桜川冴子歌集『さくらカフェ本日開店』

風土を引き受ける

 作者は教師として長く務めた中学高校を退職後、現在大学教員として働く。その大学で、桜の時期に自身の研究室を、一週間限定で「さくらカフェ」と名づけて開放している。
  まなかひに桜の見ゆるわがラボを期間限定「さくらカフェ」とす
  「カツラですこれは」と病を語りだす終りから前へ本を繰るやうに
  さんぐわつの時間のくぼみにはひり込む生老病死さくら泡立つ

 わずか一週間の間に様々な人が訪ねて来る。二首目、訪ねてきた人はおそらく他愛ない話をしていた後、心を許したのか重い病について話し出す。「終りから前へ本を繰るやうに」という比喩が、今までの話を遡り、病気のことを加えて話していく様子を映し出す。桜が泡立つように咲くあわいに、人々の生きた軌跡が浮かび上がるのだ。
 ふるさと水俣は作者の心に錘のように存在している。それはまた父の思い出にも繋がっている。
  盆の夜は網戸より入る鈴の音の川ん神さまのぼりよらすと
  山ひとつ欠けて埋め立ての土となる激症患者の出でし島見ゆ
  野良猫を可愛がりにし園長の父と語らる避病院の跡
  とろろ汁すすりてをかし父がゐて笑ふやうなりわれの体に
  秋風の排水口に一管の笛として立つ生かされし吾は

 一首目では情景を序詞のように置いて、下句の柔らかな水俣の言葉を生かす。石牟礼道子の語りを思わせる言葉遣いである。二首目は恐ろしい病気を生んだ海を、山ひとつ使って埋め立てたと読んだ。現在にも繋がる水俣の惨禍。三首目の避病院は、水俣病が伝染病と誤って信じられていたころの隔離病院である。その跡地に立って父を偲ぶ作者。父が可愛がっていた猫たちは、水俣病の最も初期に、水銀に冒され狂い死ぬことによって、人間たちにその病の凄まじさを教えた存在である。四首目では、父が自らの内にいることを実感する作者。五首目では、水俣病の発生地にある排水口に、作者は自らを笛に喩えて立つ。笛の音のように長くこの病を伝え続ける覚悟だろうか。
 (…)水俣のかなしみを知るわたしは現代において苦しむ人たちの存在に敏感でありたいと思う。(…)苦難の中にいつか希望が見いだせることを信じ、大学のわたしの「さくらカフェ」は未来をめざす若い世代に通じる窓でありたい。(…)
 過去と未来を繋ぐ窓として「さくらカフェ」は人々に開かれている。その原点に水俣という風土があるのだ。また水俣に一人住む母の歌も心に沁みた。
  お母さんひとりで豆撒きしたんだねスリッパを履けば豆が潰れる
  人はなぜ桃色を恋ふたらちねの胎にさくらの一樹ありしか

2020.1.『短歌往来』

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