見出し画像

わたしの困りごと

"声に出す"という事の難しさ


今日のお話のテーマは「言葉」について。
みなさんは人とのお喋りは得意ですか?
私はどちらかと言うと苦手です。

特に今回お話しする内容は、情報の伝達における言葉ではなく、感情を伝える為の言葉についてのお話しです。自分の想い、ちゃんと人に伝えられていますか?伝えられてないかも…という苦手さんに読んでもらいたい文章を書きました。
少々長い文となっていますが時間のある時にごゆるりとご覧ください。
-----------------------------------
「natoさんは自分のきもちを人に伝えるのが難しいみたいですね。勇気を出して声に出して伝えてみよう!」〇年〇組 担任〇〇先生より

この言葉は私が小学生の時にもらっていた通知表(あゆみ)に先生が書いてくれた言葉です。
小学校高学年に入ってから、いつも個人目標欄には上記メッセージが先生より添えられていました。書かれた理由としては、学校内で友達とけんかをした際に、相手の方は「natoちゃんがこんな事を言ってきて私はむかついて〜」とスラスラた言えているのに対して、私はずっと無言。
側から見れば無言状態なんですが、自分の脳みその中は常にとっちらかっています。「〇〇ちゃん私にこんな酷い事言ってたけどこれ言ったらまた大喧嘩になりそうだし…そもそも私がふっかけちゃったみたいな所があるし黙っとくかぁ」…こんな言葉が頭の中で渦巻いた結果、脳みそが思考停止→無言、という訳です。(思い起こすと、小学生時代から自分軸ではなく他人軸で生きている人間なんだなと再確認しました)

無言は損をする

学校の先生はあんなにも熱心に「思った事は口に出してみよう!」と伝えてくれていたのに、未だに私は自分の感情を相手に伝える事が苦手です。
大がつく程苦手と言っても過言ではありません。
私たち人間は他人と意思疎通を図るために、話すことや表現することが必要です。思っていることを黙っていても、相手はそれを察することはできません。超能力者でもない限り不可能です。
理屈としてはわかっているのに、言葉に出そうとすると喉の辺りでつっかえてしまいます(声が震えて出せなくなる感じです)無言のままだと、この人何を考えてるの?と不審がられても・イラつかれても、仕方ない事だと(悲しくも)感じます。

言えない のではなく出せないのか?

最近、メンタル系の本を数冊読んだのですが、その中にトラウマがある環境下に置かれた状況になると声が上手く出せなくなるという内容を目にしました。私が最近同じような状況に見舞われた事があります。

会社の会議中に、今のチーム内での不満を無礼講な感じで言い合おう!という時間がありました。上司陣が一斉に「怒ったり、機嫌悪くなったりしないから何でも言ってごらん」と伝えてきました。私はいつも通り脳みその中がとっちらかり無言…「ほらほら、気を使わなくていいから!早く言ってみてよ!」と焦らす上司陣。次第にそれがストレスとなり胃痛と手の震えが止まらなくなりました。喋ろうと思っても「あ"っ…」とつっかえてしまい声が出ません。

いまだに何故こんな症状が起きてしまうのか本当に謎です。分かった事としては、刑事ドラマによくある尋問の様なものが私は苦手なのかもしれません。場面緘黙症や吃音症の方が仰っていたインタビュー映像や文献などを頼りにするとさらに参考になるヒントが隠れていそうです。

ただこの悩みをストレスとは思わず、自分の特性(ポケモンで言う〇〇〇タイプ)としてポジティブに向き合おうと思います。

《余談》
気を許した相手には、「少しは黙りなさい!」と叱られるくらいにはひょうきんでうるさい人間です。ただ心を開ける人は極々わずかです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?