無題

[小説]ゴッホのように散るだけだ⑤ー窓越しの豚肉屋・2ー

ゴッホのように散るだけだ 第一話はこちら

「寛は明日も遅くなりそう?」

野菜炒めをレンジから出しながら母さんが聞いてきた。

ヴィンセント校は夜まで制作する生徒用に22時まで教室を開けてくれるから、僕も遅くまで学校に残って絵を描くことが多い。

「ううん、今回の提出はひと段落ついたから、明日は早く帰ってくるよ。」

「そう。お疲れさま。」

「うん。」

 母さんがラップをはがしたお皿を並べてくれる。

「今回は満足いく作品できたの?」

「うーん、僕的には頑張ったつもりだけど・・・。どうかな。」

 あんまり自信のない僕の気持ちを見透かしたように、母さんはゆったり微笑んでくれる。

「母さんは寛の絵好きよ。今回も公募に出したんでしょう? 発表されたら母さん絶対見に行くからね。」

「ありがと母さん。」

 いただきますをして、テレビのニュースを横目に野菜炒めをほおばった。

絵を描いてるときは夢中で気がつかなかったけど、メガネの淵にかすかに絵の具をつけてしまったようだ。画面の右端がうっすらブルーがかっている。

小さなニュースにも「へえー。」「やだ、大変ねえ。」とあいづちを打つ母さん。母さんは絵に一生を捧げたいという、僕の勝手な願いも受け入れてくれた。

卒業作品は残せても、それを見て喜ぶ母さんの顔は見ることができない。

だから、卒業制作に入る前の最後の作品はなんとか形にしたくて、今日の提出日までずっと頑張ってきた。雷人みたいに自信を持って提出することはできなかったけど、僕もチャレンジすることにしたんだ。

公募のレベルはすごく高い。

ただ物が正確に描けているのか、うまいかどうかだけじゃなくて、見た人を心から感動させられるものだけが評価される。

技術と才能、見る人によって好き嫌いの評価が分かれる絵の分野で評価されるのは本当に難しい。だからこそ、今回の公募で受賞すれば、本当に才能があるということだった。

全国レベルでおこなわれる公募に挑むライバルはもちろん僕の学校の生徒だけじゃないけれど、僕はいつも1次審査止まりで入賞にも届いたことはない。

何度も応募はしてるけど、今回もまた母さんに展示された作品を見せるのは難しいのかもしれない・・。


他の学校の、単なる趣味で絵を描いてる人に負けるなんて死ぬほど悔しい。

幼稚園に入る前、母さんと行った海外旅行。その時初めてゴッホの作品に出会って感動した僕は、旅行中もその絵が飾られている美術館に何度も行きたがったらしい。

帰国してからすぐに自分でも絵を描き始めて、そこからずっとずっと何年も、僕は絵を描き続けた。

瓶やティッシュの箱のように、角の幅が数ミリ違うだけでパースが狂ってしまう工業製品。

りんご、枯れ葉、猫や空など、頭に浮かぶイメージは同じでも、実際は何一つ同じものが存在しない自然のモチーフ。

畳んだりクシャクシャに丸めたり、自由すぎて構成が難しい布や紙の課題。

色んな素材をデッサンし、ポスターカラー、アクリルガッシュ、油絵の具、日本画で使う岩絵の具。いろんな画材に手当たり次第挑戦してきた。

だけど僕は、いまだにどこかで入賞するような作品は作れていない。

どれだけ時間をかけても、キャンバスに想いをぶつけてもどうにもならない。

描くことが好きなのに。

本当に好きなことなのにそれだけじゃうまくいかなくて、自分で満足できるような作品は結局生み出すことができなかった。

あの時感動したゴッホのような作品を描きたい。
少しでもゴッホに近づきたい。

そのためにはどうすればいいだろう?

何度も何度も考えた。僕が唯一できることを。

そして出た結論。

ゴッホのように死と向き合いながら絵を描けば、彼のような作品が描けるかもしれない。

ゴッホも死を迎えるまでは、名もなき作家だった。
死は、名作を生み出すための必要な道なのかもしれない。

自分が死ぬことで名作を生む。それを実現できる場所。
だから、この学校を選んだ―――。


テレビがコマーシャルに入った。来年オープンするショッピングモール。次のワールドカップ予選。そのどちらも、母さんと一緒に見る機会は訪れない。

「ら、来週からは卒業制作に入るんだ。」

食後のお茶を飲んでから、なるべく落ちついた声を意識して話した。

「・・・・・・。」

なかなか返事がない。

ふと母さんの方を見ると、さっきまで懸命にテレビを見ていた母さんは、目の前の画面をただぼんやり眺めて言った。

「そう、・・・・・・じゃあ頑張らなきゃね。」

毎日仕事から帰ってきたあと、僕のためにごはんを作ってくれる母さん。

あまり化粧をしない母さんの横顔をあらためて見ると、思った以上にたくさんのシワが刻まれていた。

「母さんも、今日はもう休んだら?」

僕がつぶやくと、母さんが驚いた顔で僕のほうをふりかえった。

「どうしたの急に?」

「別に・・・。」

 気まずくなって、僕は目をそらす。

ふふっ、と笑って母さんはいつものセリフを言う。

「母さんは大丈夫っ! 母さんは寛がいるから頑張れる!」

Vサインのうしろにある笑顔は、僕が小さい頃から見てきた母さんの顔。

6年前に父さんが死んでから、兄弟のいない一人っ子の僕の事をいつでも一番に考えてくれた。僕のおじいさんとおばあさんにあたる人もいなくて、いままで誰にも頼らず一人で仕事をしながら僕のことを育ててくれた母さん。

ある日、僕が学童から帰ると母さんはこたつに突っ伏して泣き寝入りをしていたことがある。

あわてて声をかけたら「大丈夫よ!」って母さんはほほえんでくれたんだけど。幼かった僕には想定できないほどいろいろな苦労があったんだと思う。

それでも心配そうな僕を見て、母さんは「寛がいるから頑張れる」、「母さんがいるのはあなたのおかげ」・・・って何度も抱きしめてくれた。

それ以来、「寛がいるから頑張れる」は母さんの定番のセリフになった。

家事がつらくても、仕事から疲れて帰ってきても・・・。

僕が目の前にいる時はもちろん、母さんは洗い物や掃除の途中でも、ふとしたひょうしに歌うようにつぶやいていた。

僕がいるから頑張れる。
じゃあ、僕がいなくなったら、母さんはどうするんだろう?

「・・・じゃあ、お風呂に入って早めに寝なさいね。ごはんの後片付けは明日母さんがしておくから。」

「うん、ありがと母さん。」

「おやすみ寛。」

「おやすみなさい・・・。」

キッチンの扉を開けて、母さんは部屋を出ていった。

どんなに学校から遅く帰ってきても、母さんはきちんと晩ごはんを作って僕のことを待っていてくれた母さん。母さんの目に、僕はどう映っているんだろう。

たった一人の息子なのに18歳で自分よりも先に死ぬなんて・・・。

僕には反抗期もなかったけれど、結局、孝行息子にもなれなかった。

母さんは僕が死んだあと、ちゃんと幸せになってくれるだろうか。僕がいなくなっても、幸せになってくれるだろうか。

大好きな絵と同じくらい大切な、僕の母さん・・・・・・。


第六話へつづく

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