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[読切] 水水水水氷水水水水 [俳句で小説]

水水水水氷水水水水

この一句から発展した物語


「おい! リコ! そっちに行ったぞっ!!」

「あ! はい! わ!! あわわわ~!!!!」

 大きな虫取り網を持って待ち構えていたリコは、標的の予想外の動きに翻弄されて盛大にしりもちをついた。

「いたた~」

「こらぁ~リコぉ~!! 何やってんだっ!!! ほら、そっちに逃げたぞ!!!」

 チームリーダーの清水が駆け抜けながら叫んだ。

 慌ててリコも立ち上がり後を追う。

 先週成人したばかりのリコは衛生班見習い一年生。そろそろ正式採用のお声がかかってもいいころなのだが、何しろ近年稀に見るドジっ子だ。
 このままでは見習い期間の最長記録を更新してしまう…。

 リコは必死で清水の後を追おうとしたが、その矢先に再び足元の何かにつまずいてコケてしまった。

 ここはそれはそれは古い倉庫なので、棚も入り組んでいるし、いろいろなものが床に置きっぱなしになっているのだ。

 ああ、もうだめだ。追いつけない…。

 リコはあきらめてゆっくり立ち上がると、清水が消えて行った棚の間を進んで行った。
 すると向こうから清水がボウガンに何かをぶら下げて戻って来た。

「お前なぁ…何してたんだよ」

 清水は呆れた声で言った。

「す、すみません!!」

 リコは必死で頭を下げながら、ボウガンに刺さっているものにチラッと視線を移した。

 それはネコほどの大きさの生き物の死骸でとても邪悪な形状をしていた。
 見ているだけで寒気がしてくる。

「な、何なんです? それ?」

 リコは恐る恐る顔をあげると清水に訊ねた。

「ネズミだよ。見てわかるだろう」

「え"…それネズミなんですか?」

 ネズミは今まで何度も見たことがあったが、こんなのは初めてだった。
 リコの様子に清水は表情をゆるめた。

「初めて見るのか? こいつはクロオオネズミってやつだ。ずる賢いからなかなか姿を見せない」

「そうなんですね…気持ち悪い奴ですね…」

「そうだ、気持ち悪いだろう。じゃあ、こいつの処理は頼んだぞ」

 そう言うと清水は図他袋にクロオオネズミの死骸を入れるとリコに渡した。

「うええ~!!! 私が…?」

「当たり前だろう、見習いくん」

 リコは図他袋を受け取るとなるべく自分から遠ざけるようにして持った。

「じゃあ、頼んだぞ。跡形もなくよろしくな」

 そう言い捨てて清水は行ってしまった。

 クロオオネズミの死骸と共に一人残されたリコは、急に心細くなり足早に倉庫の出口へと向かった。

 ここはヒューズイコロニオの第3層。
 現存する最も古い倉庫のひとつである。

 今から約千年前、戦争と環境破壊にあけくれた人類は汚染された地上を捨て地下に潜った。

 ヒューズイコロニオは世界で五番目に作られた地下シェルターから発展した都市で、時代を追うごとに地下へ地下へとその領域を伸ばして来た。

 現在は400層からなる巨大都市を形成しており、二百年前にはほぼ現在の状態となっていたと言われている。

 下に伸びて行った建造物であるため、上に行くほど古い。

 リコが今いる上層部はほとんどが建造初期の産物を保管する施設で人が出入りすることはほぼない。
 いるとすれば、いまリコが持っているネズミかその他の害虫や害獣たち…。

 こいつらを退治するのが、清水率いる上層階駆除チームの仕事だった。

 衛生班というから掃除係みたいな仕事を想像して応募したのだが…。
 こんなハードワークだとは想定外だった。パンフレットをよく読まないリコが悪い。

 リコは80層まで下り、そこにある駆除専用焼却炉にネズミ入りの図他袋を放り込むと、人間が暮らすエリアへと向かった。

 のだが、その途中で道に迷ってしまった。

 端末を取り出して地図を表示するも、上層階は電波が悪いので自分の位置が正確に把握できなかった。

 今まで何度も通った道なのに、迷うとは…。
 リコは自分にうんざりしながら見覚えのない通路をウロウロ歩いた。

 自分がいるのは80層のはずだが、この通路はもっと古い感じがした。

 …こんなところあったけ?

 リコは自分が迷子になっていることを忘れて、この古い通路にすっかり子心を奪われていた。

 ヒューズイコロニオには誰も使わなくなって忘れられた通路や領域がたくさんある。
 特に上層階にはそういった場所が多いのだ。

 この通路はもしかしたら秘密の場所へと繋がっているのかもしれない。

 リコの好奇心は最大に膨れ上がっていた。

(もしかしたらこれは、地上に繋がる秘密の通路かもしれない…)

 地下世界で産まれたリコは地上に憧れていた。

 語り部をしていた曾祖母から夜な夜な聞いていた物語。
 かつて人類が地上で暮していた話。

 地上には屋根がなくて、代わりに空と言うものがあり、夜にはキラキラと輝く無数の星というものが見えるのだということ。

 リコはどうしてもそれらを見たいと思っていた。

 現代の人々が、なぜこんな閉ざされた地下の世界に満足して生活しているのか…リコには理解できなかった。

 みんなが恐れているのとは違って、人が住まなくなった地上は本来の美しさを取り戻しているに違いない。

 出られるのなら出たらいいじゃない?

 それがリコの人生感だった。
 リコはヒューズイコロニオには出入口があるものと信じてずっと探していた。

 衛生班に志願したのも、掃除をするついでにあちこちを探し回れるのではないかと期待したからだった。

 まあ、言うほど自由もなくて、これまで全く探索はできていなかったのだが。

 しかし今日は、意図せず…決してわざとではなく、偶然に、彼女は未知の通路を発見してしまったのだ。
 これは事故だ。リコは何も悪くない…。何も悪くないはず…。

 リコはそう自分に言い聞かせながら、古い通路を進んで行った。

 通路はしばらく行くと行き止まりになっていた。

 リコはがっかりした。

 せっかく魅力的なそれっぽい通路を発見したのに…。

 そして折り返そうとした時、行き止まりの壁に何やら小さな模様が刻まれているのが目に入った。

 近寄ってよく見てみる。

 小さな繰り返しの模様で、美しい彫り物のようにきれいに並んでいた。

 それはこのように見えた。

『水水水水氷水水水水』

「何の模様?」

 思わず声に出しながら、リコは模様の上を指で触ってみた。

 すると、真ん中の『氷』の部分が緑色に点滅し、どこからか人が喋る声が聞こえて来た。

≪◎×&▼#%■…≫

 何と言っているのか解らなかった。
 ふと思い立って、考古学の授業の時に入れてそのままになっていた、古文解析アプリを急いで立ち上げてみた。

≪…てください≫

「やった!」

 最後の方しか聞き取れなかったが、これで翻訳できるようだった。

 はたと気が付いて、今度はアプリのカメラを起動し、壁のレリーフへと向けてみた。
 すると、その模様が文字であることがわかった。

 古い文字で「水」と「氷」を表すようだ。
 先ほどリコが触った時に光ったのは「氷」という文字だ。

「これ、文字だったのか」

 言いながらもう一度、並んでいる文字の上を指で触ってみる。

 「氷」の文字にリコが触れると、そこが光り、先ほどの声が再び聞こえた。
 今度は最初から翻訳することができた。

≪起動しました。DNA鑑定開始。《氷》に一致しました。残りの鍵を解除してください≫

 翻訳はできたが何のことかさっぱりわからなかった。

 だがしかし、大発見かもしれない。
 何だかさっぱり解らないが、古いものであることは間違いなさそうだ。

(ジュンなら何かわかるかもしれない…)

 ジュンはリコの幼馴染で、考古学に詳しい。

 リコは地図を起動すると現在地を確かめた。

「え"…」

 リコのいる場所は地図上の何にもない場所を示していた。
 そこは、公式の地図では何もない…というかヒューズイコロニオの外、つまり土の中ということになっていた。

 電波状況を確認したが、このあたりは正常に電波を拾っているようだった。

 つまり、この位置情報は間違えていないはず…。

 ますますこれは、とんでもないヒミツを暴いてしまったのかも!! とリコは興奮するのであった。

 ひとまず、現在地にピンをとめると、リコは端末をルート記憶モードに切り替えて、来た道を引き返しはじめた。

 幸い、地図上では何もない場所でもルートは記憶してくれているようだった。

 リサコは道のない地図と目の前の通路をにらめっこしながら、なんとかナビの使える場所まで辿りつき、そこから自分の居住区へと戻って来ることができた。

 詰め所に戻ると、予想以上に時間がかかったことに対して清水からお小言を喰らったが、リコは上の空でそれを聞いていた。
 一通りの説教を右から左へ受け流し、急いで本日の報告書をまとめ(もちろん謎の通路のことは伏せておいた)、ドタバタと職場を後にすると、その足でジュンの家へと向かった。

 ジュンの家につくと、リコはピンポンピンポンピンポンピンポン!!!! と何度も呼び鈴を押した。

 数秒後、眠そうな顔をしたジュンが出てきた。

「やっぱりお前か…そんなに何度も押さなくても…ちょっまてよ」

 リコはジュンの言葉を最後まで聞かずにズカズカと彼の家の中に入った。
 そして端末を彼の鼻先に突き出すと、先ほど古い通路で撮った古い文字のレリーフの写真を見せた。

「これ、何だと思う?」

 リコは自慢げにジュンに言った。
 ジュンは一瞬でこの写真に興味を引かれたようで、リコから端末を奪い取ると、まじまじとその画像に魅入った。

「何これ? どこで? いつ?」

 リコは80層の焼却炉から戻る際に迷子になってこれを見つけた経緯を説明した。

「ちょっとまて。焼却炉って、お前しょっちゅう行ってる場所だろ? なんで迷子になるんだよ…」

「いや…だって一人で行くのは3回目くらいだし…」

「まあ、いいや。ちゃんとルート保存してるんだろう?」

「うん」

 リコは保存したルートをジュンに見せた。
 ジュンは顎に指を添えるお決まりのポーズでそれをしばらく眺めた。

「このあたりは、考古学界でも何かの空間があるのではないかと噂されていた場所だな」

「へーそんなのどうやってわかるの?」

「打検だよ」

「だけん?」

「打検。いや、そんなことはどうでもいい。早速行ってみよう」

 リコはジュンがその気になってくれたので嬉しくなった。

 二人は業者用のエレベータを使って一気に80層まで登った。

 リコの保存したルートを確認しながら例の古い通路の入口まで来ると、ジュンは「おお…」という声を上げた。

「ね、ね? すごいでしょう? リコすごい?」

 リコは興奮してジュンに飛びついた。リコは無意識に幼いころのような口調になっていた。
 ジュンと話しているとこうなることがしばしばある。

「うん。これはすごいな。ここは今までただの壁だったところだ」

「え? そうなの?」

「うん。こんなところから通路は出ていなかったはずだ。俺もここは何度も来たことがあるし。そうか…だからリコは道に迷ったんだ」

 ジュンは独り言のようにブツブツ言いながら古い通路へと足を踏み入れた。

「この中も道がわかれいるんだな…」

「そうなんだよ。だから本当にここから出れないかと思ったよ」

「確かに。よく帰ってこれたな」

「うん、端末死んでたらアウトだったかも」

 そんな会話をしながら歩くこと数分。二人は例のレリーフのある個所に辿りついた。

『水水水水氷水水水水』

 ジュンは壁に走りよると、食い入るように、舐めまわすようにその文字を見た。

「確かに、古い文字だなこれ。やってみて」

 ジュンが古文解析アプリを立ち上げながら言ったので、リコは古い文字を指で触った。

 真ん中の『氷』が光り、先ほど同様にどこからともなく聞こえてくる声が言った。

≪起動しました。DNA鑑定開始。《氷》に一致しました。残りの鍵を解除してください≫

「ふむ…」

 しばらくジュンは顎に指を当てた姿勢で考えていた。
 そしておもむろに自分もレリーフに触れてみた。

 すると、今度は左から三番目の『水』が光り、声がこう告げた。

≪DNA鑑定開始。《水3》に一致しました。残りの鍵を解除してください≫

 ジュンの登場であっとゆうまに物事が進展したのにリコは驚いていた。
 いや、いつだってそうだ。わからないことがあると、ジュンがいつも解決してきた。

「すごいじゃん、ジュン!!! どうやったの?」

「いや、触っただけだよ。…なんかわかった気がする」

「え? 何が? 何がわかったの?!」

 リコは目を輝かせてジュンの顔を覗き込んだ。
 ジュンは少し顔を赤らめるとリコから離れて再び壁のレリーフへと視線を戻した。

「これ、ひとつだけ『氷』だろう? お前が触って光ったやつ。お前んちの古い苗字。」

「あ…? ひいおばあちゃんの? …氷室…あっ!!!!」

 ジュンが発見したことをリコも理解できた。

神9かみナイン…?」

「そうだ。これはきっと神9と関係があるものかもしれない」

 神9とは。ヒューズイコロニオに昔から伝わる家系の伝説だった。

 このシェルターを最初に作ったのは、当時国家的事業を受け持っていた『ヒューズイカンパニー』という建設会社だ。
 そして、その中でもエリート中のエリート、九人の技術者によってシェルター内の全てのシステムが構築されたと伝えられている。

 彼らはシェルターを守るために保護装置を設置し、その全ての権限を自分たちの親族のみに代々受け継ぐことと決めた。

 シェルターの住民たちもこの九人に絶大な信頼を寄せていたので、満場一致でこの決断を支持したらしい。

 九人はたちまちシェルターの英雄となり、後に神9と呼ばれるようになった。

 特別な家系として認められた彼ら九人は、それぞれ「水」に関わる苗字を名乗るようになり、他の家系と区別されてきた。

 特にリーダーだった家系にはこのシェルター内で唯一「氷」の文字を使用することが許され、大きな権限を持っていたと言われている。

 それから千年の時が流れ、今に至る。

 リコは「氷」一族の末裔だった。と言っても、今では受け継がれて来た秘密なんてものはとっくに失われてしまって、祖母の代で「氷室」の苗字を名乗ることすらやめてしまっていた。

 そう、今では神9の伝説だけが残り、あとは何も残っていないのだ。

 ジュンの苗字は「水上みなかみ」で神9の末裔とされていた。

 されていた…というのは、今となっては神9の末裔を名乗る家系が多くあって、どれが本当かかなり怪しい場合も多いのだ。

「お前、氷室家の秘密とか聞いてないの?」

「何も…。ひいばあちゃんがよく昔話してくれたけど、神9が起こした奇跡…みたいな話ばかりで。病気なおしたとか? 父さんはうちが氷室家だってこと自体怪しいって言ってたけど…」

「でも『氷』が反応しただろう? 本物なんじゃね?」

 ジュンは言いながらもう一度壁のレリーフに触れた。

≪DNA鑑定開始。《水3》に一致しました。残りの鍵を解除してください≫

 声は同じ内容を繰り返した。

「あたし、これの言っている意味がやっとわかった!! 神9の家系の人が全員集まってこれに触ったら何かが解除されるってこと?」

「ああ、そうだな。そうだと思う。これはもう俺たちの手に負えない。相談しよう」

「え? 誰に?」

「考古学会の理事長、知ってるだろう? 速水はやみさんだよ」

「あ! 速水さんか!」

 一時間後、リコとジュンは考古学会理事長の速水を連れ立って、水と氷の文字の前に立っていた。

 速水が文字に触れると右から2番目の水、《水7》が反応した。
 その後聞こえてくる声は《水7》の部分のみ変化し、あとはこれまでと同じフレーズだった。

「うん。確かにこれはジュンの言うとおり、神9の遺伝子を受け継ぐ者が触れると反応するようだね」

 速水は眼鏡をキラリと光らせながら言った。

「速水さん、学会では神9の家系を把握してたりしますか?」

 ジュンが期待を込めた

「ああ…うちとリコくんを含め5つまでは把握している。正直ジュンの家は不明瞭だったのでそこには含まれていない」

「では、あと3家系は把握してるってことですか?」

「そうだ。ザラ地区の水谷氏、ミヤマ高校の教員の水木氏、衛生班の清水」

「えっ!! 清水さんも!?」

 リコが驚いた声を出した。

「そうだ。あいつは私の高校の同期で考古学に誘ったのだが衛生班なんかになって…ああ、すまない、リコくんも衛生班だったね」

「ああ、いいんです。何の誇りも持ってないので」

 それを聞くと速水ははははと笑い、どこかへ電話をかけた。
 相手は清水のようだった。

「すぐ来るそうだ」

「え…清水さんが…」

「何か問題あったか?」

「いいえ…べつに…」

 リコは今日のこのことを報告しなかったことが清水にバレてしまったと内心冷や冷やしていた。
 何しろ隠し事を一番嫌う人なのだ。

 そんなリコの様子をジュンは無表情で見ていた。

 しばらくして清水がやってきた。
 案の定、清水は到着するなり、なぜこんな重大なことを報告しなかったのかとリコを叱ったが顔はニヤけていた。

「まあまあ、リコくんが正規ルートで報告しなかったおかげでしばらく俺たちの自由にできるんだから」

 速水が清水をたしなめた。清水は「だな」と言い笑うと、例の文字と向き合った。

「で、これに触ればいいの?」

 その場の全員が見守る中、清水は文字に触れた。

 右から三番目《水6》が反応した。

「よし、あとはザラの区長と水木先生だな。先生はすぐつかまると思うけど区長はどうかな…」

「区長にこれを知られるのはちょっとまずいのでは?」

 ジュンが口を挟んだ。

「たしかに、神9だが行政だ…これを行政預かりにされると厄介だな…」

 区長は最後にここに連れて来ることにして、一行は一度速水の事務所へと戻った。

「ひとまずリストを作成しようか」

 速水はエアーモニターを表示し、そこにこのようなリストを作成した。

水…?
水…?
水…水上
水…?
氷…氷室
水…?
水…清水
水…速水
水…?

「特に苗字と番号の法則性はないようだな。あと確実と思われるのが水谷さんと水木さん…と」

 その場の全員がリストを食い入るように見つめたが、そこには何のヒントもないように見えた。

「では残りは3つですね。どうやって探すんですか? …てゆうか探しますよね?」

 ジュンが言った。

「もちろんだ。私の人生をかけてでも探すぞ。いくつか候補の家系はある。片っ端から試してもいいが、このことを知っている人間をあまり増やしたくないな…。少し調査を進めてみるか…」

 速水はタブレットを取り出し何かを調べ始めた。
 リコとジュンは速水さんがこうなると何を言っても顔を上げてくれないことを知っていた。
 それは清水も同様のようだった。

「とりあえず、飯でも食いにいくか。お前らもまだだろう? 今日はおごるよ」

 めずらしく清水が気前のよいことを言った。
 リコとジュンは遠慮せずにご馳走になることにした。

 三人は学生がたむろしている格安食堂へと向かった。
 そこならば騒がしくて少々秘密の話をしていても誰かに聞かれるという心配が少ない。

 そんな清水の策略を理解し、リコはこの人、意外とできる人だなと思った。
 当の本人はリコにそんなことを思われていると知ったら心外だったとは思うが。

 彼らは食堂の一番端の席を陣取り、大盛の定食を頬張りながら憶測の域を出ないあれこれを語りあった。

「それにしてもリコ、お前が氷室家だったとは知らなかったぞ」

 清水が少し関心したように言った。

「私も意識したことなかったし、苗字も今は違いますから…ひいばあちゃんが異常に信心深い人だったせいで婆ちゃんも父さんも氷室姓に拒絶反応出ちゃったんですよね…」

「清水さんは他にそれらしい人を知らないんですか?」

 ジュンが聞いた。

「うーん。同じ大学に垂水たるみって奴がいたな。たぶん速水が調べてるだろうな。なんか性格悪そうな女だったけど…ジュンくん、君に心あたりは?」

「解らないです。「水」が苗字につく人は何人か知り合いにいますけど、三十年前の神9信仰ブームの時に改名した組っぽくて…」

「そうか…」

 そう。ここヒューズイコロニオでは定期的に神9信仰が熱を帯びることがあり、その度に勝手に「水付姓」を名乗る者たちが現れては消えている。
 逆に、リコの家のように神9であることを隠すために苗字を変えるケースもある。

 だから、本物の神9家系を探すのが困難になってしまっているのだ。

 その日はこれで解散となり、リコたちは清水と別れた。

 翌朝、速水から、高校教師の水木氏は《水1》だったことがメールで告げられた。

 その日、リコは非番だったので朝から速水の事務所へと向かった。
 到着すると、既にジュンと水木さんと思われるおじさんが来ていた。

「水木先生が仲間になったのはでかい。職業柄、何百人も生徒を知ってるからな…で、先生、誰か思い当たる人はいますか?」

「そうだな…由緒正しそうな家柄の子だと、三丁目の水野、それからほら、去年柔道で活躍した水科みずしな選手かな」

「助かります。当たってみましょう」

「昨日清水さんが垂水って人が大学にいたって行っていましたけど」

「ああ、垂水な…彼女も可能性は高いな」

「でもどうするんです? 全員あそこに連れて行きますか?」

「うーん…そこなんだよな…」

 そうしてみんなが悩んでいるところに清水が駆け込んで来た。

「おい、みんな大発見だ! 今日、どうしても焼却炉の使い方を説明するのに見習いの田口を連れて行かなくちゃいけなくて、あの通路の前を通るの嫌だったんだけど…どうなったと思う?」

 清水はまるで子供の様に目をキラキラさせていた。

「田口とあそこを通ったら、なんとだな、通路がなくなっていたんだ。俺は内心ものすごい焦ったよ。だってまだ全員見つかってないのに通路に入れなくなったと思ってさ。で、慌てて田口を詰め所に戻してからもう一度一人で確かめに行ったんだ。そしたら何事もなかったかのように通路があるんだよ」

 ここまで聞いて全員が清水の話に釘付けになっていた。

「これだけでは確実ではないと思って、試しに今度は山本を連れてあそこを通ってみたんだ。そしたら、やっぱり通路はなくなっていた。これの意味わかるか?」

「つまり…あの通路は神9以外の者がいると閉じるということか?」

「その可能性は高い」

「速水さん。それだったらわざわざ秘密を知られることを警戒しないでも、本物かどうか確認できるんじゃ?」

 ジュンが興奮して言った。彼がここまで感情を出すのは本当にめずらしい。最近のジュンは生き生きとしている。
 リコは微笑ましく幼馴染の横顔を見つめた。

 それから速水と清水、水木が交代でそれらしい口実を作って候補者を例の通路の前へと連れて行き確認作業を行った。
 その結果、柔道家の水科、清水の大学時代の同期の垂水が該当することがわかった。

 例の文字に触れてもらったところ、水科が《水2》、垂水が《水5》であることが解った。

 速水が最新のリストを作成してみんなに共有した。

水…水木
水…水科
水…水上
水…?
氷…氷室
水…垂水
水…清水
水…速水
水…?

「水谷区長は《水4》なんじゃ?」

 リストを見ながらジュンが言った。

「確かに、水の位置が何か関係あるかわからないが、そうだとしっくりくるな」

「では探すのはあと一人ですね」

「あのーちょっといいですか?」

リコが自信なさげに手を上げた。

「何だい、リコくん」

「あんまり確証はないんですけど、中学時代の友人に、バル・ウォーターって人がいたんですけど、彼、確か何世代か前に「白水」って苗字から改姓したんだって言ってたような」

 “ウォーター” はかつて人類が地上に暮らしていたころに交流のあった他の都市の言葉で、ある時期にその昔の言葉の苗字や名前にするのが流行ったことがあったのだ。

「ああ、その話、俺も聞いたことある」

 ジュンも思い出したようだ。

「当たってみてもいいかもな。リコくん、そのバルくんに連絡はとれるのかい?」

「ああ…それが、実は彼、私の元彼で…ちょっとひどい別れ方したから連絡しにくくて…」

 リコがそう言うと、ジュンが座っていた椅子から転げ落ちた。

「え"…!!! お前、バルと付き合ってたの!??」

「え"…あんた知らなかったの!!!???」

 リコとジュンはお互いに心底驚いた声を出して言い合った。
 それを見て清水が がはははと笑った。

「バルなら俺が連絡取れるんで、聞いてみます」

 起き上がりながらジュンが言った。

 ジュンはなぜかリコを睨め漬けながら端末を取り出し、バルに電話をかけはじめた。
 バルはすぐ出たようで、ジュンはここへ来るように言って電話を切った。

「すぐ来るってさ」

「え、まじで…」

 リコはあまりバルには会いたくなかったので速水の事務所の裏口から非常階段へと出た。
 ジュンが後を追って来た。

「何でここに呼ぶのよ」

「しょうがないだろう?」

「まあね、しょうがないよね。たぶん、バルが最後の神9だよ。何となくね、解ってたんだ。神9はお互い惹かれ合うんだって。ひいばあちゃんがよく言ってたよ」

「うん…まあ、何となく解らないでもないな、その話…」

「でしょ? え? なんで? もしかして、速水さんのことが好きとか?」

「え? あ? まあ、そういうことにしとくよ」

「ふーん…。まあいいや。で、それはさておき。私さ、ずっとここから出たいって思ってたんだ。外に出るって意味ね」

「うん、知ってる」

「あの古い通路を見つけた時にね、すごくワクワクしたんだ。これは絶対外に通じる道なんだって。それが、何かすごい話になってきてちょっとビビってる」

「解るよ。俺もビビってる」

「もしもさ、神9が全員揃って、それが外への扉を開けることになったとしたら…私、外の世界を冒険しに出ようと思うんだ」

「うーん。そう言うと思ったけど、あれが外に繋がっているとも限らないから、今からあんまり期待するのやめとけよ」

「何でよ! いいじゃん期待するくらい。違ってもそんなにガッカリしないからさ。むしろちょっとホッとするかも…」

「俺もホッとするかも。もし仮に、あれが外に通じる何かだったとして、お前が冒険に出るって言うのなら…その…えと、俺も一緒に行くよ…」

 リコはびっくりした表情でジュンの顔を見た。

「え、マジで言ってるの?」

「マジだよ…だってお前、外に出て速攻死にそうじゃん…」

「ああ…確かに…」

「それに料理だってできないし、そもそもお前が何か食料を調達するとか想像できない…」

「なるほど…ネズミもろくに捕まえられない私…」

「だろ? だから俺がついて行ってやるよ…」

 ジュンは言いながら少し恥ずかしそうに下を向いた。
 そんなジュンの複雑な気持ちにまるで気が付いていないリコは、歓喜のあまりにジュンに抱きついた。

「ジュン!!! あんた何ていい奴なの? 恋する速水さんをこの地下世界に残してまでドジな私について来てくれるなんて…!!!」

「えええ…何でそうなるの??」

「え? 違うの?」

 ジュンはこの鈍感な友人にあきれながらも、やはり愛おしいと思うのだった。
 そして、この結末が、地上への道ではなければいいのに…と心底思うのであった。

 二人が速水の事務所に戻ると、ちょうどバルに仮の説明が終わって、例の通路の前に連れて行くところだった。

 バルはリコの姿を見ても驚いている様子はなかった。
 恐らく事前にメンバーについて聞かされていたのだろう。ただ、リコの方は極力見ないようにしている様子だった。

 リコはバルの姿を見ると、ぶすくれて部屋の隅っこに腰を下ろしてしまった。

 ジュンはバルが神9なのか興味があったのでテストについて行くことにした。
 機械工学を専攻しているバルには、焼却炉付近で謎の機器を発見したので見てほしいと説明していた。

 結果、バルは予想通り《水8》であることがわかった。

 これにより、速水のリストはほぼ確定した。

水…水木
水…水科
水…水上
水…水谷?
氷…氷室
水…垂水
水…清水
水…速水
水…白水

「こうしてみると壮観だな…」

 速水が自分で書いたリストを眺めながら言った。

「あとは水谷区長ですね。どうします?」

「区長だぜ? 呼んでも来るかな?」

 清水が頭をかきながら言った。

「ここは正直に、神9に関わることだと話すのが妥当だろうな。彼も神9の家系である自覚はあるはずだし」

 他の全員が都合のつく日程をいくつか出し、水谷区長にはその中から来れる日を選んでもらうことにした。
 護衛の者がつくと、例の通路が閉じてしまうので全て正直に話すしかない。
 それで区長が興味を持つかどうか…というところだ。

「神9全員が揃ってあれに触れることで、何かが起こるのでは私は考えている。区長が揃ったところでそれを試したい」

 まずは区長に打診する日程を絞り込むため、この場にいないメンバーにも段取りを共有し、その日は解散となった。

「ねえ、垂水って人だけ私まだ会ったことないんだけど、どんな人かな? 」

 速水の事務所からの帰り道、リコがジュンに聞いた。《水2》の水科にもまだ合ってはいないが、有名な柔道選手なのでどんな人なのかは解っていた。

「いや、俺も知らない。清水さんが嫌な女だとか言ってたけど」

「そんな情報だけ…」

「でもこの話に乗って来ているってことはそこまで通じ合えないってわけでもないんじゃない?」

「そうかな…」

 ジュンと別れて帰宅すると、めずらしく父親が早く帰って来ていてリコは久しぶりに家族と一緒に夕食となった。
 リコは父親が苦手だった。現実主義で仕事命…みたいな人。

 祖母が設立した会社の経営を一手に任されており、リコにも後を継ぐように無言の圧力をかけてきているが、リコは気が付ないフリをここ何年も続けている。

「最近忙しそうだな。何をやってるんだ? 衛生班の仕事はそんなに大変なのか?」

「別に…でも衛生班の仕事はハードだよ。毎日ネズミを殺しまわってる」

「リコ、お食事中にそんな話しないで」

 母親が口を挟んだ。この人は常に自分の旦那の顔色をうかがって生きている。
 リコはそんな様子にもうんざりだった。

 こんな両親に、あの謎のレリーフのことや、神9の集いのことなんか話せるわけもなかった。
 血筋でいったら父親にも権限はあるのだろうけど、絶対に関わっては来ないだろうし、リコが何をしているのか知ったら、力づくでもやめさせようとするだろう。

 リコはぞっとして身震いした。

 夕食の会話は弾まず、リコはそそくさと自分の部屋に戻った。
 そして、あのレリーフを全員で触れたら何が起こるのだろうと…と妄想を膨らませながら眠りについた。

 翌週。ついに水谷区長がやって来る日が決まった。
 その日は朝から区長を除く全員が速水の事務所に集まっていた。

 水科と垂水も揃うのはこれが初めてだった。

 水科は画面で見るよりもずっと巨大だった。
 女子とは思えぬ大きさだった。さすが、女子選手の中で最強と言われるだけはある。

 垂水はものすごい美人だった。
 真っ直ぐな黒髪を腰まで伸ばし、真っ赤なワンピースを着ていた。
 この陰気臭い速水の事務所にはとても場違いで、急にそこに薔薇の花が咲いているかのようだった。

 リコは思わずうっとりと垂水を眺めた。

「神9のみなさん。今日は朝早くから集まってくれてありがとう。ついに今日、神9全員そろって例の文字のところへ行く日となった。現地では、まず区長に例のレリーフに触れてもらって…そこで何か起こればいいのだが、何も起こらなかったら、次は全員同時に自分の文字へ触れてみようと思う」

「それでも何も起きなかったら?」

 バルが聞いた。

「1から順番に触れるとか、試してみたいと思う」

「危険はないんでしょうね?」

 垂水が言った。少し怒っているような口調だった。

「まあ、確証はないが、これは我々の先祖が作ったものだ。危険なものにする理由はないだろうと私は考えている。それとも、君たちはこれが危険かも…でやめたりするのか? ここまで来て?」

 リコとジュンを含む何人かはブンブンと首を横に振っていた。垂水はフンと鼻をならしてそっぽを向いた。

 リコはこんなすごいことに対して、興味ないような態度を取れる垂水を或る意味すごいと思った。

(本当に嫌だったら来ないはずだ…絶対本心は興味津々なはず…)

 リコは心の中でそう思った。

「じゃあ、区長は私と垂水さんで迎えに行こうと思う。いいかな垂水さん」

 垂水は急に使命されて驚いているようだった。

「え、何で私が?」

「区長の性格をちょっと調べたんですが、恐らく、垂水さんのような上品な方に同行いただいたほうがこちらを信用してくれそうな感じでしてね…」

 この言い方に垂水も気をよくしたらしく、いいわよ、と同行を承諾した。

「じゃあ、他の面々は例の通路の前で待っていてくれ。通路の中には入らないように。万が一、これは可能性としてはかなり低いと思うが、万が一区長が神9で無かった場合、その時に中にいるとどうなるのかわからないからね…」

「え、もしも区長が来て通路が閉じたらどうするんですか?」

「うーん…その時は大ピンチ。みんなで逃げよう」

 速水はあはははと笑ってみんなを呆れさせた。
 だが、ここにいる全員が解っていた。水谷区長は十中八九神9であろう。

 速水と垂水が区長の元へと向かい、残りのメンバーは例の通路の前へと向かった。

 柔道選手の水科と元担任の水木は和気あいあいと近況を報告しあっていた。
 会うのは久しぶりとのことだった。

 リコは自分の発見により、この二人の再会が実現できたのだと考え、誇らしい気持ちになった。

 しかし、そのせいでまたバルと顔を合わせて気まずい思いをしていることも同時に思い出した…。

 そんなバルの様子をチラ見すると、ジュンと楽しそうに話をしていた。
 リコはその間にはとても入れそうもないと思い、清水の傍へと寄ってみた。

 普段は上司と部下みたいな関係であるが、ここに来ると同志みたになって不思議な感じだ。

「どうした。元彼と今彼が楽しそうに話してるのを見て複雑な気持ちにでもなったか?」

「ち、違いますよ。それにジュンは彼氏じゃないし」

「そうなの? 前からよく一緒にいるから彼氏なのかと思ってたよ」

「ねえ、清水さん。神9が揃ってこれ、どうなると思います?」

「うーん、そうだな…外への扉が開くとか?」

 この清水の言葉を聞いてリコは心臓がドキンとなるのを感じた。
 自分と同じことを考えている人がここにもいた!!!

「わ、私もそう思ってたんです!!!」

「まあ、普通に考えてそう思うよな…まさか、お前、外に出ようとか思ってないだろうな?」

「え? 出たいですよ! 清水さんは出たくないんですか?」

「え? 見てみたいとは思うけどさ…お前、怖くないの? たぶん速攻死ぬぜ??」

「ああ…それジュンにも言われました。それで私が出て行くなら着いて来てくれるって…」

「え? そうなの? すげぇなそれ。ジュンくんやるなぁ。俺だったら惚れちゃうなぁそんなこと言われたら…」

「そんだけで?! 清水さんて案外ちょろいんですね」

「おまえな…」

 ここで速水から連絡が入り、水谷区長が80層に到着したことが全員に告げられた。
 全員お喋りをやめて、緊張したおもむきで一列に並んだ。

「余計なことするなよ…特にリコ…」

 清水にお灸をすえられて、リコはピンと背を伸ばした。

 やがて、通路に区長の姿が見えた。
 速水と親し気に話しており、良い雰囲気のように見えた。

 どうやらご機嫌の様子だ。

 区長が現れても例の通路は開いたままだった。
 これには全員がほっとした。

 速水は一通りメンバーを紹介すると、区長をレリーフのある壁へと続く通路へと案内した。
 みんなはそれにゾロゾロ連なってついて行った。

 リコが《氷》であることを告げられた時、区長は少し驚いた顔をしていた。
 きっとこんな小娘が…と思ったのだろう。
 ここに立っているのが父親だったら区長はそんなに驚かなかったかもしれない。
 残念ながらそんなことは永遠に起こらないだろうけど。

 レリーフの前に到着すると、区長はまじまじと壁に刻まれた文字を眺めた。
 そして、それに触れた。

≪起動しました。DNA鑑定開始。《水4》に一致しました。残りの鍵を解除してください≫

 これまでと同じセリフが繰り返された。
 少なくとも全員1回ずつは触れているはずだが、それでは条件を満たしていないようだ。

「区長、ここにいる全員でレリーフに触れてみたいのですがよいでしょうか?」

「ふむ…」

 安全面がどうのこうの言うかなと思ったが、個人的好奇心が勝ったようだった。

 今度は全員同時に触れてみる。

≪DNA鑑定開始。《水1》《水2》《水3》《水4》《氷》《水5》《水6》《水7》《水8》すべてに一致しました。ロックを解除します≫

 ガゴンと何か壁の向こうで動く音がした。

≪ロックが解除されました。最初の起動から1210585秒経過しています。管制室の空気圧、気温共に正常値まで上昇済。安全に入室いただけます。扉を開きますか?≫

 その言葉が終わると同時に、水と氷のレリーフの下に《YES》《NO》という文字が出現した。

 その場にいる全員が顔を見合わせた。

「何かが開くってこと?」

「安全って言ってますよ」

「いやここは委員会を立ち上げてだな…」

 リコはここで《NO》を選択したら二度とここには来れないし、このチャンスも巡って来ないであろうと本能的に感じた。
 そして何も考えずに《YES》に触れた。

「あ、こら! リコ!!!」

 清水とジュンとバルが同時に叫んだ。
 だが遅かった。リコはしっかり《YES》を押していた。

≪最高権限保持者《氷》による《YES》を感知しました。これより管制室の扉を開きます≫

 ガタンと床に振動が伝わって正面の壁がゆっくりと持ち上がり開いて行った。

 そして、その先に、見たこともない部屋が広がっていた。

 その場にいる全員が好奇心に駆り立てられて、ゆっくりと部屋の中へと進んだ。

 そこは、正面に向かって9個の椅子が横一列に並んだ殺風景な部屋だった。
 椅子以外には何もない。

 椅子には「水」と「氷」の文字がつけられていて、どこに誰が座るのかは一目瞭然だった。

「座ります?」

 水木先生が最初に口を開いた。

 リコは迷わず真ん中の席に座った。

「大丈夫、何ともないよ」

 後先考えずにまず行動してしまうリコの性質に全員が呆れながらも、ここまで来たら座るしかないと思い、ひとりひとり、自分の席へとついた。

 全員が座ると、正面の壁に巨大な文字らしきものが映し出された。
 古文解析アプリをかざすとこのように書かれているのがわかった。

《氷水株式会社》

≪これより、第63回運用方針見直し会議を開始します≫

 どこからともなく、先ほど壁の前で聞こえていた声が言った。

≪私は “ヒョースイ” この船の全てを司るマザーコンピュータです。ようこそ運用方針見直し会議へ。まずは質問を受け付けます≫

 これには全員が面食らって黙ってしまった。

「運用方針見直し会議って何ですか?」

 しばらく経って、ジュンが恐る恐る聞いた。

≪運用方針見直し会議とは、千年に一度の周期で、創設者の遺伝子を受け継ぐ者を招集して行われる会議のことです。この情報は失われていますか?≫

「完全に何もかも失われています」

 速水が答えた。

≪それでは忘却パターンに移行し、会議を進行いたします。これからこのシステムの概要をご説明します。ご質問はその都度受け付けます。進行してよろしいでしょうか? 《氷》の家系の方の声紋により認証します≫

 リコは自分のことを言われたと理解し、速水を見た。速水は頷いた。
 続いて区長を見た。区長も頷いていた。

「いいよ、進めて」

 リコが言うと “ヒョースイ” と名乗った機械の声は驚くべきことを9人に告げた。

 ここ、ヒューズイコロニオは、運用初期から全ての施設管理をこのマザーコンピューター “ヒョースイ” が行って来た。
 ちなみに、“ヒョースイコロニオ” が元々の発音らしい。

 “ヒョースイ” は永久的に動作するよう設計されたスーパーコンピューターだ。

 ただし、彼女にもどうしても人間なしでは判断できかねることがあり、それを確認するために千年に一度、創設者の子孫を集めて今後の方針を決めてもらう会議を開くことになっているのだと言う。

 それもこれも、全てはリコたちのご先祖さま、神9が構築したシステムの一部なのであった。

 何故千年というスパンの長い周期にしたかというと、この驚愕のシステムを人の記憶にとどめないようにするためらしい。
 千年という期間は、人が正確な情報を伝達できなくなるほどよい長さなのだそうだ。

 なぜ記憶させたくないのか、創設者の意向らしいが、その意図は測りかねた。

「ちょっと待って…さっき第63回って言ってたよね?」

 ジュンが言った。リコを除く全員がこの事態に気が付いてた。

「え? どういうこと」

「お前なぁ…わからないの?」

 清水がタブレットの電卓に計算を表示してリコに見せた。

 63×1000=63000

「千年周期のものが63回行われてるって言ってるんだよ、ヒョースイさんが」

 リコはようやく事の重大さに気が付いた。

「つまり、6万3千年続いてるってこと?」

「そういうこと。でしょ?」

≪そうです≫

「いや、それは違う。ヒューズイコロニオは運用開始してからせいぜい千年ちょっとのはずだ」

 区長が驚いて言った。

≪その情報は正しくありません≫

「我々のご先祖さまの計算は正確ってことだよ。人間の情報伝達はせいぜい千年ってとこなんだな」

「そんな情報伝達できないスパンでどうやって毎回会議ができているの?」

 リコが訪ねた。

≪会議の招集プロセスは遺伝子に組み込まれています。あなた方の一族は、千年周期で組み込まれた遺伝子が活性化するよう創設者により設計されています。
 その遺伝子を持つ者は現時点で36534名存在します。その中からより直系に近く、現実を受け止めるだけの精神力と知能を持ち合わせた9つの個体が選別され、その遺伝子が活性化し、プログラムに従いここへ終結しました≫

 これには全員が押し黙ってしまった。これをどう受け止めていいのか解らなかったが、全員が思い当たる節があったのだ。
 確かに、彼らは導かれるようにしてここへ来た。特にリコの強い意思によって。

「会議が開かれる仕組みはわかった。じゃあ、これは何の会議なの?」

≪それでは、この会議の本当の趣旨をご説明します。これまでの質疑応答の結果、あなた方には全てを伝えてもその現実に耐えうるとの判断が下されました。念のために確認します。これから私は、あなた方の人生観…世界観、全てを覆すことを述べます。それを発表してもよろしいでしょうか? 《氷》の家系の方の声紋により認証します≫

 また私だ…。リコは焦った。自分にこんな重要なことを決める権限が与えられているとはかなりのプレッシャーだ。

 リコは全員の顔を覗った。

 左側を見ると、水木、水科、ジュン、区長、全員が頷いていた。
 右側、垂水、清水、速水、白水の全員も頷いた。

 まあ、そうだろう。ここまで来て、聞きたくない帰る…と言えるような人間はここにはいない。
 遺伝子に組み込まれているんだから。

「いいよ、続けて」

 リコは言った。

≪了解しました。ではこちらをご覧ください≫

 ヒョースイが言うと同時に正面の壁がせり上がり、向こう側に大きなガラス窓が出現した。
 ガラス窓の向こうは暗かったので部屋の様子が反射し、窓にはリコたちが映っていた。

 部屋の照明が徐々に暗くなり、リコたちは信じがたいものを窓の外に見る事となった。

 窓の外には、無数の小さな光が楕円形に集まった何とも形容しがたいものが見えていた。

 リコはそれを写真で見たことがあった。

 それは、きっと、おそらく、銀河というものだった。

 地上に人類が暮らしていたころに夜空に見ていたものだ。
 だがしかし、こんなに大きく見えるものなのだろうか???

 資料によると、巨大な装置を使ってとてつもなく拡大しないと見えない…というようなことが書かれていたはずだ。

「これは?」

 その場の全員が固唾をのんでこの光景に魅入っていた。

≪これは天の川銀河です。かつて地球が所属していた銀河系です。この光景は、実際にこの窓の外に見えてる光景です。あなた方が地下都市だと思っているヒョースイコロニオは、実際は宇宙空間を走行するスペースコロニーなのです≫

 ヒョースイが言っている意味がリコにはわからなかった。

「どういうこと?」

≪今から約6万5千年前のことです。当時、人類はまだ太陽系第三惑星・地球に暮らしていました。しかし、地球は太陽の老朽化と共に生物の住めない惑星となる運命を辿っていました。

 そこで人類が選択した道は、宇宙空間にコロニーを建設し、そこに移住するということでした。
 当時の地球の人口は80億人。最先端の技術を持ってしても、全人類をコロニーに移住させることは叶いませんでした。

 人類は世界中で二十のスペースコロニーを建造し、そこへ収容できるだけの人間と生き物を移住させました。

 このヒョースイコロニオもその一つです。

 やがて太陽の終焉と共に太陽系が失われると、各コロニーは宇宙空間を漂う度へと出発しました。
 漂流を初めて数百年はお互いに通信ができていましたが、電波の限界を超え、それも途絶えました。

 このヒョースイコロニオは創設者の設計に伴い、現在は天の川銀河の外縁を周回をする大きな軌道を走行中です≫

 これには誰も何も答えることができなかった。
 ヒョースイに告げられたことがあまりに想像の上を行き過ぎていて頭の整理がまるで追いつかなかった。

 だけれども、心のどこかで、リコはやっぱりそうだったのか…と納得してる自分を発見していた。
 あれほど外に出たかったのに、ずっと外にいたのだ。なんだかおかしな気分だった。

「ヒューズイコロニオは増築してますよね。階層によって築年数が違っているのは明らかだし。ここ数百年、階層は増えていないようですが、新しい柔道場はできたりしています。どこから建材など持ってきているのかなって不思議に思ってたんですが…」

 水科が彼女らしい質問をした。
 確かに、ここが宇宙のただ中だとしたら、どうやって増築しているのだろうか。
 水科の質問で全員が同じ疑問を持つことになった。

≪宇宙空間には建材となりうる物質が多く漂っています。それらはこうした恒星間にもあります。このコロニーにはそうした物質を改修し保管する機能があります。そして、人口増加や施設の需要によって必要な増築を行うよう設計されています≫

「それ全部、神9が作ったわけ? マジで神だな…」

 ジュンがボソリと言った。

「それで、これは運用方針見直し会議だと言ったね。我々は何の運用をどのように見直せばいいのかな?」

 区長が質問した。

≪ヒョースイコロニオのシステムは永久的に継続できるように設計されています。この中にいれば、人類および地球にかつて暮らしていたいくつかの種族は永久的に存続するでしょう。ただ、その状態を良しとするか否かは私には判断ができません。それを現状を踏まえてあなた方に判断していただきたいのです≫

「え? つまり、これを続けるかやめるかってこと?」

≪そうです≫

「やめるとどうなるの?」

≪適当な恒星に突入するプログラムが起動します≫

「いやいやいや…ダメでしょうそれ」

 清水が慌てて言った。

「それ、本当に創設者が設計した選択肢?」

 垂水が少し怒ったような口調で聞いた。

≪はい。創設者であっても何万年も先の人類の状況を正確に想定することはできません。平和であれば現状維持を選択するだろうし、そうでない場合は終わらせる権限も与えてあげよう…とのことです≫

 フンと垂水は鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

「どこか我々が生息できる惑星を探して移住するという選択はないのかな?」

 区長が聞いた。

≪人類は社会活動をすると、どうして環境を汚染します。創設者たちは環境汚染は最大の悪と考えていました。よって、ヒョースイコロニオが他の天体へ着陸することは、如何なる理由があっても許可されません≫

「なるほど厳しいな…」

「こうせいに突入ってのはナシだよね? えと、こうせいって何?」

 リコが言った。

≪恒星とは自ら光を発している高温の天体です≫

「つまり、そこに突入したらみんな燃えちゃうってこと? ああ、ダメダメそれダメ」

「だから、ダメだって俺がさっき言っただろう?」

 リコは自分がこの会話にだいぶついていけていないことを自覚していた。
 でもここで、続行しないを選択したら人類およびその他ここに生きている生命全てが滅亡するということは理解できた。

 そんな選択はあり得ない。

「続行で、現状を続行でお願いします」

 リコが先走って結論を出してしまった。

≪《氷》の家系の方の声紋により続行の意思が伝えられました。よろしいですか?≫

 リコは自分が権限を持っていたことを思い出し、軽々しく結論を述べてしまったことを反省した。

「ご、ごめんなさい。みなさん、現状を続行でいいでしょうか?」

 改めて、全員が賛成であることを告げた。

「はい、オーケーです。続行でオーケーです」

≪《氷》の家系の方の声紋により続行の意思が確認されました。現状を続けるプログラムを続行します≫

「さて、これで会議は終わりかな?」

 区長が言った。

≪はい。終わりです。なお、この事実は住民には隠されることが創設者によって推奨されています。シミュレーションによると、人口の約67%がこの現状に耐えられず精神を破壊されると予測されています≫

「それは困る。みなさん、どうかこのことは口外しないように約束してほしい」

 区長の意見に全員が賛成した。

 人工の67%が精神を破壊される…

 リコにもその状況が容易に想像できた。例えば同僚の田口などにこのことを知らせたらどうなるだろう。
 あっとゆうまにパニクってご飯も食べられなくなるはずだ。

≪ここは間もなく閉鎖されます。速やかにご退場願います≫

「あ、ねえ、またここに来ちゃダメ?」

 リコが慌てて聞いた。

≪この場が次回解放されるのは千年後です≫

 がっかりだった。
 もうこの景色は見れないのか…。

 リコは窓の外のとうてい現実とは思えない光景を目に焼き付けた。

 こんな景色を自分たちだけが知っているのは勿体ない気持ちがした。
 人類が途方もない旅をしていることは伏せつつ、この景色だけみんなに見せることができないだろうか??

 そんなことは不可能であるとリコにも解ってはいた。

 ここにいる9人で秘密を共有している。それだけで満足するしかなかった。

 選ばれし神9の面々はヒョースイの部屋を後にした。

 例の通路から出ると、まるで存在しなかったかのように今来たはずの通路は消えてしまった。
 そこにはただの壁があるのみにだった。

 終わってしまった。

 少しでも、本当に外に出られるかもと思っていた数時間前がまるで百年も前のように思えた。
 ヒョースイのせいで人生観がまるで変ってしまったが、悪い気はしなかった。

「楽しかったよ、ありがとう」

 リコは小さな声でヒョースイの部屋がある方に向かって言った。
 そうして、先に歩き始めていたジュンたちの後を追い、もう振り返ることはなかった。

「外に出れなくてがっかりか?」

 ジュンが言った。

「いやーもっとすごいこと知っちゃったから。正直、外の世界がなくてちょっと安心している。本当は怖かったんだ」

「俺もだよ」

 リコたちは日常に戻っていく。

 時々あの二度と見る事はない窓の外の景色を思い出しながら。
 人類の真の姿を胸に秘め…。

(おわり)

おまけ

▲こちらの曲は、20年ほど前に作ったその名も「water」です。
物語とあってるようなあってないような。
よかったら併せて聴いてください。

『water』

Tell me why.
Why don't you see the forword?
And I know you don't.
Tell me why. Tell me why.
Why don't you make it by yourself.
I'm not your mother.

But comes again.
The thought of water I could not digest comes again.
Tell me why. Tell me why.
Why do you give me the water that I can't not swallow.

Folling love again in the Saturday night.
During the day, watin for your telephone call.

Folling like a feather.
On palm of your hands, both hands.
The water drives my soul again!!

<訳>
何でなの? 前を向いたら?
そうしてないのは知っている。
何で?どうして?
自分でやったらどうなの?
私はあなたの母ちゃんじゃないの。

だけどまた…
消化できない “水の思考” が再び…
何で?どうして?
なぜ呑み込めない “水” を差し出すの?

土曜の夜にまた恋に落ちて
一日中あなたの電話を待っている

羽根のように落ちる
あなたの両方の手のひらに、両方の手の上に
“水” は再び私の魂を駆り立てる!!


作詞作曲:chiyo


みんなの俳句大会『鶴亀杯』にてかっちーさんが投稿した一句に物語をつけてみました。

こちらの企画です。

この物語を生み出すきっかけをありがとうございました☆

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