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田村穂隆『湖(うみ)とファルセット』(現代短歌社)

重い脳、腫れる喉、泡だつ唾液
            

 『湖(うみ)とファルセット』は田村穂隆の第一歌集。一読、身体を表す語彙と感情を表す語の多さに圧倒される。身体に収まりきらない感情、感情にすり減らされる身体が定型内に犇めき合っている。
  押し殺してきた感情が押し花になればいいのに リボンを選ぶ
  そうか、僕は怒りたかったのだ、ずっと。樹を切り倒すように話した

 一首目は巻頭歌。押し殺してきた感情からナマな水分が抜け、乾いた押し花になればいいのに、と願うがそうはなってくれない。感情は湿ったまま重く心を占める。主体は、それを何とか人にも受け入れられる形にするためにリボンで結ぶ。そのリボンの選択ぐらいしか自由は無い。二首目は冒頭近くにある歌。句読点で切り刻むようにして自分の心を確認する。押し殺してきた怒りを確認し、解放するように話す。素手で大木を切り倒すように、力を込めて話しているのだ。
 感情は心は、どこにあるのだろう。この歌集にある「脳」の歌に注目した。即物的に自分の身体を捉え、感情の在り処を脳に求める。知的な把握であるが、同時に苦しみも深い。
  いちにちを生き延びたゆえ膨らんだわたしの脳がわたしに重い
  脳内で文字化けしてる感情の 脱ぎ捨てられた黒い靴下
  感情は殖えゆくばかり甘やかなこの脳みそを菌床として

 一首目、一日の終りに感じる疲れ。感情を押し殺し、それゆえ酷使して、脳が重く膨らんだように感じられる。共感を呼ぶ感覚だろう。二首目、脳が誤作動を起こしたかのように、感情が文字化けしている。苦しいのに、怒っているのに、それを感じていないことにしてしまう自己防衛本能。それは自分を守るためでもあるが、同時に自分の大切な感性を、靴下を脱ぎ捨てるように粗末に扱うことでもあるのだ。三首目、脳の中で殖えてゆく感情。自分の脳を「菌床」と捉える映像的把握力が鋭い。そして、それを「甘やかな」と位置づける感傷が悲しい。
  ひげを抜きたいひげを抜きたいひげを抜く 脳に何かがみなぎる感じ
  祖父は父を父はわたしをわたしはわたしを殴って許されてきた
  粘ついてくるファルセット越境のためにはもっと筋肉が要る

 主体は自身の身体の男性性を忌避している。ひげを抜く行為もそれが表れた行動だ。腕力で子と接してきた祖父、父。男性性の否定は父との間に確執を生む。自分の子供ではなく、自分自身を殴ってきた主体は、暴力とは対照的な、高音程の声に憧れている。高音で歌う唱法のファルセットはそうした憧れの象徴である。しかし、三首目にあるように、ファルセットを澄んだ声で歌うためには、自分が忌避する強い筋力を必要とする、という矛盾に苦しまなければならない。他にも、歌集中には喉や声を扱った歌が多く見られる。
  言い淀む喉のあたりが膨らんできっとここから咲くのはダリア
  人間をやめてしまえば 木枯らしの喉の形をさぐりはじめる
  妄執の朝昼晩を腫れあがる喉、落花した椿の声で
  春隣 わたしを拒絶したひとのざらつく声に花を植えたい

 成人し、大人の男性の声を獲得することも主体にとっては辛い経験だったのだろう。喉仏が膨れ、腫れあがるような印象。心の痛みにも通じていく。時にはそれは人間であることを止めたい気持ちにまで繋がる。木枯らしの声を聞きながらその喉の形を夢想する。主体の喉から出て来るのは落ち椿に象徴される声だ。身体から零れて目の前に転がっているイメージだろうか。また、春が近づき、種や花を植える頃、人の声に花を植えたい、という空想を持つ。自分を拒絶した相手との思い出を美化したいという願望なのだ。
  口の中で貝を貝殻から外す みずうみになまぬるい夕暮れ
  軟骨まで柔らかく煮た鳥の手羽しゃぶり尽くしたあとの眠気よ
  ひび割れた舌には白湯を ひび割れた身体が夜ごと硝子に変わる
  ねむいゆびで口からとりだすリテーナー唾液に濡れて肉片のよう
  よく冷えた唾液を舌で泡だててわたしはがまんできるいきもの

 喉や声から、舌や唾液へと視点を移してみたい。一・二首目のように食事することが、どこか性的なイメージに繋がる歌に、まずこの作者の特徴が見られる。舌が性的な感覚に繋がっているのだ。三首目はそれが全身に及んでいることが示される。四首目は眠っている間につける、歯列矯正のリテーナーを朝になって外す場面。唾液まみれのリテーナーを肉片のように感得している。五首目はこの歌集で最も印象に残る歌の一つだ。何かを言えずにいる時に口の中で舌が動く。その動きを舌で唾液を泡立てると取る。下句は、感情を抑えて生きてきた主体の、精一杯の自己把握なのだろう。
  もう二度と だけどあなたを受け入れてしまう更地が確かにあって
  眼裏にきみの裸体を彫る 風が日暮れの木々をぞわぞわ撫でて
  体内に湖面いちまい揺らしつつ高飛び込みの動画を触る
  ヴァイオリニストがそうするように君のあらゆる部位を磨いた
  湖(うみ)に降る雨を眺めていた 夜はきみに盗掘される身体で
  ぬらぬらと胃に赤い毛が生い繁り本当はずっとあなたが怖い

 この歌集の強い特徴に、官能性に満ちた歌を挙げることができるだろう。どれも読者の肌感覚に肉薄してくる、迫力に満ちた歌である。一首目は初句の後の一字空けに心の逡巡が見える。二首目は「ぞわぞわ」というオノマトペが読者の皮膚も撫でてくるようだ。三首目の強い欲望は今までの短歌に見られなかったものではないか。高飛び込み競技の動画をタブレット端末で見ているのだろう。飛び込みの板が揺れるたびに主体の体内の湖面が揺れる。惜しげもなく肢体を晒す選手を動画上で触る。主体の飢えに苦しむ心が、選手の美しい技に震えるのが感じられる。四首目のような性愛を描いた歌に抽象化の技術が冴える。性愛の相手の、褐色に輝く身体が想起される。五首目は、三句半ばでの倒置が印象的。相手に対して受け身な性愛が「盗掘される」と表現され、新鮮な驚きと共に、主体の痛みが読者に手渡される。六首目も比喩の特異さが光る。愛情と同時に怖れも感じさせる相手に対し、胃に違和感を感じている主体。二句三句の赤い毛は誰にも見えないはずなのに、確かに赤い、と読者に直感させる力を持っている。
  観覧車 君との記憶をどの街に散骨するか決めかねている
 叶わなかった愛情、成就しなかった恋。観覧車で地上を眺めながら記憶を「散骨する」場所を探す。『湖(うみ)とファルセット』は読む者の感覚を研ぎ澄ませてくれる歌集だ。

現代短歌社 2022.3. 2000円+税

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