嘘は必要な悪であり~スターバックス~
空気を乱さない為に事実を言わない。
そういうことは、大人になると増えてくる。
いいや子供でも案外そういうことはあるもので、それが根付いて身体と共に成長してしまうのかもしれない。
自分を殺してまで、誰かに合わせた嘘をつく必要は絶対にない。
それがストレスに感じられるのならば、すぐにやめるべきだ。
…とはいえ、「仕方が無い」からそんな道化を演じているんだよね。簡単にやめられるものならば、とっくに即刻、すっぱりやめている。しかし誰にでもそんな思い切った決断ができるわけではない。
だから、奴との関係を壊さない為に嘘をついちゃった…と落ち込む日には、自分の心によく耳を傾けて、正直に生きよう。
つまり、美味しいものを食べて、心の平穏を保つ。
一方、全てを全て、正直に話す必要は無いのかなと思っている。
ドラえもんの秘密道具に確か「本当のことしか言えなくなる」みたいなやつがあったけれど、あんなものを使ったならばすぐに人間関係は崩壊するに違いない。
勿論、許されない嘘や隠蔽はある。
それとの境界は曖昧で難しいところではあるけれど。
例えば職場に少し苦手な人がいて、「私は君のそういうところが嫌いなんだ」なんてわざわざ言う必要は無いし。
海外旅行のお土産にとくれたものに対して「それ近所の輸入品を扱う雑貨店で見たよ」なんて言わない。
そして「これ気になるよね」という雑談から「じゃあ買って一緒に食べようか」という流れに乗って驕ってもらう事になったスイーツに、「これこの前食べました」とか……とてもとても、言えないよ。言わないよ。
スターバックス
洋なしとミルクティーのパンナコッタ
今販売中のスタバのスイーツ。
モンブランやアップルパイ、それにドーナツやワッフルたち、チーズタルトにシフォンケーキ…その中でも、一際目立つ……わけでもないのだけれど、なんでかこの、儚い色合いに寧ろ惹かれる。
そうだよね~欲しくなるよね~分かる分かる。
私だってもっと前に欲しくなって、食べてしまったのだから。
でもさ、職場で仲は良くしてもらっているものの立場的には滅茶苦茶上の方が「食べてみよう」と買ってくれたのだから。
それで「私この前も食べたんですけど、やっぱり美味しいですね」も無いんじゃない?初めて食べたかのような反応をするのが「空気を読む」ってことだと思う。
「嘘は悪いこと。泥棒の始まりだよ」と教えられてきた。
けれど、そういう誰も傷つかない、空気の流れを乱さない嘘は悪でないと思っている。思いたい。
そして初めてでも2回目でも、やっぱり美味しいものは美味しいのだ。
「紅茶!!めっちゃ紅茶!!!」
初めての時は、1人で心の中で叫んだ。
2度目は、そう口に出し合った。
本当に、紅茶が凄い。
「洋梨のケーキ」というイメージを抱いていたのだけれど、口に運んでみるとミルクティーが立派に主役として君臨している。
紅茶のムースとかなら、わりと時々遭遇している気がする。
けれどパンナコッタはどうだろう。
フワリと消えゆく軽い味わいよりも、もう少し。
色濃いというか、そこに実存している感覚が、身に染みる。
ふんわりホイップが、よりパンナコッタの強つよな滑らかさを強調する。
その香りの強さも印象的で、凄く不思議だ。
バニラビーンズを超絶たっぷりに使ったような香り良さに近いだろうか。
う~ん……なんだろ、これはとても、不思議だ。
「不思議」という表現はズルいと思いながらも、やっぱり理解できなくて、その言葉に集約させるしかないのだ。
不思議だ。
そこにシャキシャキとした洋梨が加わると、スイーツとしての奥行がグンと深まる。滑らかなミルクティーと、シャキッと明るい音を立てる洋梨。性格の異なる二大主人公。もう、も~う!頭が忙しい!!!
サックリとしたビスケットも、紅茶の余韻を残してフワリと消えゆくパンナコッタの存在を引き留めるのに一役買っている。
結論。
美味しいものは初めてでも2度目でも美味しい。
嘘や事実の隠蔽は悪いこと。
それは誰だって知っているはずなのに、それらを本当の本当にしないで生きていける人はどれ程いるのだろう。
大きな声では言えないけれど、皆どこかで気が付くのだ。
上手く生きるためには必要な悪だと。
ただ、そういうことに慣れ過ぎると、境界がどんどんズレていく。それがとても怖い。誰かを傷つける嘘であっても、それが正義だと信じ込んでしまう。
だからいつだって少しだけ罪の意識を背負って、自分と相手の傷の深さを測ることを意識して、私は嘘をついて、美味しいものを食べて生きていく。
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