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〔公開記事〕江田浩司評論集『前衛短歌論新攷』(現代短歌社)

前衛短歌の範囲

 本書は六百ページを超える大著であり、著者の四十代・五十代に書かれた歌人論を中心に編まれている。
 取り上げられた歌人は岡井隆・山中智恵子・浜田到・塚本邦雄・玉城徹である。彼らの作品について、短歌の範疇に留まらず、他ジャンルの作者との影響関係の考察や作品の比較が行われている。例えば、岡井隆と詩人の関口涼子。山中智恵子と江戸期の国学者の富士谷御杖、俳人富澤赤黄男、比較宗教学者のミルチャ・エリアーデ。浜田到と詩人のリルケ。塚本邦雄と詩人の北村太郎。玉城徹と松尾芭蕉などである。こうした、ジャンルを横断する、広範な考察は本書の特徴の一つとなっている。
 ラカン、ハイデッガーなど哲学者の論考も著者の思考に深い影響を与えていることが文章から読み取れる。巻末の人名索引は圧巻である。
 前衛歌人は誰かという問題は短歌史において、未だはっきり決着がついていない。玉城徹の歌は果たして前衛短歌だろうか。著者はどのような基準で前衛と位置付けたかについて明言しておらず、「おわりに」で、「玉城徹の歌も、私にとっての「前衛短歌」なんですね」と述べるにとどめている。篠弘が本誌二〇一七年一〇月号で、玉城を「もう一つの前衛」と呼んでいるが、一般的とは言えないだろう。その辺りを疑問に思うのだが、本書で一番面白かったのは玉城についての論だ。
 著者は玉城徹論「やまとうたの心」において、玉城の第四歌集『徒行』の一一九の小題の全てを、四季を含む古今集の部立に分けることによって、その構成を確認する。そして玉城が「歌集が内在する時間を重層的に配列している」と分析する。
 玉城は、近代短歌の原理を、「内在的な時間の統一」に見ており、『古今集』の原理である「時間的な多元性」と対立させる。「やまとうた」の本質を、『古今集』に見る玉城にとって、この対立が意味するものは、近代短歌の無思想性、閉塞状況を打開するための創作的戦略に基づくものである。
 これは興味深い分析だ。歌集の構成に古今集の部立を意識することが、単に伝統に則ってのことではなく、近代短歌を克服しようとした意志からだというのである。古典和歌と近代短歌の原理の違いとして、時間意識は重要なポイントだ。
 また、著者は玉城自身が「わたしの作品に連作は皆無」「伊藤左千夫以来の一切の連作論を、論として拒否する」と書いたことも挙げている。連作の否定は、近代短歌の否定に近い。
 その意図が反近代にあったという意味で、著者は玉城を前衛と位置付けているのかもしれない。
現代短歌社  2022.7.    3600円・税別

『短歌往来』2022年11月号 公開記事

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