[アニメ感想] takt op.Destiny(タクトオーパス デスティニー):自粛を強いられる人類。現実世界と通じるものがある。
『takt op.(タクトオーパス)』はゲームとアニメが合体したメディアミックスプロジェクトである。
アニメの『takt op.Destiny(タクトオーパス デスティニー)』は、ゲームの世界の前日譚が描かれている。
舞台は西暦2047年。
2020年ごろに地球に飛来した黒い隕石から生み出された怪物 “D2”の脅威にさらされている世界。
怪物たちはなぜか人間の作り出す “音楽” を忌み嫌い襲ってくるために、人類は音楽を捨て何とか文明を保っている状態。
人間たちは対D2として、人間を素体とした “ムジカート” という兵器を生み出した。
これ、現実世界の倫理観からすると完全にアウトな気がするが、それくらいに人類が追い詰められている…という設定なのだろう。
“ムジカート” はそれぞれ、クラシックの名曲の名を持ち、超人的な身体能力と攻撃力を有する代わりに、本来の人格は破壊され別物となる。
また、人間の中には “ムジカート” をコントロールできる素質を持ったものがおり、“コンダクター” と呼ばれている。
本来、“ムジカート” は兵器なもんで、それを開発した機関で管理されている。
主人公の タクトとコゼットは、D2の襲撃にあい瀕死の重傷を負った際に、偶発的? に “コンダクター” と “ムジカート” として覚醒してしまう。
『takt op.Destiny(タクトオーパス デスティニー)』は、野良の “コンダクター” と “ムジカート” になってしまったタクトとコゼットを、彼らの保護者的な存在のアンナが、研究者をしている家族の元へと連れていく道中記なのである。
こじらせ男子代表みたいなタクトが徐々に成長していくのも見どころであるし、普通の女の子だったのに「運命」という名の “ムジカート” となってしまったコゼットの奇想天外さも、この物語の面白さのひとつである。
元々ゲームになることが前提で作られた世界であるので、細部があいまいな感じもあるんだけど、前日譚と呼ぶには圧の強い物語で、がっつり本編と言ってもよいほどに心を持っていかれるお話だった。
物語はアメリカが舞台で、本来の経済活動を普及中、音楽は自粛中…という設定がなんだか現実世界と重なり胸が熱くなるシーンがしばしば出て来る。
我々も音楽自体は禁止されていないものの、ライブイベントや大規模なフェスの中止延期が余儀なくされる世界線に生きている。
これまで当たり前にあったものが、不要不急だと言われ悪い事みたいになってしまったこの世界。
私も音楽をやるはしくれとして、心に刺さる物語だった。
それから、音楽ももちろんよいし、映像も大変に美しく、アクションシーンもかっこよかったよ。
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