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子育て支援を一生の仕事のしたいから。そうだ、NPO法人をたちあげよう!③

今回は、NPO法人を立ち上げるに至った、私のマイストーリーについてお話します。2088文字 5分程度で読めます。

私は現在、4人の子どもを育てている母です。元々看護師をしていましたが、出産を機に退職。専業主婦として子育てに邁進していました。

今から19年前、長女が1歳半の時に、乳幼児健診で言葉の遅れを指摘されました。2歳過ぎて話しだしましたが、落ち着きのない子どもで、時々癇癪を起して、手がかかることもあり、苦労の連続。

その後、5歳の時に、お友達と行き違いがあり、トラブルになったことをきっかけに、市の療育センターを自ら受診しました。そこで広汎性発達障害(今でいうASD)と診断され、療育が始まりました。看護師をしていても、発達障害の知識は乏しく、当時は今ほどに相談する機会や場所、子どもが過ごせる場所を知らずにいました。

唯一、療育センターで知り合ったお母さんたちと話すことが楽しみで、心の支えとなっていました。うまくいかない子育てに自信を失い、癇癪を起し、手を焼く子ども姿に途方に暮れながらも、月に2度の発達相談員との面談を通して、できたこと、頑張っていたことを伝えてもらえたことで、私はなんとか自分のこころを保っていました。しかし、日々、幼稚園では、困ったことも多く、特に集団生活の難しさ、先生に子どもの特性を知ってもらう難しさ、対応を伝えてもなかなか改善しない苦しさは続き、時に他のお母さんからの目を気にしていました。

自分ひとりで抱え込む子育ては苦しく、振り返ると厳しい時代でした。今のように児童発達支援事業所、放課後等デイサービスはなかった時代。

私が唯一できたのは、子どもの成長のためにたくさん習い事をさせ、子供向けのイベントに参加すること。そして、親参加型の勉強会で障害を理解することでした。

親からすると、子どもの困った姿をみて落胆しがちですが、実は、子どもも困っていたという視点を持てたことは、画期的でした。

子どもがどのようなことに困っているのかを理解すると、解決の糸口が見つかりやすく、穏やかなコミュニケーションが取れることをようやく理解したのです。親自身が学ぶということが、子ども理解につながり、自分のストレスを軽くすることにつながることを知った私は、情報を得ては、発達障害と名の付く研修にはできるだけ参加するようになりました。


また、療育センターにつながっていたおかげで、就学相談の情報を知り、通級指導教室の判定をもらうこともできました。しかし、療育センターは就学までしか利用できません。 

子どもはやがて就学し、友だち、勉強、生活などあらゆる面で、今後も支援が必要でした。そのために私がしたことは、医療につながっておくことでした。早期に受診をして、大きな問題を抱えていない状態の時に、主治医と出会い、信頼関係を作っておくことで、いざとなったら、頼れる相談先に駆け込むことができると考えたのです。これは看護師をしていた経験が生きています。

今では、初診の予約が、数か月先しか取れない現状があり、すぐに相談したいと思っても、繋がることは本当に難しい。児童精神科医の不足を痛感しています。

就学して、順調に学校生活が始まりました。自校に通級がないために、週一回だけ他校の通級に通いました。午後から早退するために、毎週お迎えに行くのですが、クラスの子どもたちには、本当のことはなかなか言えませんでした。子ども自身が拒否したからです。担任には診断名を伝えて、配慮してもらっていました。研修で学んでいた「サポートブック」が役にたちました。かかりつけのクリニックの心理士は、学校側に配慮の願いを受け入れてもらうように、特性や対応についてのお手紙を書いてくれました。

子どもの育ちに応じて、親として必要な発達障害の知識を学びながら、もっと学びを深めたいと思った私は、2010年4月心理学科に入学。長女が7歳、小学校に入学する年に、私も大学生になりました。

3人の子育てしながら、学生と子育てを両立する決心ができたのは、これから続く子どもの人生を伴走する必要性を感じたことと、「知らないこと」が子育てをする中で、とても不利になると感じたからでした。相談したくても、すぐにはいけないときに、自分で対処することを求められ、それが病気だったら、看護師の知識や経験で乗り越えられても、子どもの発達という領域では、どうしようもできないという無力感がありました。

母親として、子どもの苦しさを理解できずに、どうやって他人へわかってもらえるだろうか…という葛藤もありました。子ども自身がSOSを上手く出せないときに、誰も守ってもらえないのではないか…という心配や不安もありました。


幸い、長女はいじめや不登校等大きなトラブルなく小学校時代を終えることができました。私は、大学を4年で卒業、臨床心理士資格を目指して大学院進学を決めました。
 
無事に大学院の合格をいただきましたが、ここで私は、4人目を出産。長女が中学に進学した年に大学院に1年遅れて復学。


大学院を修了した2017年から専門職としての第一歩を踏み出しました。2018年に臨床心理士資格試験に合格。長女は小学校時代を駆け抜け、あっという間に中学、高校と思春期を過ごしていました。 

ここまでお読みくださってありがとうございます。
④に続く

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