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遺産より大切な遺言書

貯蓄額の目安には、いろんな考えがあるだろうけど、うちは家族が1年暮らせる金額を目安にした。

家計簿をつけて、うちはいくらあれば1年暮らせるかが見えてきて、その貯蓄をすることができている。

これは、災害時の「非常バッグ」のようなもので、贅沢な暮らしをするためのものじゃない。でも、この備えがあることで、まず、いざという時という、不幸な状況を少しでも考えることができる。
これがまず大事だし、そうなっても、1年、「考える」時間があるという安心は、大きいのではないかと思う。

一年考える時間があれば、しっかり悲しむ時間を取ることができるし、その後、落ち着いて、この先どうしていくかの道をつけられるんじゃないかと思う。
「頭」は何より、人間の財産!

これから教育費のかかる子どもには、高校入学時、大学入学時の年齢に満期になる、学費のための定期預金も組んである。

そして、「普通」にしてたら、私が急死した場合、葬儀など死後にかかる金で、せっかくの貯蓄が消し飛んでしまうので、それを防ぐための遺言書を書いて、家族にも目を通してもらって、承諾を得ている。

葬式、戒名、墓、業者による遺品の処分…これの世間一般額だけでも、我が家が一年暮らせる額を超える。法要、墓の維持費は、その後も続く。

全く、当の本人が全く望みもしないことに死後に金使われるって、棺桶をグッチにするようなもので、何の意味あるかよ!
そんなもののために貯めたんじゃない!そんな金あったら、私は生きている時に使いたい。

信仰のある人には大切なものだし、世間体が大事な人はお金をかければいいけど、私は、ここには使いたくないという意志を、書面に残した。
自分の死後のことは自分はわからないけど、だから尚更、口で「葬式しなくていいからね〜」ぐらいでは実現しないので、書面があれば、実現性が高いと思ったから。

子どもの年齢が一桁のうちに母親が亡くなってしまうのは、どうしようもなく辛いことだけど、幸い、子どもたちもその年齢の間はずっとそばにいられたし、これだけ「備え」ができたから、本当に、私はだいぶ気が楽だ♪

これ以上、「貯めなければ」と思わない。
どんなに貯めたってきりがない。どんなに金があったって、日本一の剣士の坂本龍馬だって、斬られればあっけなく死んでしまうように、誰だってただの生身の一人の人間なんだ。

それに、多額の財産、遺産をめぐる事件は、昔からミステリー小説でも定番なこと。私は、人が死んで大金が転がり込むって、気味が悪くて仕方ない。それは、かえって不幸を招く気がする。
ヤクザが扱うような金額って、幸福そうにも思えないし。

「葬式しないなんて、遺族が世間から嫌な目で見られるんじゃないか、可哀想」という気掛かりはもちろんある。遺書にはそのことも書いてあるし、それについての自分の考えも書いた。
親の自分が、できるだけ、自分の意志で生き、自分の望む死でありたいとする行動が、結果はどうあれ、大事なことだと思うし、その姿が、子どもにとって大きな財産になるのではないかと思う。

そして、今を、毎日をできるだけ幸せに生きるためにお金を使う。これがなんと言っても基本!

出費をただただしぶり、出費ごとに不快、悔い、お金が姿を変えた先を見ず、それを大事にしない、「使わない」のが、最も「無駄づかい」。

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