見出し画像

迷走しながら、今日もなんとか生きている

隣の芝が青く見えすぎる。

私はどちらかと言わずとも普通以上に恵まれているなあとは思っている。

ドラマで見るように日常茶飯事でお客様や上司や周りの誰それに理不尽に罵倒されて自分を認めてくれるひとなんて1人だって見つからなくて…なんて世界には全然生きていなくて。

幸せなはずなのに、えーと、なんだ。上手くいっているはずのことすらも失敗してしまったように感じるし、だからこそ一層、失敗してしまったら凹むし。
自分を否定することに、慣れてしまった。


「生きてるだけでえらいよ」という曲のこのフレーズが、ほんんとそれな、という感じ。

"聞いて、私ね、誰にも言わなかったの 言えなかったんだけどさ
なんか、言っちゃったらさ、こんなの大したことないみたいな感じして
みんなもっと辛いし、ほら、世界とか見たらさ、食べるものとか 寝るとことか困ってる人だっているわけじゃん
そういう人たちと比べたらさ、私すごい幸せじゃん
でもさ、そういうことじゃないのよ なんでかわかんないけど、なんか"

いや本当に…自分でもちゃんと言葉にできるほどちゃんと分かっているわけじゃないんだけど、ただただ無性につらくて。そう思ってしまうこと自体に自己嫌悪して。抜け出せない悪循環だ。


一人の時にはまさにその通り、全く動けなくて泣いてしまうこともあるけれど。
でも人前では、ちゃんと笑えているだろうか。
実際不器用な部分はありすぎて大マジに上手くいかないことも多いんだけど。それでもキャラとしては、ちゃんと少しは私の思う私を演じられているだろうか。


誰かと一緒に、そうやって少しだけ明るくなれた自分でいる時間は、好きだ。罪悪感と羨望と嫉妬と引け目と…そういうふと過ぎってしまう感情の蓄積に後で刺されることになるのだけれど。それでも、好きだなあと思う。

でもなんか、やっぱり怖いしさ。

だからかもね、一人で過ごすカフェ時間がちょうど良い。本当に独りでいるときよりも、シャンとする。知った誰かと一緒にいるよりは、自分の心に正直に在ることができる。全く知らない人との接点のない距離感で生まれる空間が、私にはちょうど良い。


但馬屋珈琲店

あぁ、ほんと好き。
カップもお皿もケーキも全てのセンスが好き。
わりとカジュアルに入れる雰囲気ながら、世界観はガッツリ喫茶店。ケーキの味はもう絶対おいしいし、見た目も非常に工夫されているし、珈琲だって間違いなく美味しいし。店員さんの接客もお客さんの雰囲気も素敵だなあと思う。それでいて、格段に高いわけでは決してない。

自信を持って人に推したいお店だ。
まあ街が限られてるから、そんなに人に話す機会もないんだけどさ。

いまや王道だけど外さない、ピスタチオとグリオット!もうね、色が美しい。王道って言ってもまだまだピンクと黄緑の組み合わせには珍しさのようなものもどこか感じていて。ただそもそも果実としての苺やチェリーを考えると、確かに赤と緑は自然な相性なのだ。

そしてこのケーキで言えば、トップのクリームの形がめっちゃ可愛いし、大きく見える濃い果実の赤が華やかだし。

テクスチャーの単調過ぎない見た目が、ナチュラルというのかな。親しみやすい上品さで、好きだ。

めーっちゃゴロッと、果肉が瑞々しく弾ける。見た目以上だ。弾け溢れる果汁の酸味は、ケーキの印象をぱあっと華やかにする。ピスタチオの甘やかなコクもしっかり感じられるし、しっとりなめらかジュワッとした底の生地とも自然な調和を生む。

至福の極み。
食べる度、好きなお店だなあと腑に落ちる。

そういうことがひとつの、私らしさ、なんだろうか。

よい時間。

時間に追われている。
追われながら、特に生産性のない自己嫌悪の時間が長いし、かといってすんなり消えるわけでもないし。

だからこそさ、生産性がなくても自分を少し好きになれるような、外でシャンとできる自分の時間をもつことも、やっぱり忘れないでいたいなあと思う。

自分の好きが沢山詰まった空間でなら、ほら心理学のなんちゃら効果とかで、うっかり自分も好きだと錯覚できるかもしれないしさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?