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塩野七生『十字軍物語3』(新潮社)

 シリーズ最終巻。第三次から第八次までの十字軍の詳細について述べられた巻。宗教心の下に聖地を奪い合うキリスト教徒とイスラム教徒という図式だが、実は宗教よりも名誉欲であるとか、領土や金銭などの実利や、引くに引けない同胞愛など様々な要因が絡まっている。結局十字軍国家は200年間、かの地に存在し続け、最終的にはキリスト教側の敗北で終わる。神の意志を口にしながら、我欲とメンツに固執する法王たち。カノッサの屈辱で始まり、アヴィニョン捕囚で終わる時代と十字軍との関係が良く分かった。しかし、自分たちの間違いは神の名において決して断罪せず、十字軍の失敗の責任を、全てその中心で働いてきた人々、この場合は聖堂騎士団になすりつけたやり方には唖然とする。都合良く神の名を乱用する人々にこそ神罰が下ってほしいものだ。

 今回の魅力的な登場人物は第三次十字軍を率いたイギリスのリチャード獅子心王。
〈船の帆柱高くひるがえるのは、白地に赤の十字を染め抜いた十字軍旗。船首にはリチャードが、赤地に黄色の三頭の獅子のイギリス王の旗をかたわらにして立つ。
 そのリチャードの肉体を、当時の記録は次のように伝えている。
「背は高く、外観は優雅。頭髪とひげは赤味のある金髪で、眼は深味のある青色。両脚は長く伸び、身体の動きは敏捷できびきびとしている。なかでも両腕は、たくましいだけでなく長さもあり、重い長剣を腰から引き抜くのにも、大槍を降りまわしての突撃にも適している。肉体的には完璧に均整がとれているのに加えて長身でもあるので、この肉体だけでも、人の上に立つのが運命づけられていると、彼を眼にした人は誰でも思うのだった」
 美男であった、とは言っていない。だが、「外観はエレガント」とは言っているのだから、世に言う姿美男ではあったのだろう。とはいえ、同時代人によるこの記述は、中世のヨーロッパ人が自分たちのリーダーに求める「肉体」が何であったのかは分からせてくれる。〉p81
 リチャードはその上、義に厚く、曲がったことが嫌いで、しかも鷹揚な人物として描かれている。

〈リチャードは、感受性は豊かだったが、誰にでも良い顔をする男ではなかった。また彼自身が恨みをもつ性質ではなかったので、怨念に燃える人の気持ちもわからなかったのである。〉p91
 恨むタイプではないが、恨まれることはあった。

〈「だが、それよりもわれわれにとって手強かったのが、一人の騎士の敢闘ぶりでした。その騎士は常に最前線に立ち、馬上自らわれわれの騎兵をなで斬りにするだけでなく、剣を右手に左手だけで馬を駆りながら、戦闘の始めから終わりまで味方を叱咤激励しつづけたのです。
 この騎士一人でどれだけの数のわが軍の兵士たちを倒したかだけでもたいした男だったが、剣を手にしながら最前線を縦横に疾駆してやまないこの騎士こそが、戦闘の行方を決したと言ってもよい。獅子の化身かと思わせるこの勇気ある騎士に、兵士たちは「メレク・リチャード」と呼びかけていましたが」
 このとき以来、であったという。リチャードが、「獅子心王」と呼ばれるようになったのは。〉p119
 イギリス人の好きな歴史上の人物にリチャードが挙がる理由がよく分かった。

〈サラディンがまず、ソールズベリーの司教に、リチャードの人となりについて質問したのである。リチャードよりは三歳若い司教は、次のように答えた。
「わが王についてわたしが確信をもって言えるのは、王リチャードほど、将としての軍略でも、戦士としての勇気でも、また一個の人間としての心の広さでも、優れている人を見出すのはむずかしいということです。わが王くらい、人間としての器量と力量と徳に恵まれている人もいない。」〉p174
 同時代人にここまで心酔されてしまうリチャード。大体十字軍時代を通して実際に進軍した王や諸侯と、神の名において彼らを送り出した法王側は対立しているが、リチャードの行った遠征では聖職者たちも彼に完全に同調していた感がある。

 次に魅力的なのは、第六次十字軍を率いた神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ。英明で戦闘巧者で、リアリスト。塩野の好きなタイプの人物だ。
〈ファラディンの眼の前にいるのは、生れてこのかた中近東には一度も行ったことのないフリードリッヒである。しかも神聖ローマ帝国皇帝という、ローマ法王とはちがった意味ながら、キリスト教徒全員を率いる立場にいる人である。にもかかわらずこの皇帝は、ファラディンの持参したアル・カミールからの親書を、誰の力も借りずに読め、理解し、それへの彼の考えをアラビア語で言えるのだった。〉p311
 ローマ法王の意を気にせず、自分のペースで物事を進めるフリードリッヒ。ずば抜けた知力の持ち主であり、常に狂信とは遠いところにいた理性の持ち主であった。しかしそれがローマ法王の気に入らない。伝家の宝刀である「破門」を繰り返してフリードリッヒを意のままに動かそうとするのだ。
十字軍遠征においても、フリードリッヒは強大な軍とそれを操る統治力を持ちながら、「交渉」によって聖地のほとんどを「回復」し、聖地への巡礼や通商の安全を保障する方を選ぶ。それがますます法王側に気に入らない。血を流して聖都を奪回せよ、と言うのだ。わざわざ十字軍を率いて敵地に乗り込んでいる彼に「キリストの敵」という呼び名を付けたりして、コントロールしようとする。こうした狂信は中世で終わったわけではないだろう。

〈帰国直後に送った(…)手紙に至っては、外交交渉で向い合った相手に対してというよりも、親しい仲の友人に向って書いたとしか思えない文面である。講和の継続を願いつづけるのではなく、このように近況報告を書き送ったり、数学や哲学の問題をあつかった手紙を交換し合うことが、フリードリッヒ式の゛アフターケア〟なのであった。〉p357
 交渉で得た講和を知的なアフターケアで維持する。キリスト教徒、イスラム教徒などの宗教や民族の違いには左右されず、誰にとっても最も合理的な道を選ぶ。まさに近代人的知性に溢れている。狂信こそが主流であった中世には稀な人であり、早く生まれ過ぎたゆえに、生前も死後も毀誉褒貶が絶えないのだと思う。
 塩野はこのフリードリッヒに惚れ込んで、次のシリーズでは彼の一生を描いている。

 そして魅力的な人物としてではないが、やはり生き生きとそのダメさを描かれている、フランス王ルイ九世。
 〈弱い息の下から神に誓ったのだ。もう一度健康を取りもどせるなら、十字軍を率いて異教徒との闘いに向う、と。
 そうしたら、快癒したのである。父王が死んだのは四十歳で重病にかかったからで、まだ三十歳のルイには体力があったから快癒できたのだろう、と言ってしまっては、中世のキリスト教的ではないのだ。中世のキリスト教世界の優等生であったルイは、これは神が、わたしを使って何かを実現することを望まれ、それでわたしの命を救ってくれたのだ、と考えたのであった。これ以後のルイは、それこそが自分に与えられた使命だと、はっきり自覚した人に変わる。〉p362
 狂信の徒のできあがり。そして彼の率いた第七次十字軍は十字軍史上最悪の悲惨な敗北に終わる。次に彼が率いた第八次十字軍に至っては、攻めている場所からして意図が分からない。もちろん惨敗である。

〈しかし、キリスト教を信ずる人々の間では、勝った人よりも、負けても教えに殉じた人のほうが尊いとされる。ローマ・カトリック教会は、ルイが死んでから二十七年が過ぎた一二九七年、この彼を、全キリスト教徒がモデルとすべき人という意味をもつ、聖人の一人にした。二百年におよぶ十字軍全史の中で、俗界の君主でありながら列聖の名誉に浴したのは、このルイ九世一人だけである。これも、キリスト教会の考える、良き信徒とはどのような人か、を示す例だが、十字軍遠征を二度も実行して二度とも失敗した人でありながら、フランス王ルイ九世は、歴史上では「聖王ルイ」の名で遺ることになったのだ。〉p410
 無血十字軍を敢行し、今で言えば「コスパ抜群」の結果を残した、現実的なフリードリッヒはキリストの敵にされたのに、二回の十字軍を徹底的に失敗し、多くの人命を失い、自らも捕虜になるなどキリスト教側に決定的なダメージを与えたルイが聖人。本当に、やったことに正しく報われる世の中ではないのだな、としみじみする。冒頭に書いた、全ての罪を着せられた聖堂騎士団の人々にとってもそうだ。人間の自己正当化ほど恐ろしいものはない。

 異教徒であり、キリスト教側からは敵に当たるはずのイスラム教徒も全く公平に描かれている。特にイスラムにサラディンありと言われ、アユーブ朝を起した名将サラディン、その弟のアラディール、アラディールの長子アル・カミールは支配者に相応しい、知的で公平で現実的な思考をする、懐の深い人物として描かれていいる。宗教や人種で人の善し悪しが決まる訳ではない、その当たり前が実感として読後、胸に来る。

新潮社 2011.12. 定価:本体3400円(税別)



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