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カフェ巡り好きの、カフェが嫌いな話

カフェが嫌いだ。
なんて――、これまでnoteでもtwitterでも何百とカフェ巡りへの愛を叫んできた私が言えるはずも思えるはずも無いのだけれど。
いつかこれは、書かなくてはいけない、いや書きたいと思っていた。

たくさんのカフェ巡りの中で感じた、ちょこっと嫌なモヤモヤ。
それでも好きである為に心掛けていること。


カフェ巡りは楽しい。
様々なタイプのカフェを巡り歩き、大概の「あるある」は経験してきた自負がある。その楽しさを沢山知っている。100個くらいは簡単に挙げられそうだ。

だからこそ、自分の中で支えきれなくなったスキの気持ちを、noteに吐露していた。

私のイイネのハードルは、普通よりも低い。
このことは長所であると同時に、コンプレックスでもあった。

「これは美味しくない。あっちの方が良かった。その接客は何だ、酷い」
不満を語る人がいる。
批判自体が目的となっているのは論外だけれど、愛やこだわりがあるために出てくる不平もある。
否定が苦手で何でも褒めちぎってしまう私は、それを少し羨ましくも感じた。

とはいえ積極的な色々のカフェ体験において、やっぱり私のような何でもイイネの姿勢が一層たくさん楽しめる。
そう思うからこそ、より楽しむ為に意図的に何でもイイネを強化している面もある。

意識しているのは主に2つ。
・比較しない
・良いところを見る


比較しない。

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世界的パティシエの高級デセールからコンビニスイーツや地元民に愛され系カフェまで、同様に賞賛した。
これを同じ土台で比較してしまったら、そりゃあ高級デセールの方が美味しいと言いたい。もちろん好みの問題で「いやコンビニスイーツの方が美味しいよ」「カジュアルな雰囲気の方が居心地よいし」という人も多い。
ともあれ比較は、今の幸せを生み出さない。

「もっと良い」は必ず存在する。
~の方がよかったのにな。それは今への不満。

「もっと悪い」もきっとある。
~よりはマシ。それは過去の記憶や誰かの存在を貶める。

更に言えば、「良い」「悪い」とは美味しさを指すのか。はたまた価格や雰囲気を意味するのか。そんなベクトルの話まで絡ませて比較をするのであれば、本当にもう「今が一番」なんてことはほとんどあり得ない。

比較はしない。
「今ここ、この瞬間」を全力で楽しむ。
それが幸せのコツだ。


良いところを見る。

言い換えれば2つ。
「良い方にとらえる」「悪いところは見ない」。

例えばホテルの洗練された接客に慣れると、大衆的なカフェでアレッと感じることがある。
店員さんが常連客とのおしゃべりに夢中で注文のタイミングが難しかったり。水のコップを音を立ててガンと置かれたり。仕事がつまらないのか店員さんの表情がやたらと死んでいたりとか。

そういうことは「嫌だなあ」よりも、お店の個性として「ふふん、こういうお店もあるんだな」と楽しむ。
アニメや漫画で登場する冒険者ギルドの酒場などを想像すると、ああいうところで丁寧なかしこまった接客とか、むしろ気持ちが悪い。
自由な弾けた感じが、たまらなく良いのだ。

「優柔不断」を「思慮深い」と言うように、「飽きっぽい」を「好奇心旺盛」と言うように。チラリと感じた違和感を、自分が好きだなと思える方に言い換えると好きになれることって、カフェ巡りにおいても結構多い。


それでも、どう言い換えても「嫌だな」としか思えないこともある。
そういうことは、見ないにかぎる。

例えば虫問題。
そこに良い香りを醸しだす食べ物があるのだから、自然の摂理、虫というやつは寄ってきてしまう。これはどんなに高級店だって起こりうる。
最悪、食べ物に付いてしまうことも。
気づかないうちに他の部分も歩いていたかも…という想像は捨てて、見えてしまった部分だけ切り取る。

切り取りで済めばマシなのだけれど、悲しいかな、ドリンクに入ってしまうこともある。そこそこお高いワインに虫が入っていたことが、3度くらいはあった。あれゴミかなと気になってスプーンですくったら、スプーンから生きてるやつが飛んで行った...とか。ひいぃぃ!!!

お店のせいというわけでもないし、なんだかクレームみたいで、1人の時には泣く泣く我慢する。
だからといって、そのお店のことを嫌いになったりはしない。
嫌なことがあった分、他の良いところを全力で探して感じて、良い記憶で塗り潰す。

ただ、皆が見なかったことにできるわけでもない。
一緒に来ている人がそういうのを気にする場合、お店の方に言うのを止めることはしない。

「嫌なこと」の話題で具体的な店名は出すまいと思っていたけれど、まあ海外だしここは良いかな。
ハワイの高級レストラン・ハレクラニ。

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味も美味しくて、雰囲気も接客も最高で、滞在中2日連続で行った。
テラス席だから虫がいるのも尚更仕方が無い。
オムレットに小さな虫が付いてしまって、せめてフォークは取り替えて欲しい、とお店の方を呼んだ。すると超謝罪されて、オムレットを焼き直して改めて提供してくれた。なんだかもう、こっちが本当に申し訳ないのだけれど、でもその丁寧過ぎる接客に、いっそうお店のファンになった。
次にハワイに行った時も、絶対このお店に行きたい。

パンケーキのお店とか期待していたわりに日本のお店の方が美味しくて。
ハワイで気に入るお店に中々出会えないでいた最中、ハレクラニは本当に素晴らしかった。

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さ、さいこー...。


異物混入なんかも、まあそれはお店の責任ではあるものの、飲食業ではどうしても発生することだ。
私はズボラなのであまり気が付かないし、気が付いてもきっと見なかった事にしてソッと除ける。
しかしやっぱり気になる人はいるようで。
「これ、絶対まつ毛!ココめくったらあったのよ、最初から入ってたに違いないわ。これは、言ってもクレーマーじゃないわよね!」
いや...十分クレームだと思うけどな……。
ただまあ、お店の方には申し訳ないけれど、一緒にいる人の方が大事なので好きなようにさせる。

隣の席がうるさくて...というのも、私1人なら「色んなお客さんがいて楽しいなあ」くらいに捉えるのだけれど、嫌がる人がいるのも事実。

自分なら許せる全然OK、でも相手にとってはNG、ということが結構ある。

カフェ巡りは確かに楽しいけれど、そういう色々なことに気が付いて見逃せない人には少し合わない趣味なのかもしれない。


「悪いところは見ない」をもう少し言い換えて、「寛容になる」ことも大事かもしれない。
どんなお店にだって必ず新人さんはいる。

小さな声でたどたどしい接客。
説明を上手く言えてなかったり。
会計をやたらと失敗して時間がかかったり。

そういうことに苛々する人もいるだろうけれど、私はバイトで同じような経験をしたこともあるし、「頑張れ」という気持ちでゆっくりと見守る。


あるいはメニュー写真にあるパーツが明らかに1つ忘れられている、とか。
お店の名前が書かれたプレートが逆向きだよ、とか。
その辺りもクレームを唱えて気分を害するよりも、「まあそんなこともあるよねハハハ」くらいに捉えて「美味しい」の記憶でいっぱいにさせる方が幸せだ。

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最近整理できていなかった写真たちをフォルダに分けているのだけれど、改めて、凄い数だ。

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パフェを食べることが特別に多いので分けてみたのだけれど、それだけでも100は余裕で超えている。

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写真を綺麗に撮って感想を残すようになってからのカフェ巡りの記憶はかなり鮮明で。写真を見ただけで、どんな気持ちでそのお店に行ってそのメニューを選んで、どんなに感動したのかを思い出せる。
そこには確かにモヤモヤとした気持ちも織り交ざってしまう。
しかし全体的に、幸せ色であればいいなと思っている。
だから、嫌なことがあっても幸せな記憶を合わせて引き出しにしまっておくのだ。

「カフェ巡りは楽しい」をずっと語ってきた。
けれどきっと、世の中で本当に「楽しい」だけで全て完結してしまうことって無い。ある、というのなら、それはまだ沼の浅地かもしれない。
嫌なところもあることを理解して、それも含めて付き合えるようになって、それでも楽しいと言えるのなら、それが「好き」ってことなのだと思う。

私はやっぱり、カフェ巡りが好きだ。

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