見出し画像

夏休みの終わりとともに生まれる感傷

まだまだ暑さは続いておりますが、「ツクツクホーシ」という鳴き声に、あぁ夏もあともう少しなのかな、と。
照りつける陽射しは容赦ないけれど、風はどことなく涼しくなってきたような、、、そして足元には蝉の亡骸。R.I.P.

そういえば、富山では蝉の声の記憶があまりなかったな、どうしてかしら。

小中学校の短い夏休みも終わって、もう学校が始まっているのですね。イベントごとも全然なくて、どこかに行くにも躊躇してしまうような、ただただ暑かっただけの夏であっても、過ぎ去ろうとしてゆくのを感じると、やはり感傷的になるのはわたしだけ?
コロナ以外はというかコロナのせいでなにもなかった歴史的な夏のことは、後世、どんなふうに語られるのでしょうか。

あと一か月もすればこの暑さもウソのような日々になるのだろうけれど、とにかく今年は予想もつかないことが次々起こっているので、その頃自分はどうしているのか、世の中はどうなっているのか、ちょっぴり怖いような気もします。とりあえず平穏であってほしいな。もう多くは望まないからさ。

そんななか、ちょっと忙しいのが復活してきて、それはそれでよいのだけれど、まだ気持ちと体が追いついていない部分もあるような。8月終わりのこの時期に〆切に追われていると、夏休みの宿題を最後の最後までなかなか手をつけられなかった昔の自分を思い出してしまったりしてね。

「こんな時期だけれど」「でもお仕事があるのはありがたい」という気持ちがまぜこぜになりながら、新しい日常がまだ全然“日常”になってないわたし。いざ、何かすることになると準備だったり段取りだったりをちゃんとしておかないとなんとなく不安を感じるようになってしまいました。今まではぶっつけでもへっちゃらだったのになぁ。

さて、明日はまた少し東京を離れて(といっても隣県ですが)某高校でのお仕事です。どうしてもオンラインとかデジタルではできないことなので出かけてゆきますが、きっと炎天下でなかなか厳しいことになりそうです。自分の体力もちょっと心配。しかも久しぶりの5時起きなので早く寝なくちゃと思ったらもうこんな時間!

ほんとうは例の新幹線での話の続きを書いておきたかったのですが、さすがにそこまでの時間はとれそうにないので、体力温存します。
またJRに乗る(新幹線ではないけれど)ので、なにごともありませんように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?