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『現代短歌』2020年7月号*追記有り

①皆川二郎「短歌歳時記」のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり 斎藤茂吉〈燕が来ると…「つばくら祝い」を行って繁盛を祈る〉燕をそこまで大切にする風土の中で詠まれた歌だということを初めて知った。これ、ちょっと驚き。

②田中綾「二人の歌人の死 土屋文明と前川佐美雄」とても面白い評論だった。短歌史を複眼的に見ているところがいい。対照的に見える二人だが、同じ時代を生きていたのだということがよく分かる。

〈(ニューウェーブの中心的な四氏が)自分たちの口語短歌の活動を、前衛短歌運動の後継世代の試みとして位置づけたい、〉ここを検証する人(当人たち以外で)が必要だろうな。

〈島津忠夫も、「日本歌人」が「一つの実りを得たのは、昭和三十年代のいわゆる前衛短歌であった」とし、塚本邦雄、山中智恵子、前登志夫らを輩出した前川佐美雄の影響力を重んじていた。〉島津が前衛短歌を従来より広く捉えているということか。その視点も今後検討されていいと思う。

③外塚喬「『現代短歌を評論する会』顛末記」 この『現代短歌を評論する会』の本を読んだのだが、片山貞美と玉城徹が会にどう関わっているのか曖昧で分からなかった。今回の「顛末記」を読んで理解できた。元の本で読みたかったと思う。

④穂村弘「〈近代短歌〉は終わらない」〈初期の口語短歌は口語で短歌をつくること自体が課題だった。〉うーん…。口語短歌は短歌史上ずっとそうだったと思うんだけど。初期って言ったらその前に口語短歌が無かったみたいだけどね。

⑤永井祐「口語短歌とリアリズム」〈口語短歌にとってリアリズムというのはかなり順接する…〉先に挙げた穂村弘も〈文語のリアリズムなんて矛盾しているとも言える〉と述べている。文語口語のみならず、リアリズムやリアルという言葉の定義が問われるだろう。

手話のひとはマスクはできず 指を輪に動かしコロナウイルス示す 前田康子 上句の気づきにはっとした。マスクができない人もいる、って緊急事態宣言中に、私は自分で思いついただろうか。手話でコロナを表す下句が、この事態を表している。

⑦加藤英彦「歌壇時評」〈...もちろん、悪の認識などは全くない。なぜなら、彼は社会的には常に"善”の実践者であるはずだから。〉同感。「悪」には自覚が無く、むしろ自分は正義を成していると思っているのでは?3月号の悪に対する特集は、この加藤の時評で一段レベルアップした感。

⑧『現代短歌』7月号読了。読み応えのある評論がいくつも載っていた。疑問に思うところもあるが、全体的には、自分が今、短歌について問題意識を持っているところと重なっていて興味深かった。隔月刊の良さが出ていて、リニューアル後、一番面白かったんじゃないかなー。

2020.6.10.~12.Twitterより編集再掲

⑨追記:特集「1990」の表紙に土屋文明の講演録が引かれているが、出典が「昭和十七年六月二十九日講演速記より」となっている。何でこんな分かり難い書き方をしているのか?元の文を読みたくなった人が探し難くないか?出典は「和歌のおおよそ」、角川文庫『新編短歌入門』と筑摩書房『新短歌入門』に所収。

2020.6.15.Twitterより編集再掲

⑩追記:土岐友浩 書評『現代短歌のニューウェーブとは何か?」〈議論のすべてを読み終わったとき、「ニューウェーブ」は奇妙に空虚のイメージとして僕のなかに残っている。〉この空虚に同感する。鋭く、的確な論。自身の経験も交えて書かれた、史的価値のある評と思う。

2020.8.15.Twitterより編集再掲