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川添愛『言語学バーリ・トゥード』Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか(東京大学出版会)

 抱腹絶倒。振り切った文体と喩え、そして語られる高度な言語学上の問題。エッセイと論文の美味しいところ取りのような本だ。タイトルにもあるように格闘技(主にプロレス)を例にしていることが多いのだが、プロレスファンで無い者ももちろん楽しめる。年代がちょっと近い(実際は11歳差)のでその時代ネタも面白く、爆笑に次ぐ爆笑だ。本を読んでここまで笑ったのは久しぶりだ。提出されている問題点はいずれも、日本語のネイティブであれば(言語学的に素人であっても)、色々考えたり突っ込んだりできる。こういう言語学の本がもっとあってもいい。副題に「Round1」とあるので「Round2」も期待。

 以下は自分の為の忘備録である。

〈その曲の名は、『恋人がサンタクロース』である。
 ここで、「え?そんなタイトルだったっけ?」と思った方は、私がしていたのと同じ勘違いをされている可能性がある。そう、私はつい最近まで、この曲のタイトルを「恋人はサンタクロース」だと思っていたのだ。〉P38
〈「A{は/が}B(だ)」という形で、かつAおよびBが「名詞(句)」であるような文は、言語学においては「コピュラ文」と呼ばれる。〉P40
 多分、この本の特徴を最も端的に表している章。この後、著者は「は/が」の違いを論じてくれる。素人同士の話のネタとしてもおいしい。
〈世の中には、誤用とか言葉の乱れに厳しい人がたくさんいる。言葉の乱れというのは、大まかに言えば、新しい表現や用法の出現などといった「言語の時間的変化」だ。〉P58
〈言語学の研究対象は「正しい言語使用」ではないからである。言語学、少なくとも私が関わっている理論言語学では、言葉を「自然現象」として見る。言うまでもなく、自然現象は自然現象であり、そこには「正しい」も「間違っている」もない。〉P59
 全く同意なのだが、やはり世間には「正しい日本語」という観念がまだまだ強いと思う。「正しい日本語」とか「言葉の正しい使い方」あるいはその反対の「誤用」や「乱れ」も実際は存在しないのだと思う。言葉は使う人の使い方によって時代に沿って変わっていくものでしかないと思う。
〈家族や親しい人の間でならともかく、誰が見ているかも分からない場所で、思いつきをすぐ口に出すのは危険だ。自分の思っていることや感じていることには、意外と一貫性がなく、矛盾も多いものだ。私自身、炎上を極度に怖がるために、最近なかなかものが言えない状態に陥っている。ツィッターでも自分の本の宣伝しかしていない。〉P87
 これは言語学の話では無いが、そうだなあと同感した部分。
〈社会的な軋轢を面倒くさがったり怖がったりするあまり、相手に面と向かって何か言うよりも自分の時間とか労力とかを犠牲にした方がまだマシだと思ってしまうタイプの人は気をつけた方がいいと思う。〉P109
 これは「前提」の話。自分と相手の「前提」が違うというのは非常によくあることだ。「前提」を「悪用」するという話にも興味を惹かれた。そういうことが上手い人はいるものだ。無意識にせよ。それに気をつけよ、というくだり。
〈なんかこれに近いことを自分も長年やってこなかったか?という気がしてくる。そう、ありふれた日常の中で、ハンターの目で獲物を見つけるような「何か」を……。
 それの正体が、つい最近分かった。「変な文探し」である。〉P126
〈「カワイイはつくれる!」(花王)レア度:★
 これはもうおなじみすぎて「どこが変なの?」と思われるかもしれない。ポイントは、主語の「カワイイ」が名詞ではなく形容詞だ、というところにある。〉P131
 ここも面白かった。これを読んだら自分も「変な文探し」をつい始めてしまう。あるわあるわ、という感じで見つかるが、それを「変」と思うかどうかも時代差があり、個人差があるだろう。
〈このような、本来使われるべき助詞とは違うものを使うという「外し方」は、キャッチコピーではたまに見られる。よってレア度はそれほど高くないのだが、この「海老名市最高層を、住む」には妙な迫力が感じられる。「に」を「を」に変えただけでなぜこんな効果が出るのか、考えてみれば不思議だ。〉P137
 これは短歌の世界ではとても多いことではないか。助詞の使い方を変える、ひねる、などはプロパーな「小技」と言えるだろう。また、この例に挙がっているコピーでは句読点もかなりの仕事をしていると思える。
〈ちなみに、言葉の正しさについての議論はおおよそテンプレートが決まっている。(…)こういうテンプレ的な議論に対して個人がどういう立場を取るかは、けっこう状況によってころころ変わると思う。(…)要するに「自分は他人にマウントを取りたいが、自分にマウントを取ってくる奴は許せない」ということであり、言葉に対する立場としては完全にダブスタである。〉P172~173
 言ってみれば「人間の思考の醜い面」云々ということだろうが、この著者にかかると軽やかで、あるあるなことに思えるから読んでいて楽だ。
〈私たちが言葉に対して「自然さ」や「不自然さ」を感じることは事実であり、理論言語学が観察する主な対象はまさにこの「自然さ・不自然さ」であるということだ。〉P177
 ネイティブが何を自然と思い、不自然と思うか。それは面白く、奥が深い。そしてもちろん、著者も言うように「正しさ」とは違うことだ。

東京大学出版会 2021.7. 定価(本体価格1700円+税) 


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