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自分に気持ちは自分が分かっていれば良いね

私はそれを経験したことがないから、あなたの気持ちは分からない。

そう言われると、「そりゃあ…そうだろうさ、分かってたまるか」という気持ちと「想像すれば分かるでしょ、分かってよ」という気持ちがごちゃ混ぜになって、とても微妙な気持ちになる。モヤモヤする。イライラ、チクチクしてしまう。


気ぃ遣いだとよく言われる。そうかな?人から嫌われないように怯えているという意味なら、きっとそうなのかも。でも私の思う「気を遣える人」っていうのは、相手の為を思って動ける人だ。その差はふとした時に思いのほか大きくて、ほんと…本当にさ、自分が嫌になるんだ。

他人の気持ちなんて分かんないよ、当たり前じゃん。それでも私は、物分かりの悪い奴というレッテルをはられて敬遠されるのが嫌で、分かった風に振る舞う。

あれ…じゃあ変わらないか。「あなたの気持ちは分からない」と面と向かって言うあの人と、同じ。

分からなくても、分かろうとする努力が大事。という人もいる。それは綺麗ごとだとも思ってしまうし、けれどやっぱり事実だよなという気もする。気がしたい、それはひとつ、長く元気に生きていくための祈りみたいなものだろう。

結果、全然違う「あなたの気持ち」を分かったと思い込んで奇妙な認識の齟齬が不幸を生むことだってままあるのは確かだろうけれど。でも嬉しくない?近しい人が、自分に関心を寄せて歩み寄ろうと、理解してくれようとしてくれた事実、それだけでさ。

だから、最初から「分からない」と放棄しないでほしい。「分からないから教えて?」でも良い。何かひとつ、相手を理解する努力を。

…というのを押し付けることだって、それこそ相手のやり方、考え方を否定することだよなあ……なんて考え始めるともう矛盾の嵐でどうにも動けないのだけれど。だから、私自身がまず、人と接するときにそういう心持ちで挑みたいという、そういう話だ。


これも。
私は行きたくて行きたくてたまらなくて行ってきたのだけれど、「え…分からない」と一蹴されたやつである。

あんみつ みはし
パルコヤ上野店6月限定 パンダあんみつ

あんみつのお店で最も有名ではなかろうか「あんみつ みはし」、実は一度も行ったことがなかった。なんとなく、何故かずっと行くことができないお店だった。10年以上前から「いつかは行くぞ」と想いを馳せながらも「いつでも行けるよな」という気持ちが引っかかって…行けていなかった。何故だ…。

ぎゃわいい。可愛い。
バニラアイスに、まあ豆を2粒くっつけて、餡でちょこっと顔を付けただけなんだけどね。見事にパンダである。可愛い。

スッキリひんやりバニラアイスと一緒だと、甘い餡は非常にさらりと入る。食べやす過ぎて怖い。スイーツを食べているという感覚を失うくらい、身体にすんなり馴染む。

全体の配色も、こう…派手過ぎずに良くない?落ち着いた配色、少なめの色数、それでいて、鮮やかなところはポイントでくっきり目立つ。大変良い。
あと何度でも言いたいけどパンダ可愛いね。

若桃が、ちゃんと笹っぽく見える。色が良い。シャクッとした食感も心地よい。音も味わいも色も、どこか涼し気だ。

柔らかなお餅も、繊細なサラッと感があって不思議な愛おしさがある。なんだろう、ドドンと存在感ある白玉とは異なる良さがある。

あと、やっぱりパンダ可愛い。


パンダが可愛くてわざわざ食べに上野まで行ったことに「分からない」と言われたけど、「分かるでしょ!?!?」と怒りを込めて反論したくもなる。
この気持ちを「分かれよ」というのは押しつけで、かといって私が「私の感性と合わない人もいるんだね、分かるよ、うんうん…」と全部を飲み込むのもなんだか違う気もするし。

あぁ、これは拘って結論を求めようとしても無駄に気疲れしてしまう問いだな。そういうことは考え過ぎずに都度、なんとなくお互いにとって不快にならない帰結点に流していこう。


私が「可愛くて美味しくて尊い~」と思ってハッピーでした。
ー完ー

うん、今回はそれで良い。
それが全てで、正義の答えだ。

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