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[中編] 丘の上の魔女とファントム・ドレイン | 下(3/3)最終話

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 ソフィーが向いている方向の数メートル先に、黒い人影のようなものがあった。
 真っ黒な霧のようなそれはゆらゆらと揺らいで、ちょうど顔の位置に、大きな目玉が二つ付いていた。

 ソフィーは黙ってそれと向かい合っているように見えるが、よく見ると、全身にギリギリと力を入れていることがわかった。

 あれは…もしや、永久墓地に彷徨う悪い魂なのでは!?

 無意識に鑑定をした。

≪鑑定:亡霊/種族:ファントム・ドレイン/能力:術耐性・重力/他、詳細不明≫

 タツトはソフィーの危機と判断し、足早に彼女の方へ向かった。

「ソフィーっ!」

 叫んで彼女の名を呼んだが、彼女は微動だにしなかった。
 タツトはますます心配になって、真後ろまで進んで行った。

「タツト! 来るな! 止まれ! なぜここへ来た!?」

 ソフィーが振り返らずに言った。
 言ったと同時に、彼女は唸り声をあげて片膝をついた。
 両手を地面について、何とか倒れないように抵抗しているように見えた。

「ソフィー!!」

 来るなという言葉を無視してタツトはソフィーのそばまで駆け寄った。
 そして、地面に叩きつけられた。

 タツトはわけもわからないまま、ソフィーの足元にうつ伏せに倒れてしまった。
 背中に何かとてつもなく重たいものが乗っている感覚がして、ギシギシと身体を押さえつけてきた。

 たまらずタツトは血を吐いた。

「タツト…抵抗しろ。私はお前を助けられない。自力で体を起こせ。」

 ソフィーが絞り出すような声で言った。

「胸が地面についていると窒息するぞ。体を縦に…」

 そして、ソフィーは、うおぉぉぉ!と叫びながら、一気に立ち上がった。

 タツトも何とか身体と地面の間に腕を割り込ませ、ソフィーと同じように叫びながら、起き上がった。
 何度も膝から崩れ落ちながらも、時間をかけて、どうにか立ち上がることができた。

 立ち上がると、ソフィーが手を差し伸べてきたので、遠慮なく掴まらせてもらい、彼女の横へと進んだ。
 少しでも気を緩めると、足から崩れ落ちそうだった。

 なんだ、これは、能力に “重力” とあったが…。

 ソフィーがしがみついてきたので、タツトは彼女の背中に腕を回し支える体制になった。
 いつの間に彼女は自分より小さくなったのだろうか…と、こんな時なのにタツトは考えていた。
 ソフィーに気を取られたせいで、膝がガクっとなったが、寸でのところで踏みとどまった。

「集中しろ。持って行かれるぞ。」

 ソフィーがぐっと体に力を入れるのが感じられた。

「開。遂行、波。汝の根を辿り、眠るべき場所へ帰還せよ。波。閉。」

 ソフィーが詠唱を行ったが何も変化がなかった。

「タツト、奴を鑑定したのか?」

「うん。」

 タツトはもう一度、目の前の黒い奴を鑑定した。

≪鑑定:亡霊/種族:ファントム・ドレイン/能力:術耐性・重力/他、詳細不明≫

「何と出ている?」

 タツトが表示されていることをそのまま伝えた。

「何だって!? ファントム・ドレイン!!??」

 言いながらソフィーは足から崩れ落ちて、膝をつき、そのまま倒れてしまった。

「ソフィー!!」

 慌ててタツトは彼女を起こそうとしたが、鉛のように重たくて無理だった。

「タツト、ぐっ、あいつのところへ行って、うぅ、あの目玉を両方取って来てくれないか?」

 ソフィーの耳から血が流れてきた。

「わかった。」

 タツトは目の前の黒い奴のところまで、歩いて行けるか全く自信はなかったが、このままではソフィーが死ぬと悟り、体中に力を入れた。

 一歩、一歩、信じられないほど重たい脚を動かした。
 そして、ついに奴の目の前までやってきた。

 幸い、なぜか奴は止まったままで襲ってくる様子はなかった。

 タツトは手を伸ばし、奴の顔あたりで宙に浮いている二つの目玉を鷲掴みにした。
 そして、思い切り引っぱった。

 ブチっという何とも嫌な感触して、タツトは目玉を取り出すことに成功した。

 目玉を取ると同時に黒い影はふっと姿を消した。
 そして、のしかかるような重さもなくなった。

 重さがなくなると、タツトの足は何時間も歩いた時のようにグラグラになっていた。
 たまらず地面にへたり込む。

 向こうではソフィーも仰向けに地面に寝そべり、荒い息を整えているようだった。

 やがてソフィーが立ち上がり、タツトの方へ歩いて来た。
 タツトはまだ立ち上がれそうにもなかった。ソフィーとの体力差を見せつけられた思いだった。

「開。遂行、波。汝の命の源を辿り、癒しの力を開放せよ。波。閉。」

 ソフィーが治癒の詠唱を行い、タツトの傷ついた体を癒してくれた。
 身体の痛みはすーっと引いていったが、足のガクガクはまだ残っていた。

 タツトもソフィーに治癒を行い、彼女の痛みを取り除いた。
 ソフィーはふうぅとため息をついた。

「タツト、お説教は後回しにするとして、さっきもぎ取ったものをちょうだい。」

 タツトは目玉をソフィーに渡した。
 手に粘膜のようなものがついたので、気味悪く思い、ズボンで拭いた。

 ソフィーは目玉を小さな袋にしまうと、肩から下げていた図他袋に入れた。
 そして彼女も手を上着で拭いた。

 目玉をしまうと、ソフィーは未だへたり込んでいるタツトの横に座って、彼の顔を覗き込んで来た。
 彼女の緑色の瞳に見つめられると、タツトの思考は停止していまう。

「タツトくん…」

「はい…」

 ソフィーが “くん” 付けで呼ぶときは、怒っている時だ。それも相当。

「なぜ、ここに来たのか説明してもらおうか。」

「あ、えと、町の人にソフィーがここに来ていると聞いて、それで、あの、心配になって…」

「さっきの見ただろう? 君が来たせいで、二人とも死ぬところだったよ。」

「ごめんなさい…」

「私はいつもちゃんと帰って来るだろう? 私は大丈夫だ。…というより、ここでは私は私自信を守るだけで精一杯。」

「僕は、ソフィーに話してほしかったんだ。」

 それを聞いてソフィーは少し呆れた顔をした。

「うん。君の気持はわからなくもない。だけど、君に話したら君は来ると言って聞かないだろう? どっちにしても来ちゃったけど。まあ、しょうがない。しかし、おかげで、あいつの正体がわかったな。もしかしたら、もっと早くタツトを連れて来るべきだったのかもしれない。」

「あれは、何なの?」

「私はずっとあれは ≪ナイトメア≫ かと思っていたんだ。」

「ナイトメア…?」

「そうだ。ネクロマンサーの禁忌を犯した者は ≪ナイトメア≫ と対峙する運命にあると記録にある。あいつは定期的にここに現われ私を呼ぶので、てっきりその≪ナイトメア≫ かと思っていたのだが…。≪ファントム・ドレイン≫ だったとは…どうりで術が効かないわけだ。」

「そのファントム・ドレインって何?」

「≪ナイトメア≫ も ≪ファントム・ドレイン≫ も遥か太古の昔、人間を遺体から再生することを禁止した者たちによって生み出されたものだと聞いている。最寄りの陰なる場所に出現し、穢れた者をあの世へ誘う存在だ。≪ファントム・ドレイン≫ は、禁忌を犯した者のところではなく、遺体から作られた者、その本人の元へ現れるものなんだ。」

 タツトはソフィーが言った意味が一瞬わからなかったが、すぐに理解した。
 遺体から作られた者、その本人の…!!??

 タツトが理解したことを見て取ると、ソフィーは頷いた。

「これは久々に師匠に会いに行かなければならないな…。タツト、立てるか?」

 タツトはソフィーに手を引いてもらって立ち上がった。まだ足がガクガクしているが、痛みは消えているので何とか歩けそうだった。
 二人は連れ立って墓地の門へと向かった。

 門を出るとガンフとケオが待っていた。
 ケオはタツトを見ると、バサッと飛んで肩に乗った。

 ガンフは二人の姿を見ると泣き始めた。この無敵とも思える男が泣いているのを見てタツトは自分がどれほど危険なことをしたのかを改めて知った。

「ガンフ、つらい役割を任せてしまった。すまなかったね。」

 ガンフはゆっくり腕を開くと、ソフィーとタツトの二人を抱きしめた。
 ソフィーとタツトもしっかりと彼を抱きしめた。

 ケオはタツトの頭へと移動した。

 そうしてしばらく三人はお互いを抱きしめていた。

「さて、ガンフ。タツトの暴走のおかげでわかったのだけど、あれは ≪ファントム・ドレイン≫ だったよ。」

 それを聞いてガンフの両方の眉毛が上に上がった。

「お前のところに現れるならともかく、なぜ私のところに現れるのか、ルドルフを問い詰める必要があるな。」

 ソフィーがルルフを呼んだ。どこからともなく巨大なイグアノドン、ルルフがやってきた。
 ルルフが首を下げると、ソフィーはひらりと彼女の上に乗った。

 それを見て、ガンフもアロサウルスの姿になった。
 タツトがガンフの背中に乗ろうとすると、ソフィーが「タツト、お前はこっちに乗りなさい」と言いながら手を差し伸べてきた。
 タツトはその手を取ってソフィーの後ろに乗った。

 近頃ではもっぱらガンフの背中に乗っていたタツトであるが、少年のころはよくこうして一緒にルルフの背中に乗っていたものだ。

 ソフィーが合図すると、ルルフは猛スピードで走り始めた。タツトは振り落とされそうになり、あわててソフィーに掴まった。
 バサバサと羽ばたいて肩の上のケオがバランスを取る。
 ガンフも後に続く。

「タツト。これから私の元師匠のところに行く。たぶん、知りたくないことも知る羽目になるだろう。でも一つだけ忘れないでほしい。お前は私たちの大切な家族だ。いいね。」

 ソフィーが前を向いたまま言った。タツトはうん、と答えて、そっと彼女の体に腕を回した。

「ねえ、ソフィー。≪ファントム・ドレイン≫ はガンフには出ないの?」

「ガンフは今まで一度も呼ばれていない。私だけが呼ばれる。そもそもガンフはあの墓地に入れない。いや…入ろうとしないと言った方がいいか。」

 しばらくソフィーが沈黙したので、ルルフとガンフのドスドス言いう足音だけがあたりに響いた。
 満月がぽっかり浮かんで夜道を照らしている。

「ガンフは人間の死体から再生されたわけじゃないから…ということなのかな。」

 それきり、ソフィーが物思いに沈んでしまったので、タツトは話しかけるのをやめた。

 ルルフは何時間か走り、東の空が明るくなってきたころに、ようやくソフィーの元師匠だとうルドルフの家に到着した。
 ソフィーとタツトが降りると、ルルフはその場で寛いだ姿勢になった。

 ガンフは人間の姿になった。あれだけ走ったのに息が上がっていなかった。

「ルドルフはちょっと厄介な人だ。気を悪くするかもしれないけど、我慢してくれ。」

 ソフィーは振り返りながら言い、ルドルフの家に向きなおると、勢いよくドアを叩いた。早朝でもソフィーはお構いなしだ。

 しばらくすると、家の中で灯りがつき、ドアが開いた。
 中から三十代くらいの男性が出てきた。女と見間違うような容姿の美しい男性だった。

 その男性はソフィーの姿を見ると、目をまるくして驚いた。

「こんな朝早く何事かと思ったら…ソフィーじゃないか。何年振りだ? 隠遁生活に嫌気がさしてわたしの元に戻ったのか?」

「違うよ。ルドルフ。話があって来た。」

 ソフィーはタツトの手を取ると、半開きのドアを押し開けてズカズカと中に入って行った。
 タツトは手を引かれるがままにソフィーについて家に入った。
 ガンフもそれに続く。

「相変わらずだな。その子どもは何だ?」

 ルドルフがタツトに向けて鋭い視線を投げてきた。

「この子は私の鑑定士だ。」

 タツトの手を握る手にぎゅっと力がこもった。
 ルドルフはふーんといった感じでタツトを値踏みしているようだった。

 タツトはルドルフの鑑定を行った。鑑定不可と出た。

 ソフィーがそれを察してこちらをチラッと見たので、タツトは小さく首を横に振った。

「鑑定士くん。その肩に乗ってるのは始祖鳥か? 鳥でも恐竜でもない不様な生き物だな。」

 タツトは無言でルドルフを睨み返した。

 ルドルフの家は異常だった。
 動物のはく製や、液体に入った臓器のようなものがそこら中に置かれいてる。

 ソフィーの元師匠は新鮮な死骸を必要とするネクロマンサーだと彼女が話していたのをタツトは思い出していた。

 居間はもっと異常で、あちこちにドロドロに溶けた蝋燭が置かれ、不気味に炎を揺らしていた。

 居間に入ると、ソフィーは図他袋から墓地で採取した例の目玉が入っている小袋を取り出し、テーブルの上に、びちゃっと投げ置いた。

 ルドルフはそれをさも汚いものを触るかのように摘まみ上げると中身を確認した。
 そして、それが何だか分かった様子だった。

「いずれこの日が来るとは思っていたが。これをそこの鑑定士に見せたのか?」

「そうだ。」

 ソフィーの声には心なしか怒りが込められてきていた。この二人のどんな関係だったのだろうか…とタツトは思った。

 ソフィーは居間の真ん中に置かれているソファーに腰を下ろすと、タツトの手を引き、彼も座らせた。彼女はずっとタツトの手を握って放そうとはしなかった。
 ケオはソファーの背もたれの上に移動し、ガンフはソファーの後ろに立った。

「相変わらず守りが固いね。その子どもはそんなに大事なのか? もっとリラックスしなさい。かつて愛し合った仲じゃないか。あんなに激しく。」

 全く聞きたくもなかった言葉に、タツトは震えた。
 タツトを不快な気持ちにさせるため、わざと言っているのはわかったが、平常心を保つのがやっとだった。
 そんなタツトの心情を察してか、ソフィーの手に今まで以上にぎゅーっと力が入った。

「今では、あなたと私は、ただの元弟子と元師匠でしかない。」

 ソフィーがルドルフの言葉を否定しなかったことにタツトは傷ついた。
 ガンフの手がタツトの肩に乗せられた。

 ニヤニヤ笑いながらルドルフは続けた。

「つれないこと言うね…。まあいい。これが ≪ファントム・ドレイン≫ だって知ったんだね。」

 ソフィーは頷いた。

「そしたら、わたしに聞くまでもないだろう。お前が思っているとおりだよ。お前は死体から再生された人間だ。」

 できれば否定してほしかった内容を、ルドルフはあっさりと言った。

「あの襲撃の後だ。わたしが駆けつけた時にはもう、お前は血だまりの中で死んでいた。お前はまだ暖かった。隣にはガンフが裸でうずくまっていて、グチャグチャになった肉の塊が周辺に散乱していた。わたしは何が起こったのか概ね察した。で、今ならバレないと思ってすぐにお前を再生した。俺は現存する哺乳類専門だから、前々から人間もいけると確信はしていたのだよ。」

「バレないって…本気でそんなこと思ったのか?」

 ガンフが呆れたように言った。
 ソフィーはじっと黙って話を聞いている。

「実際は後先考えずにやっていたんだよ。だって愛している女が…永遠に等しい命を持っているはずの女が目の前で死んでいたのだ。お前は死んだばかりで最高に新鮮な状態だった。わたしがいままで再現した中でも、お前は最高傑作だよ。誰も死んでるとは気が付かなかった。お前自身も。」

 タツトの手を握っているソフィーの手がブルブル震え出した。

「それで貴様は、私にだけ罪をかぶせて自分はのうのうと学会に残ったのか?」

 ソフィーが怒りに満ちた声で言った。彼女が “貴様” などという言葉を使うのをタツトは初めて聞いた。

「仕方がないだろう。ガンフが公に出てしまったのだから。死刑免除にするだけでも大変だったのだぞ。全員死罪を免れる唯一の方法だった。」

 ソフィーはガンッと音を立てて目の前の机を蹴った。相当怒っている。
 驚いたケオが、バサッと翼を羽ばたかせた。

「だったらあの時全員死んだ方がよかったんだ。」

「まあ、そう言いなさんな。生きてればいいことはたくさんある。その鑑定士くんにも出会えなかっただろう?」

 ルドルフは憎たらしい態度でソフィーの怒りを受け流した。

 その時だった。居間の奥にある扉の方から、この世のものとは思えない地の底から響くような唸り声が聞こえた。
 ルドルフが一瞬氷ついたような表情をしたのをタツトは見逃さなかった。

「なんだ今のは?」

 ガンフが警戒して戦闘態勢の姿勢を取った。
 タツトも立ち上がり、腕の装置の上にケオを誘導し立たせた。

「まあ、まあ、そんなに慌てることはない。あれは再生に失敗した出来損ないの声だ。クマかと思ったらイノシシだったんだよな…。」

 ルドルフは演技が下手くそなようで、完全に嘘をついてる口調だった。もしくはわざとなのか。

「タツト。」

 唸り声がする方向の扉を見ながらソフィーが呟いたので、タツトは自分の仕事を把握し、扉を “走査” した。
 これは視界が遮られている向こう側の様子を確認する術であるが、間に金属が含まれていると、ぼんやりとしか見えない。

 向こう側にヒト型の何かが暴れているのが何とか判別できた。だが、それの鑑定まではできなかった。

「たぶん、人? がいる。」

 タツトの言葉にルドルフがギョッとした顔になった。

「その子ども、今、詠唱なしで鑑定術を使ったのか?」

 ソフィーはルドルフの方を無表情でちらっと見ただけで何も答えなかった。

「ガンフ。」

 ソフィーが声をかけると、ガンフは素早く動いて、うめき声が聞こえる扉のところまで行き、開けた。

 そこには、グルグルに包帯を巻かれて鎖につながれたミイラのようなヒト型の何かが自由になろうと呻き暴れていた。
 包帯からは黄色や茶色い汁があちこち染み出していた。

 すぐに鑑定をしたタツトは凍り付いた。
 それの鑑定結果にはこう出ていたのだ。

≪鑑定:屍/名:ソフィー/能力:呪い≫

「タツト、あれは何だ?」

 ソフィーの問いにタツトは首を横に振って部屋の反対側の奥まで後ずさった。腕の装置に乗せたケオを今にもけしかけそうな姿勢だ。
 目を見開き、ガチガチ歯を鳴らして震えている。

 ソフィーは立ち上がるとタツトの元へゆっくりと移動した。
 タツトの腕の上で攻撃態勢になっているケオを抱きかかえて受け取ると、彼女は優しい声で言った。

「タツト? こっちを見なさい。こっちを見て。あれは何?」

 タツトは恐怖にかられた表情でソフィーを見ると、消え入りそうな小さな声で彼女に鑑定結果を伝えた。
 ソフィーはある程度予想していたようで、それほど驚いた様子はなかった。

 鑑定結果を聞くと同時に、ガンフが素早く動いて、ルドルフの背後に回り、その首にナイフを突きつけた。
 ルドルフはガンフの身体能力をよく把握しているようで抵抗しなかった。

「説明してもらおうか?」

 ソフィーが低い声で言った。

「解ったよ、ついておいで。」

 ルドルフがガンフの方に視線を動かしながら言った。

「ガンフ、離してやって。」

 ガンフはルドルフから離れた。

 ルドルフは首をさすりながら、屍がわめいている方へ行くと、それに向かって何かを唱え始めた。

 すると、ガクッと屍の首が下がり大人しくなった。
 続いてそれの脇を通って扉のさらに奥へと進んで行ったので、全員彼に続いた。

 タツトはソフィーからケオを受け取ると、肩に乗せた。
 先ほどよりは少し気持ちが落ち着いていたが、ルドルフに対する嫌悪感は増していた。

 あんな奴とソフィーは本当に愛し合っていたのか?

 そのことばかりがタツトの胸の中でぐるぐる巡って消えてくれなかった。

 ルドルフについて扉の奥に入ると、そこは何かの祭壇のようになっている部屋だった。
 瓶の中の黄色っぽい液体に入った臓器や皮膚、神経などが何らかの法則に従っておかれているようだった。

 それらを鑑定していくと、どれもソフィーのものであることがわかった。
 タツトはここで何が行われているのか概ね察しがついていたので、もう驚きはしなかった。

「もう解っていると思うが、わたしはここで、お前を再び作り出そうと実験を重ねている。」

 呪われている…。タツトは心の底から怒りが湧いてくるのを感じていた。
 ちらっと横を見ると、ガンフも同じような気持ちなのか、唇を噛みしてめて怒りの表情をしていた。

「だけれど、どの子も ≪ファントム・ドレイン≫ にやられてこのざまだよ。何度やってもお前のような完璧な人形は作り出せない。こうなってしまうと、どんどん腐ってただの肉の塊になるだけだ。」

 ソフィーは振り返るとルドルフの顔を思い切りグーで殴った。
 これにはルドルフも驚いたらしく、頬を抑えてソフィーを無言で見返した。

「呪われている…」

 ソフィーはそうつぶやき、このおぞましい部屋から出て行った。
 タツトたちも彼女の後を追おうとした時、うなだれていた屍が顔を上げ、ソフィーに向かって黒い霧を吐き出し吹き付けた。

 黒い霧は筋になってソフィーの体の周りを取り囲み、そして、彼女の鼻からあっという間に体内に入ってしまった。
 ソフィーは苦しそうに胸を抑えながらソファーのところまで歩いて行ったが、そこでバタリと倒れてしまった。

「ソフィー!!」

 すぐにタツトが駆けつけたがソフィーの意識は既になかった。
 彼女を抱き上げ腕の中に抱えると、タツトは彼女の状態を鑑定した。

≪状態:呪い≫

「子ども、それは呪いだ、解く方法は…」

 ルドルフが近寄って来た。
 タツトはこれまで感じたこともないほどの怒りが、自分の体内から放出されるのを感じた。
 これ以上は抑えきれなかった。

「来るなっ!!!!」

 タツトが叫ぶと同時に、彼の周りにツル状の植物がバリバリバリと出現した。
 その植物はタツトとソフィーを取り囲むように伸びて、やがて彼らを完全に覆ってしまった。

 その植物は茨だった。鋭い棘が近寄ろうとする者を寄せ付けなかった。

「おい、ガンフ、これは何だ?」

「ドライアドの力だよ。たぶん。」

「何だって!?」

 外からガンフとルドルフが会話している声が聞こえて来た。

 タツトの中から先ほどの怒りは嘘のように消えていた。
 彼らと共に茨の中に閉じ込められたケオが心配そうにソフィーを見下ろしていた。

「ケオ…ごめんな怖い思いをさせているね。大丈夫。僕が何とかするよ。」

 言いながらタツトはソフィーの黒髪を愛おしそうに撫でた。

「ねえ、ルドルフさん。この呪いを解くにはどうしたらいいの?」

 落ち着いた声でタツトは言った。

「子ども、まずそこから出て来なさい。その呪いはわたしでないと解けな…ぬっぐ。」

「ルドルフ、まずはタツトに呪いを解く方法を教えろ。」

 おそらくガンフがまたルドルフの喉にナイフを突きつけているのだろう。
 見なくてもタツトにはその様子がわかった。

「わかったよ、わかった。その呪いは、単純なものだ。真実の愛があれば解くことができる…ぐぐう…なんだよ、教えたじゃないか。」

「真実の愛で解けるなら、なんで “わたしでないと解けない…” とか言うんだよ。」

「だって、そうではないか? ソフィーを一番愛しているのは、このわたしだ。」

 ドスっという音がしてルドルフのうめき声が聞こえた。

 タツトはソフィーにもらった絵本のことを思い出していた。
 百年の眠りについた姫が王子の口づけで目覚めるのだ。

 ごくりと唾を飲み込んで、タツトはそっとソフィーの頬に口づけをした。
 ソフィーは起きなかった。

 意を決してタツトはソフィーの唇にそっと唇を重ねた。
 電気が走るような感覚がして、タツトの全身がしびれた。

 思わずソフィーから顔を離した。
 今まで恋人らしい相手ができたこともあったが、こんな感覚になったことはなかった。

 こんな子供じみたキスではダメだ…。タツトはそう思い、今度はもっと愛情をこめてソフィーに口づけをした。
 ソフィーを抱き寄せている手に力がこもり、脳内にエンドルフィンが放出され、タツトは幸福感に満たされた。

 しかし、ソフィーは起きなかった。

 起きない…。

 僕ではソフィーは起こせない…。

「子ども、諦めろ。お前にはソフィーは起こせない。わたしはソフィーと何百年も一緒にいたのだ。彼女のことなら何でも知っている。どうしたら彼女が喜ぶのか。どこをどう触れられるのが好きなのか。お前はその女のことをどれほど理解していると言うのだ。」

 タツトは絶望した。確かにルドルフの言う通りだ。自分はソフィーについてこれっぽちも知らない。
 タツトは静かに泣き始めた。涙がポタリポタリとソフィーの頬に落ちた。

 それと同時に、周りを覆っていた茨の要塞がカサカサと音を立てて崩れ始めた。
 茨は小さな粉になると、あっとゆうまに消えてしまった。

「わたしと代われ、子ども。」

 ルドルフが乱暴にタツトをソフィーから引き離した。
 茫然としているタツトは後ろに倒れた。

 ケオがバサッと翼を広げてルドルフに飛び掛かった。

「うるさい鳥め。」

 そう言うとルドルフは手に持った鋭い何かでケオを刺した。

 ギャァアアァァッッッッーーーーと空気をつんざく悲鳴を上げて、ケオが床にドサリと落ちた。
 胸から血を流している。

「ケオ!!!!」

 慌てて駆け寄り抱き上げたタツトの腕の中で、ケオはビクンビクンと痙攣していた。

「おまえぇーーーッ!!! よくもケオをッ!!」

 ルドルフに掴みかかろうとするタツトをガンフが後ろから押さえた。
 彼は優しく、しかし力強くタツトとケオをその腕で包み込んだ。

「放せ! ガンフ! 何でだよ! ケオがやられたんだぞ! それにソフィーが!!!」

 ルドルフはソフィーをソファーの上に横たえて、今にも口づけしそうな姿勢になっていた。

「やめろぉーー!! ソフィーに触るな!!」

 叫び暴れるタツトをガンフは一層力を込めて抑えた。

「まて、タツト、今行くとお前もやられる。それに、よく見ていろ。死ぬ気でこれを見ているんだっ!!!」

 ガンフが強い口調で言った。

 タツトは嗚咽を噛み殺しながら、ルドルフのすることを見た。

 ルドルフはうっとりした目でソフィーを見下ろすと、その髪を撫で、何かを囁いているようだった。
 そして、ソフィーの唇に口づけをした。

 その行為に虫唾が走り、タツトは再びルドルフに飛び掛かろうとした。
 が、ガンフに押さえつけられて動けなかった。

 タツトにとっては永遠とも思える長い間、ルドルフはソフィーに口づけていた。
 そして、やっと顔を離したかと思うと、今度は神妙な面持ちでソフィーを見下ろしていた。

 ソフィーは起きなかった。ピクリとも動いていない。

 タツトはこの展開に少しほっとしていた。
 万が一、ルドルフのキスでソフィーが起きるようなことがあれば、その場で舌を噛んで死のうとまで思っていたのだ。

「やっぱり、起きねぇよな。」

 ガンフがぼそりと言った。
 そして、立ち上がるとソフィーに夢中になっているルドルフの背中を思い切り蹴り飛ばした。
 すかさずルドルフが反撃に出ようとしたが、ガンフの方が早かった。

 ガンフの渾身の拳が見事にルドルフの顔面を捉えていた。

 ドシャッという音がして、ルドルフはその場に崩れ落ちて気を失った。

「ずらかるぞ。」

 ソフィーを抱え上げながらガンフが言った。
 タツトは頷き、ケオの遺体を抱いて立ち上がった。

 立ち去り際に、ガンフが棚の上の大きな蝋燭を取って、屍のソフィーに向かって投げつけた。
 屍はあっとゆうまに燃え上がり、回りのものにも引火した。
 ソフィーの臓器が入った瓶が熱で割れると、中の液体が激しく燃え始めた。

 二度とソフィーは作れないだろう。

 彼らはルドルフの家を後にした。
 ガンフが全員を抱えて待っていたルルフの背中に乗った。

 ルルフの背中の上で、タツトはソフィーの顔や唇を自分の服の袖でゴシゴシ拭いた。
 ルドルフに触れらた場所が穢れているような気がしてしまったのだ。
 そして、彼は声を出して泣いた。
 それをガンフがしっかり抱きかかえてくれていた。

・・・

 タツトは自分のベッドで目を覚ました。
 朝になっていた。
 昨晩、家についてからのことはよく覚えていなかった。

 ガンフに言われてケオを庭の片隅に埋めたところまでは覚えているのだが、そこから先が曖昧だった。
 ベッドから降りて部屋を出ると、ガンフが廊下に椅子を出して座っていた。

「ソフィーは?」

 ガンフが顎で彼女の部屋を示したので、見ると、少し開いた扉から、ソフィーが眠っているのが見えた。

「ルドルフは? どうなったの?」

「わからねぇ。死んでねぇと思うが。」

「ルドルフを通報しないの?」

「まさか!? その瞬間にソフィーと俺の死刑も確定だぞ。」

「…ああ、そうか。でもソフィーを襲いに来たりしない?」

「うーん…。たぶん大丈夫だ。あいつはもう長く持たねぇよ。あの様子だと、ソフィーが既に自分のものではないって思い知ったんじゃねぇかな。唯一の生きがいを失って ≪ナイトメア≫ を押し返し続けるのは無理だろう。」

 ルドルフの孤独を想い、タツトは少しだけ気の毒に思った。

「朝食を用意してくるから、ソフィーの様子を見ててくれ。」

 よいこらしょと腰を上げながらガンフが言った。

 タツトはソフィーの部屋のドアを開けて、中を覗いた。
 ソフィーはスヤスヤと眠っていて、苦しそうな様子はなかった。

「タツト。ソフィーは何年かは寝たきりでも大丈夫だ。時間がかかってもいい。お前の想いを伝えて彼女を起こせ。」

 部屋の入口で躊躇しているタツトの背中をガンフが優しく押した。

 許可なしに入ってはいけないと言われている部屋だったが、タツトは入って行って、ベッドに腰を下ろした。
 何もできない…と思った。

 思い詰めている様子のタツトを見ると、ガンフも部屋に入って来て彼の横に座り、肩に腕を回した。

「俺はソフィーの分身みたいなもんだから、この術を解くことができない。お前がやるしかないんだ。」

 うん…とタツトは答えたものの。まるで自信はなかった。

 ガンフはポンポンとタツトの肩を叩くと朝食を作りに部屋を出て行った。

 タツトはもう一度ソフィーを見下ろした。
 規則的な寝息が深い眠りを意味していた。

 タツトはソフィーの黒い髪を撫でながら考えを巡らせた。

 ソフィーへの揺るがない想いがあるのは確かだった。

 だけれど、どうしてもルドルフに言われたことが頭の中にこだましてしまうのだった。

(彼女のことなら何でも知っている。どうしたら彼女が喜ぶのか。どこをどう触れられるのが好きなのか。お前はその女のことをどれほど理解していると言うのだ。)

 タツトはブンブンと首を振ってその思考を追い出すと、そっとソフィーの額にキスをして立ち上がった。
 無論、ソフィーは起きなかった。

 こんな中途半端な気持ちの自分ではダメなのだ。
 ソフィーの心には届かない。

 居間に行くと、朝食ができていた。
 タツトは朝食を食べながら、正直に今の心境をガンフに打ち明けた。

「ふん、なるほど。お前の気持ちはよくわかるぞ。」

 ガンフは共感してくれた。

「ルドルフという男に遭遇して、これまでと同じにできなくなったんだろう?」

「うん、そんなところかな。」

「ソフィーが再生された人間だと知ってどうだ?」

「それは驚くほど影響がない。ソフィーがソフィーであることには変わりない。だけど…」

「やっぱりルドルフか…」

 タツトは悲し気に頷いた。

「男っていうのはな、悲しいことに、想った相手に純白を求めてしまうもんなんだよ、特に若いうちはね。目の前であんなものを見せられたら参ってしまうのも解る。だがな、はっきり言ってそんな考えはクソ以下だ。お前がソフィーを目覚めさせるためには、どうしても乗り越えねぇといけない。」

 …そんなことは重々解っているのだった。

「ルドルフは執拗にお前に精神的な攻撃をしていた。それは裏返せばお前からソフィーを奪い返そうと必死だったてぇいうことだ。姑息な手を使わないと勝てねぇと思ったんだろうよ。惨めな男だ。まあ、そうさせてしまったのは一度死んじまったソフィーと、その命を守れなかった俺の責任でもあるんだ。」

 その言葉にタツトは少し驚いた。
 これまで自分の気持ちのことばかり考えていたが…ガンフも彼なりの重荷を背負ってしまっていたのだ。

 タツトはますます自分が嫌になってしまった。

「なあ、タツト、過去は過去。何をどうしても消えない。でももう清算済だ。お前は今、目の前のソフィーを見るんだ。お前と一緒に暮らしている穏やかな彼女のことだ。そして人知れず苦しんで来た彼女だ。」

 …目の前のソフィー。タツトは自室で眠っているソフィーの顔を思い浮かべた。

「お前は自分で全く気が付いてねぇようだけど、お前はソフィーの一番のお気に入りだよ。俺は長年ソフィーと一緒にいるけど、こんなに他人のことを気にかけているのは見たことがねぇ。今度はお前がソフィーを支えてやれるようになって欲しいんだよ俺は。ソフィーにはお前が必要だ。」

「解っている…解っているんだけど。僕は自分が情けない。まるで自信が持てないんだ…。この間エミーに言われたとおり、僕は半端ものだ。誰にもなれていない。人間でもなければドライアドでもな…」

「それは違げぇぞ、タツト。」

 ガンフが強い口調でタツトの言葉を遮った。

「“どちらでもない” じゃねぇ。“どちらでもある” だ。この俺も、半竜半人だが、恐竜でもあり人間でもあると思っている。どちらの特徴も持っている。ケオだってそうだ。恐竜でもあり鳥でもあるんだ。まあ、鳥はそもそも恐竜だが…。お前は、人間でもありドライアドでもある。両方のいい所をどっちも持っているじゃないか。悲観的になればいくらでもなれる。町でコソコソ生きている奴らの言葉に惑わされてるんじゃねぇよ。」

 ガンフは勢いよく立ち上がると、タツトの元へ歩み寄り、力いっぱい肩を掴んで来た。

「いいかタツト。ごたごた言ってねぇで自分と向き合い、自分を認めて、ソフィーにその想いをぶつけろ。ソフィーを起こせるのはお前しかいねぇ。お前しかいねぇんだよ!」

 そう言い捨てると、ガンフは家を出て行ってしまった。
 タツトは少しショックを受けたが、ガンフの底知れない愛情も感じていた。

 ガンフの代わりに二人の食器を片付け、タツトは再びソフィーの元へと行った。

 ソフィーは相変わらず穏やかな顔で眠っていた。
 タツトはソフィーの頬を撫でると、そっと唇に口づけた。

 ソフィーは起きなかった。
 ぴくりともしなかった。

「ソフィー。僕は情けない奴だ。ガンフにあんなに言われたのに、まだ尻込みしている。心の中も全く整理できていない。でも僕にしかできないことだって理解した。ソフィー、君が大好きなんだ。」

 タツトはもう一度ソフィーに口づけた。
 ソフィーは起きなった。

 タツトはしばらくソフィーを見つめてから部屋を出て行った。

 ガンフは昼には帰って来て普通に昼食を作ってくれた。

 その晩、タツトはソフィーのベッドに入って眠った。
 これから彼女が目を覚ますまで、こうやって一緒に寝ようと決めたのだった。

 それから毎日、タツトは朝起きるとソフィーに自分の考えを語り、口づけをした。
 昼間は仕事に行き、夜はソフィーのベッドに入ってその日の出来事などたわいのないことをソフィーに話して聞かせた。

 これを何日か続けていると、ルドルフのことは多少、どうでもいいと思えるような気持ちがしてきた。
 ルドルフにはこんなことはできないだろう。どこか自信にも似た気持ちが芽生えてきていた。

 こんな生活がすっかり日常となった百日目の朝。
 ソフィーが目を覚ました。

「タツト。私のベッドで何をしている?」

 目をあけた彼女はまずそう言った。
 タツトは慌てて布団から出ると、ベッドに座りなおした。

「あ、あの、ごめん。僕…」

「お前の声が聞こえた。ずっと聞こえていたよ。それを追って戻って来れた。」

 ソフィーはむくりと身体を起こすと、微笑んだ。
 タツトが泣き始めると、ありがとう、と言って優しく肩を抱いてくれた。

 気配を察してガンフが部屋にやってきた。
 ソフィーが起き上がっているのを見ると無言で飛びつき、タツトとソフィーに腕を回して、二人にキスの雨を降らせた。
 ガンフも泣いていた。

 ソフィーは母親のような顔でガンフの涙を拭き頭を撫でやった。

「ケオはどうした?」

 ソフィーが周りを見ながら言った。いつもいるはずのケオがいないことに気が付いたのだ。
 暗い表情になったタツトはぼそりと「死んじゃった…」と言った。そしてまた泣き始めた。

 ガンフがそんなタツトの肩に手を置き、ポケットから一枚の羽根を取り出した。
 ケオの羽だった。

 タツトは理解できずにその羽根をキョトンと見た。
 ガンフはソフィーにその羽根を渡した。
 羽根を受け取りながらソフィーは言った。

「タツト、私はネクロマンサーだぞ。」

 ソフィーがベッドから立ち上がろうとしたので、タツトはそれを支えた。

「生き返らせられるの?」

「当たり前だ。」

 居間に行くと、ソフィーはケオの羽根と石を並べ始めた。

「起きたばっかで大丈夫なのかよ。」

 ガンフが心配そうに言ったがソフィーは、まあまあとそれをなだめた。

「開。遂行、波。汝の根を辿り、その肉体の真実なる姿をここに再現せよ。波。」

 詠唱が終わると羽根が浮かび上がった。

 羽根から皮膚が育つように伸びて、まずは外側が作られた。
 化石から生成されたときと、順番が違っていて興味深かった。

 やがて、カラスほどの大きさの、美しい羽根の生えた生き物が姿を現した。

 紛れもなく、ケオだった。

「閉。」

 術を閉じると、ソフィーは少しよろめいた。
 慌ててタツトは彼女の体を支えた。

「ケオなの?」

 タツトは目の前の始祖鳥に話しかけた。
 始祖鳥は、クエーっと一声鳴くと、タツトの肩に乗った。

「僕を覚えている!?」

 タツトはケオの羽根を撫でた。お馴染みの感触だった。

「生きていた時の記憶は遺伝子にも刻まれる。この子はお前と過ごした記憶をちゃんと持っている。」

「ケオを生き返らせられるってなぜ教えてくれなかったの?」

 ガンフを振り返りながら、タツトは少し責める口調で言った。

「だって、お前、それを言ったら、ソフィーを起こす理由にケオが混ざって来て想いがブレるだろう?」

 確かにそうか…。タツトは納得した。ガンフにはかなわない。

 ソフィーは疲れた様子でソファーに座ると、そのまま体を横たえた。
 タツトが心配して傍らに腰を下ろすと、ソフィーは両手で顔を覆った。

「タツト。私は少し頭の中の整理が必要だ。君に側にいてほしいのも事実だが…今日はいつもどおり町へ仕事へ行きなさい。」

「でも…ソフィー。」

 ソフィーは両手を顔から下ろした。
 彼女の緑色の瞳がタツトを見上げていた。
 何の躊躇もない、真っ直ぐな視線だった。

「わかったよ、ソフィー。夕方には帰って来るから。」

「ソフィーには俺がついているから。タツト、大丈夫だ。」

 ガンフが言った。

 タツトは普段通りに仕事場へ行った。
 もちろんケオも連れて行った。町の知り合いにはケオは死んだと話していたので、二代目ケオだ、と誤魔化して話した。

 その日、仕事にはなかなか集中できないだろうなと思ったが、こんな日に限って、いつもより多くのお客が来た。
 いつしかタツトは仕事に夢中になっていて、あっというまに一日が終わっていた。

 急いで家に帰ると、ガンフは夕食を作っていて、ソフィーはソファーでお茶を飲んでいた。

 タツトが帰って来たのに気が付くと、ソフィーは隣に座るように仕草で示した。

「ガンフから概ね話は聞いた。」

 それだけ言うと、ソフィーはじっとタツトを見つめた。
 彼女の表情から、そこに言葉にできない様々な感情が渦巻いているのがわかった。

 タツトは黙ってソフィーの視線を受け止めた。

 やがてソフィーはふっと微笑んで、いつもの表情に戻った。

「私が今、一番恐れていることが何かわかるか? タツト、私はお前を失うことが何よりも恐ろしい。もしもお前が死んでしまったら、私もルドルフと同じことをするだろう。あの人がしたことを許す気はないが、責めることもできない。」

 ソフィーがルドルフのことを肯定するの聞き、タツトの中に少しだけ嫉妬の気持ちが渦巻いたがが、そよ風程度で消えて行った。

「屍の呪いが解け、私は目覚めることができたが、≪ファントム・ドレイン≫ はこれからも現れ続けるだろう。」

「そうなの?」

 タツトは少し驚いて言った。ソフィーが目覚めて全て解決した気持ちになっていたのだ。

「あれは私が生きている限り出続ける。解除はできない。」

「そんな…」

 これから長い長い年月、ソフィーがずっとあれと向き合っていかなければならないと想像すると、心の底からゾッとした。

「そこで、お前に頼みがある。」

 ソフィーはまっすぐタツトの方を向きながら言った。
 タツトは何だろう…と背筋を伸ばして聞く姿勢になった。

「今後、あれが出ても、お前はついて来ないでほしい。」

 てっきり、一緒に戦おうと言ってくれるのかと思ったが、真逆のことを言われて、タツトは面食らった。
 そして、自分が相当うぬぼれていたことを思い知った。

「なんで…」

 タツトは自分でも意識していなかったが、ハラハラと涙を流して泣き始めた。
 ソフィーは表情を変えずに、人差し指でタツトの涙を拭ってくれた。

「泣くことはないだろう?」

「どうして、僕は一緒に行ってはダメなの? 僕には頼ってくれないの?」

「そうではない。あれと向かっている間、私は自分のことで精一杯だ。お前を助けられない。」

 タツトはさっきまで心が通じ合ったと思った相手に突き放されてしまったように感じて、ますます涙を流した。

「ほら、ソフィー。だから、そんな言い方じゃタツトには伝わらないよ。」

 いつの間にか側に来ていたガンフが言った。

「ソフィーはお前が怪我したり、最悪死んだりするのを極端に恐れているんだよ、タツト。お前のことが不要だと言っているわけではない。」

「うん…解ってる。でも、一度見てしまったから。あんなのとソフィーが向き合っているのに、家で待っているなんて僕にはできないよ。」

 ソフィーは困った顔でガンフに助けを求めた。
 ガンフはやれやれといった表情で肩をすくめた。

「じゃあ、俺がタツトを力づくで押さえておくから、ソフィーは気兼ねなく行ってくれ。」

 それでソフィーは納得したようだった。
 ガンフがその気になったら、一晩タツトの自由を奪うことなど屁でもない。

 そう、屁でもないのだ。

・・・

 真夜中の永久墓地にて。

 ソフィーは黒い影と向き合っていた。

 ≪ファントム・ドレイン≫。

 呪いから目覚めて半年間、全く動きがなかったが、やはりやって来た。

 タツトのおかげで、こいつにはどんな術も効かず、重力を操っていることを知ることができた。
 それから、これまでの経験から、あの影の中に浮かぶ不気味な目玉をもぎ取るとすぐに消えることが解っている。

 とにかく、重力に押しつぶされないように近づき、あの目玉を取ればいいのだ。
 それだけのことに一晩かかるが、肉体的な疲労のみで、精神はやられない。

 私は大丈夫だ。
 ルドルフのように人格が変わったりはしない。…はずだ。

 ソフィーはこれまでずっとそうやって対応してきたし、それ以外の方法は思いつきもしなかった。
 ただ、本能に従い、目玉をもいできたのだ。

 取った眼玉は今まで地面に捨てていたが、先日ルドルフの所に持っていて初めて、持ち出しても消えないものだと知った。
 持ち歩くのは二度とごめんだが…。

 ソフィーは出現した ≪ファントム・ドレイン≫ に向かって、足を踏ん張り、一歩、一歩、近寄っていた。
 時々膝をついて休み、また渾身の力を込めて立ち上がり、前進する。

 そうして集中していると、誰かの手を背中に感じた。
 ゾッとしてゆっくり首を回し見ると、タツトが襲い掛かる重力に耐えながら立っていた。

「タツト!! 何をしている!」

 気がそれてしまったソフィーは膝をついてその場に倒れそうになった。
 それをタツトが支える。

 驚いているソフィーの顔を覗き込んで、タツトはニヤリと笑った。

「遅くなってごめん。ガンフを説得するのに時間がかかちゃって。」

「来るなと言っただろう。」

 そんなソフィーの非難の声をさらりと流して、タツトは手に持った虫取り網のようなものを前に伸ばした。

「やっぱり、この重力は生体にしか作用してない。」

 あっけにとられているソフィーを片腕で支えながら、タツトはスルスルと虫取り網を伸ばしていった。

「この間のことをよく考えて気が付いたんだ。体は重たくなるけど、服や身に着けている物は重くならない。だから、これが使えるんじゃないかなって…」

 タツトの網は、≪ファントム・ドレイン≫ の目玉の近くまで伸びた。

「ダメだ、腕が重い。ソフィー。しばらく自力で体を起こしていられる?」

「もちろんだ。」

 ソフィーが片膝をつき、自分を支える姿勢になった。
 それを確認すると、タツトも膝をたてて、両手を支えると、伸ばした網を操作した。

 まずは左目。うまく網に引っ掛けぐっと引っ張ると、ブチっと音をたてて取れた。
 ≪ファントム・ドレイン≫ は痛がるような仕草は見せなかったが、腕と思われる部位を伸ばして左目のあった場所を触っているようだった。

 心なしか、重力が少し和らいだ気がした。

 続けてタツトは右目も同じ要領でもぎ取った。

 それと同時に ≪ファントム・ドレイン≫ は消え、重力もなくなった。

 二人は地面に倒れて、息を整えた。

「ガンフは何をしてる? どうやってここに来たんだ?」

「言いくるめられたんだよ。」

 声がしたのでソフィーは体を起こした。
 ガンフがすぐそこに立っていた。肩にはケオが乗っている。

「お前が言う通りだ、入って来れた。」

 ガンフがタツトに言った。

「だろ? あれが消えたら普通に入って来れると思ったんだ。」

「私にもわかるように話してくれる?」

 ソフィーが不機嫌そうに言った。

「その前に…、これいつもどうしているの?」

 タツトが虫取り網の中に入っている二つの目玉をぶらぶらさせながら言った。

「その辺に捨てている。」

 それを聞くと、タツトはスルスルと網の柄を縮め、自分の足元に目玉を落とした。
 べちょっと嫌な音がした。

 そして、何を思ったのか、ポケットから小型のナイフを取り出すと、その目玉の表面を切って、中を開けた。
 ドロッとした茶色い液体が出て来て、ひどい臭いがした。

「おい、タツト、何してんだよ。」

 ガンフが鼻を押さえながら後ずさった。

「この目玉の中身は、≪コアデータ≫ と出るけど、何か知ってる?」

 ソフィーは首を振った。聞いたこともない言葉だった。

「とりあえず、この不気味な場所にはもう用はないんだろう? ずらかろうぜ。」

 ガンフの提案に一同賛成した。

・・・

 家にもどり、全員がしっかり風呂に入り終わっても、まだ朝には程遠い時間だった。

 タツトは思い切ってソフィーの部屋に行ってみた。
 彼女は灯りを消した部屋で窓際に立って外を見ていた。

 満月が空に輝き、部屋の中は充分相手が見える明るさだった。

 タツトが入って来ても、ソフィーは自然にそれを受け入れてくれた。

「あの目玉には、≪ファントム・ドレイン≫ の全ての情報が入っていそうだけど…解読には時間がかかりそうだよ。」

 タツトは世間話をするかのように、平常を装って話しかけた。
 内心は心臓が口から飛び出そうなほど緊張していた。

 ソフィーにこの家から追い出されるかもしれないとの覚悟もあった。

「お前に来て欲しくなかった…」

 ソフィーは小さな声で言った。怒ってはいないようだったが、悲しそうだった。
 タツトは彼女を抱きしめたい衝動をどうにか抑えて、冷静な声を出すように努力しながら話を続けた。

「もう無茶はしないよ。次からはソフィーがあの網を使ってほしい。使い方は解ったでしょう?」

「それを私に見せるためだけに入って来たのか。」

「そうだよ。ソフィーはどうしても僕がこの件に参加することを拒絶するけど…」

「拒絶してるのではない。お前を失いたくないだけだ。」

「ねえ、ソフィー。僕をもっと活用してよ。ソフィーを失いたくないのは僕だって同じなんだ。ソフィーをあれから解き放つことは不可能ではないと僕は感じている。ただの希望かもしれないけど。僕は何百年…いや何千年かかったとしても、その方法を見つけてみせる。だから、僕にも参加させてほしいんだ。」

 ソフィーはじっと黙ってタツトを見つめ返した。

「その想いは重く受け止めよう。まあ、お前を止めることはもう無理だろう。危ないことはしない、それだけ私と約束してほしい。」

「わかったよ。ソフィーも独りで全てどうにかしようとするのをやめてね。」

 ソフィーもそれを約束した。

「あと…もう一つ確認しておきたいことがあるんだけど…。」

「何?」

「ソフィーは、その…僕がなぜこんなに君に関わろうとするのか、その真意はわかっているの?」

 その問いにソフィーは少し、意外…という顔をした。
 そして、うふふと微笑んだ。

「わかっているとも。だけど、それに向き合うのは、お前がもっと成熟してからにしようか。」

 タツトは、えぇぇ…と声を出して、子供に戻ったような表情になってしまった。

(おしまい)

当物語の扉絵および本文に挿入されている始祖鳥の絵は 橘鶫TsugumiTachibana さんの作品です。

あとがき →

画像1

おまけ

物語をイメージして作った曲



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