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『weather cocks』廣野翔一(短歌研究社)

第一歌集
Ⅲ部構成でほぼ編年体。住んでいた土地とそこで就いていた職業に沿って構成されている。現在、若手と呼ばれる年代の歌集では、こうした構成の歌集は少ないと感じるので、却って新鮮だ。構成に工夫を凝らすのではなく、そこは従来通りにしておいて、歌そのものに力点を置くという意図だろう。読者を信頼し、一首一首を詠い切っている印象を受けた。カバーが表紙・裏表紙になっている装丁もしゃれている。

焼け野へと近づいていく一生だ革靴の紐締め直す昼
 一生だ、と詠う限りは、人生の終点にあるのが焼け野だということか。焼け野に近づいて行くのだと分かっていながら、一歩一歩、歩みを進めていく。時に立ち止まって革靴の紐を締め直す。また、焼け野へと向かっていくために。時刻は昼、まだ一生の半ばなのだ。決して重くならずに、自分の進む方向を見つめている視線を感じた。

関係をほとんど街に置いていく泣きたい時に人は泣き得ず
 場所が変わることによって終わってしまう人間関係もある。ネットで繋がって、と言っても、だんだんと関係性が希薄になっていくだろうことが分かる。それでも街を去らなければならない。泣きたい時に限って泣けず、後で何でもないきっかけで涙が止まらなくなってしまうだろうことも予測しているのだ。

僕は死に泣くのではなくあなたの死を泣く人がいることに泣くんだ
 祖父の死を詠んだ一連。祖父の死を知ってから、実家で過ごし、葬儀やその準備を経て、生前の祖父の姿を確認する。挙げた歌は、葬儀で泣きながらもそれが祖父の死を実感して、悲しんで泣くのではなく、祖父の死を悲しんで泣いてくれる人がいることに泣く。うれしくて泣く、ありがたくて泣く、というより悲しみに共鳴して泣くのだ。そしてそんな泣き方であっても泣けることに喜ぶ自分がいるのだ。

ほんとうの空には強い風が吹くエレベーターに身体(からだ)ゆだねて
 「ほんとうの空」という表現に惹かれた。現実の空というより、偽物の反対としての「ほんとう」という意味だと取った。シースルーエレベーターから空を眺めて風が強く吹いているのを観察しているのなら、現実の空だが、外が見えない、ごく普通のエレベーターに乗って、「ほんとう」の空を思い描いている、という解釈だ。ほんとうの空に対する憧れがあるのだろう。その存在すら確かではないのだが。

火は風に、人間は火に消えるもの口許の火を手に防ぐ人
 風が吹いて来ると小さな火は消えてしまう。人間が火によって死んでしまうことと重ねて詠って不穏だ。煙草の火が消えないように、手を口元に持って行って、火を覆っているのだろう。しかし「防ぐ」方向が逆にも取れて、火が燃え広がらないように防いでいるようにも読める。人間を焼き滅ぼしてしまう火を、外に漏らさないように防いでいるようにも読めるのだ。

取り合えずペンギンの絵のスタンプを使うひとつの最善として
 「最」善という限りは一つしか無いはずなのだが、「ひとつの最善」と言われると、いくつかのうちの一つという、軽い感じだ。かけがえのないたった一つの最善、ではなく、いくつかある最善策のうちのひとつ。たしかにペンギンの絵はそんなに重い選択の結果ではない。取り合えずスタンプを送っておく。まあ、これ可愛いし、これでいいよね、というぐらい。結果的に一首の中で「最善」が言葉として、結構重いのだ。

君が迷った味を私が注文し互いの匙を以て分け合いつ
 味だけが違う、同じ形の食べ物を想像する。迷ってしまうほど幾つか種類があるのだろう。匙で食べているのだから、かき氷か、アイスクリームか。「君」が迷った末、結局選ばなかった味を作中主体が注文する。そして半分ずつ分け合って食べるのだ。君の喜ぶ姿が見たくて、君が食べたかった味を注文する。心弾みが伝わる歌だ。

たくさんの鰯を光で照らすだけなのにこんなに感動してた
 短歌に慣れない人なら、全くの散文として読み下してしまうだろう。それでも別に構わない。水族館の中の鰯の大群が水槽の中でライトアップされているのだろう。鰯の大群が向きを変える度に鱗に光が当たって、光の帯が次々に形を変える。もしかしたら、イルカショーやアシカショーのような華やかに作られてショーより、よほど見る者を惹きつけるものかもしれない。こうした、歌の内容を味わうには、散文で読んでも充分。しかし、短歌の韻律に乗せて読むと「なのに」がとても強く響く。そこで文意が大きく反転するのだ。意味と韻律がシンクロする瞬間だ。

電話口の声の暗さに気をとられそこから別れまで速かった
 思いを通じ合わせた相手との別れを詠った歌。相手の声が弾んでいない。明るく生き生きとしていないのだ。どうしてこんなに暗いのだろうと声の調子に気を取られて、内容もろくに頭に入って来ない。その時もう相手は別れを決めていたのか。ほんの些細な違和感が、大きな別れの前触れだった。個人の経験なのだが、人と人との別れの、ある一つの典型的な展開を描いているため、自分の事のように思う読者も多いだろう。

われを慰め家へ帰せり 怪獣を星ある方へ戻すごとくに
 攻撃によってある程度弱ったところをウルトラマンに抱きかかえられ、空の彼方の生まれた星へと連れ戻される怪獣。画面の怪獣たちはウルトラマンの腕の中で、手足をだらんと垂らして妙に神妙だ。地球上では悪い怪獣も、自分の星に帰ればただの住人。怪獣を焼き尽くしたり爆発させて、殺してしまうより、何だかほのぼのとするエンディングだった。そんなウルトラマンと怪獣の役を、一人二役で演じている。自分で自分を慰めて、家へ帰らせる。「帰せり」という詠い方がいい。弱くなってしまった怪獣に自分を見なす視線に、却って余裕と強さを感じる。

短歌研究社 2022.11. 本体1700円(税別)

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