つ」時代が主流になったと思うと、「意味がある」がトレンドになる、これを繰り返しているんです。

 歴史を俯瞰してみると、「役に立つ」と「意味がある」この関係性がよく見えてきます。こちらは水野学さんの文章です。

 15世紀半ばから大航海時代が始まって、まずは文明が進んだ。かつてなかった距離を移動できるようになったり、便利さや機能が優位になったんです。そうした文明がある程度まで進むと、文化が後追いする。そこで16世紀になるとルネサンスが起きています。日本では同時期に安土桃山文化が花開いて、世界規模で文化の時代になったんでしょうね。文化の時代が長らくゆったりと続いたあとで起こったのが、18世紀後半の産業革命。

 そのあと文化の揺り戻しとしてアーツ&クラフツ運動が興って、それは今でもゆるやかに続いていると思います。文明がまず進んで、それを文化が後追いして広がる。歴史がその繰り返しだとしたら、今は次の革命というタイミングです。これを第3次産業革命という人もいれば、第4次という人も、デジタル革命と呼ぶ人もいて、いろんな言い方がありますが、僕は「網業革命」と呼んでいます。網の業、つまりネットレボリューションです。ウェブの登場で「文明」がギューンと伸びて、伸び切りつつあるから、そろそろ「文化」の出番になってきているんじゃないか──そんなことを、いろいろなところで話しています。

「文明=役に立つ」で、「文化=意味がある」と言い換えることができますね。そして企業は、「役に立つ」と「意味がある」の分かれ道に立っている、と。

 水野さんが言うように、「役に立つ=文明」で、「意味がある=文化」なんですね。そして両者の関係は、下の図のようになります。

図6

 まずは、文明が土台として存在し、文化が文明の上に築かれる。先に明確な機能が出来上がり、文化・慣習が後追いする、「役に立つ」と「意味がある」はそんな構造的な関係で繋がっています。 

 今回、なぜこの関係性を紹介したかというと、「コロナ騒動は、文化を壊したのか? それとも、文明そのものを根こそぎ破壊したのか?」という視点がなによりも重要だと思うのです。

 「破壊とは、創造の始まり」と言ったもので、壊れた部分によって「役に立つ」と「意味がある」どちらの時代になるのか、決まってくる。そんな気がしています。

 ちなみに僕は、新型コロナで生活様式が変わらざるを得ないこともあり、「役に立つ」時代に戻っていくのではないかと想像します。

さて、あとはいくつか、別の視点でも見てみます。

視点①:不況になると、お金は「役に立つ」に向かう

 今はまだ感染症拡大の話題で持ち切りですが、あと数カ月もすると大不況が来るはず。それがどれくらいの規模なのか?、もはや想像もできません。それくらい大きな不景気が来ます。

 「意味がある」コト消費って、あぶく銭から生まれるものなんですね。アート作品に高値が付くのは、いつもバブル絶頂の時です。

 逆に景気が悪いと、「意味がある」消費は後回しになります。自分が投じたお金がどれだけのリターンを見込めるのか? いわゆるコスパが重視されるわけです。

 「意味がある」消費って、つまるところ贅沢なんです。移動のためにフェラーリを買ったり、写真を撮るためにライカを選ぶ行為は、お金に困る不景気では、かなり少なくなるのではないでしょうか。

視点②:不便の解決は「役に立つ」サイドから生まれる

 今コロナ騒動で、たくさんの「不」が生まれています。この不便、不満、不便を解決するのは、「役に立つ」サービスです

 リクルートの事業開発の起点が「不の発見」だ。リクルートにおける「不」とは、「不便」「不満」「不安」など、あらゆるネガティブな概念の象徴。消費者、企業・事業者、産業や社会などに、大きな「不」が存在するのであれば、それを解消するためのイノベーションが求められ、その実現にはビジネスチャンスがあるという発想だ。

 不安の解消に、文化的なアプローチもあるのでしょうが、まずは「役に立つ」サービスが真っ先に増えるはず。単純に、家から全然出られないのって不便じゃないですか(笑)

  新コロ対策で新しいテクノロジーが生まれるというよりは、既存ITとアイデアの掛け合わせで、面白い「役に立つ」サービスが出てくるんじゃないかなと考えています。

視点③:本質的には、「意味の時代」なのかもしれない

 3つ目は完全に僕の持論。ウィズコロナ期は「意味がある」、厳密にいうと、「意味を自ら作り出す」ことが何より重要になると思います。

 「役に立つ」「意味がある」消費はどちらも、人の自由度が高いときに成り立つもの。自宅待機を求められると消費の選択肢はこれまでの10000分の1以下でしょう。

 ウィズコロナ期は、飯を食うには困らないある一定水準を超えると、100億円をもつ資産家も、僕みたいな一般会社員も、娯楽のレベルが一緒になります。だって、家の中にしかいれないんですから(笑)

 1本100万のロマネコンティを仲間と味わうこともできなければ、彼女とプライベートジェットでモルディブに行くこともできません。 

 ウィズコロナ期にやれることは、自分の人生に意味を見出すこと。全員が等しく自宅待機を命じられているいま(※医療従事者や生活インフラを支える方には頭が上がりません。)、「自分にとって大切な人・モノ・コトは何か?」を問い、日常に意味を見出せる人こそが価値の高い人なんだと思います。まぁ、これはコロナ関係なしに、いつでもそうではあるんですが。

まとめ:基本は「役に立つ」路線が優位なはず

 本日は、ウィズコロナ期は「役に立つ」と「意味がある」、どちらの戦い方が有利になるのかを考えてみました。

 僕は「役に立つ」が優位だと思います。不況が来てコト消費に歯止めがかかること、そして何より、コロナのせいで「大量の不便・不満・不満」が生まれており、人の「役に立つ」余地がいくらでもある状態です。

 ビジネスの本質は困りごとの解決。コロナは国難であり、多くの人が窮地に陥っていると思いますが、誰かの悩み事を解決する、そのための手段をビジネスの昇華させる、そんな視点が重要なのではないでしょうか。

 本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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