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10年前に岩手で感謝したこと感謝されたこと

2011年5月、私は何人かで岩手県沿岸部へ行きました。
子どもたちに絵と手紙を届けるというプロジェクトを作ったのです。

その時のことは10年たった今も、私の中にしっかり残っています。

なぜ東北へ行ったのか

3月11日の揺れ、そして映像。
会社から歩いて帰ったこと。息子はしばらくテレビを見ることができなかったこと。余震の恐怖。忘れることはないでしょう。

2か月半後、5月下旬に私は岩手県へ向かいました。
「どうしても行かなくてはいけない」と思ったのです。

「震災の地へ、子どもたちからの手紙を届けよう」という話が出ました。
小さなもので、広報・宣伝活動も考えませんでした。
いくつかの小学校に子どもからの絵や手紙を届け、メッセージのやり取りをしようという内容です。のちに冊子になりました。

現地へ行く意味があるのかと悩みましたが、行くことに決めました。

「物見遊山では」
「何もできないのに」
何度も迷いましたし、迷惑だと思いました。

それでも行こうと思ったのは、東北へいらした3人の話を伺ったからです。

一人は、ボランティアを兼ねて3月中から何度か東北に通ったライターさん。
「行ったほうがいいし、見たほうがいい。見るだけでも行ったほうがいいんだ。好奇心で行くなっていわれているけど、俺はそうは思わない。見ると見ないとでは全く違うんだから。見ておいたら、次に起きた時に対処できるかもしれない」

2人目は岩手県都市部に住んでいて直接の被害は受けなかったけれど、沿岸部の親戚が被災した友人です。
「私だって何にもできなかったよ。物を届けるくらいで・・・。でも行ってよかった。話を聞いて、見てきて、そうしたら気遣っているってわかってもらえたから。だから行けるなら行ってきて」

3人目は震災で壊滅的な被害を受けた村ご出身の仕事仲間です。
つらかったですよ・・・親戚が亡くなって。焼けて、何も残っていませんでした。もうほんと悲惨ですけど・・・機会があったら見てきてください。行ってほしいんです。お願いします」

その言葉に胸を突かれました。
何もできなくても、行ってほしい。そういわれているのです。
背中を押されました。

東京の子どもたちから絵と手紙を集めました。それを携えて、届けたい。
行こう。

「息子は面倒を見るから行っておいで」と夫がいってくれました。
当時小学2年生の息子のこと。これはいずれ書きます。

被災地と避難所と

4人で岩手県の何か所かを回りました。
まだ交通機関も不規則で特別ダイヤでした。

一つ一つのことは書ききれません。

焦げた松の木。

自衛隊の方が、黙々とがれきを片付けていたこと。

巨大な酒樽がころがって、そこからまだ酒の匂いが漂ってきたこと。

避難所の受付に一つだけ爪切りが置いてあって「使用後、返してください」という紙があったこと。

中学生が自主的にチームを組んで、炊事当番をしていたこと。聞くと「いや、ほかにやること、ねーし」と照れながら言ったこと。

子どもたちが絵を描いてくれた

3か所の施設で小学生に手紙と絵を配りました。

子どもたちは集まると絵と手紙を見て「ぼく、これ!」「私はこれがいい」
ぱっと手に取って、見入ってくれます。

「東京行ったことないなー」
「私、あるよ!」
「この絵、おもしれ~。水族館?」
「この子、東北きたことあるんだって」

絵や手紙を見せ合いながらしゃべります。

クレヨンや画用紙、色鉛筆を持っていたら、
「オレも絵、かきて~」という子がいたので、渡しました。

描いている間は「お前、何描く?」「それ、なに?」「なんかわかんないけど、描きたいから」「なんだよ、わかんね~」
にぎやかにいい合っていました。

絵や手紙を交換できたら、と思っていたのですが、先生や保護者から「なんともいえません」「勧められません」といわれていたのです。
つらいことを思い出すかもしれないからです。

子どもたちはみんなで絵を描いて、「はい、持っていって!」と渡してくれました。
一番初めに絵を描きたいといった子は、画用紙の真ん中に巨大な太陽のようなものを描いていました。赤、黄、それに青や緑も使われていて、ギラギラ光っているようでした。

私は大きなエネルギーを感じました。
子どもたちみんなの。

描かせてよかったのかどうか、わかりません。

描いた絵をご両親たちに見せると「こんな絵を描くのね」「あら、おもしろい」「いいじゃない」と喜んでくれたので、ほっとしました。

どこでもいわれたのは「来てくれて、ありがとう」ということです。
「ごめんなさい、何もできなくて」というと、「いいのよ、来てくれただけで」と。
「このままどうなるのかなって思うけど、誰か来てくれると考えてくれる人がいるんだなあって思えるんだよね」

自分たちのことを考えてくれている人がいる、来てくれた人がいる、それがうれしいんだと伝えてくれました。

何もできませんでした。申し訳ない気持ちです。
でも、行ってよかったです。

見た風景と迎えてくれた人たちのことは、10年たった今も鮮明に思い出します。どうしているのでしょう。連絡が取れなくなってしまいました。

一人一人の顔を、表情を思い出します。
震災、被災地、というより、話をした一人一人の姿、絵を見て書いてくれた子どもたちが浮かびます。

「来てくれてありがとう」といってくれて、ありがとうございました。



このあと、何度か東北に行っています。
そのことについてはまた書きたいと思っています。

追記
この時の息子のことを書きました。

企画参加と説明

これはマサおじさんの企画参加でもあります。

3月11日まで募集されています。よろしければご参加ください。
「#感動した体験談」のハッシュタグをつけてご応募ください。
マサおじさんは、まじめな記事と、変な記事の落差が大きいけれど、それがめっちゃおもしろいんです。そして実はまじめでとっても温かい方です。


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