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世界で最も救われないのは、既に救われている人間だ。
なんていう戯言を、いつか誰かが言っていた気がする。本当に救いを求めている人には怒られる理屈かもしれないけどさ。
でもなんだか分かる気がする。
私の視点からは納得してしまうんだから、人の数だけある真実のひとつであることは確かだ、誰にも文句は言わせん。
毎日「しんどいなあ」と嘆きながらも「何が」と問われると言葉に詰まる。
仕事が辛い?そりゃあまあ辛いけど。でも、ずっとやりたかった、今でもやりたい仕事をやっていて、人間関係はまあまあ普通に良好で、福利厚生だって基本は充実していると思う。
性格とか容姿とか、コンプレックスの塊 ながらも、特段飛び抜けて消し去りたいという部分も実際特にない。凄く良いということは無いが、どちらかといえばプラスの印象で捉えてもらえることの方が多い雰囲気ではある。それで程々に得をしてきた人生だった。
金銭面だってかなり恵まれている方だ。
幸いなことに、食事にちょこっと贅沢をプラスオンしながら生活するくらいの余裕はもっている。
何をどう考えても、これ以上救われる要素がない。あると豪語するのであれば、それはただの傲慢だ。
でも、それでも人間だもの。
なんだかんだ、しんどいことは尽きない。
仕方がないじゃないか、心は多分、そういう風にできている。
だからせめて、救われている先にある救いは、他人ではなく自分に求めろよと、そう在りたいと思っている。社会は幸せな人を理不尽に救ってくれるほど暇じゃないらしい。
自分で選んで美味しいものを食べる。
それは、ある意味で自分を救うために求めた手段なのかもね。別にそんな難しく考えずとも普通に楽しめば良いとは思うのだけれど、たまにはそういう風に捉えて敢えて考えてみるのも良い。
ANAインターコンチネンタルホテル東京
ブリュワーズ コーヒー&バー
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六本木一丁目駅に行こうと思ったら間違って六本木駅着いちゃって。なんか、それは少し久しぶりだよな、と思って。六本木方面に向かう前に、ホテルに立ち寄ってみた。
このカフェは行ったことなかったよなと思って入ってみた。なんとなく、そんな感じに流されていく。
定番にチーズケーキが良いかなと思った。
苺タルトの方が可愛くて写真映えはするだろうなと思った。
でもさ、やっぱりナッツって美味しくて美味しくて…引かれちゃうのよなあ。
ゴツゴツごろごろ!め〜っちゃ地味な茶色の塊!!
なんかもう一周まわって悶絶する可愛さだ。見れば見る程にじんわりツボ。芸術ってこういうやつのことを言うのだろうなと思う。
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ガリッゴリッ、やっぱり目立つ、大きなナッツの食感。苦味も含んだ香ばしさが、じんわり濃厚にぶわっと広がって、苦味はいつの間にか深い甘さになっていて…その充実した濃い味わいは、ひとつの幸せの形を象徴している気がする。
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そういえばピーカンナッツかペカンナッツか、その呼び名の正しさはよく分からないのだけど、その圧勝のキャラメリゼは、アーモンドプードルのギュッとしみしみ濃厚しっとり生地とでも言えば良いのか、とにかく王道に結婚している。相性が良い。こんなにも重たい味わいが、こんなにもパクパク進んでしまうだなんて、どういう了見だ!シェフを呼べっ!!
それとコーヒーとも最強に合うんだよなあ。力強い存在感の強さが途端に静かになって、弱まるではなく、パズルのピースがカタッとはまったかのように落ち着く。
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ナッツだから美容にも良かろうとか言い訳しながら食べるわけだけれど、まあ非常に罪深い味わいではある。茶色だもんな…茶色って大概美味しいし有罪なんだよ仕方がない。
囲う生地がパリパリ軽やか系なのは意外だったけれど、それ故にずっしり重たいはずの味わいに食べやすさの躍動感が生まれるし、何よりも更に珈琲に合うのだ。めっちゃ交互に食べて飲んでした。
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星屑の揺らぎを切り取ったような世界を映した珈琲は素敵でしょう?
光を包み込み携えた緑色のガラス瓶というのもまた、大変にときめいてしまう。
お酒メニューもあったので、どうしようかなと思ったけれど。なんかもう、選んだケーキと珈琲が綴る完結したひとつの世界に満足してしまって、それ以上の追加は野暮でしかない。
自分は幸せなハズなのに、そういう環境に身を置かせて貰っているのに、辛いなんて思うのは傲慢じゃないか。
そんな悩みを抱えた人を案外ちらほら見かけるなあと感じる。
そりゃあ、辛いのなんてマジで当たり前すぎる。
「悩みがないことが悩み」だなんて巫山戯た…でも案外的を射ている言葉が生まれるくらいだもの。
「辛いとちゃんと自分の感情を認めることができた。ウルトラ偉すぎじゃん、ケーキ食べよ♪」くらいのメンタルで生きていい。
もちろん外の力を借りて救われるべき人だって沢山あるのだから、そこは見誤らないで欲しいのだけれど。
ただ、「誰も救いの手を伸ばしてくれない」と嘆いているよりも、ちゃちゃっと手近なところから自分で自分を救ってみる方が、案外早いのではという気がしている。
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