[小説] リサコのために|059|十二、進化 (3)
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オブシウスたちを助けに行く…。
その響きはリサコにとって現実から遠く離れて聞こえた。
オブシウスたちと過ごした時間は今ではまるで夢のような、前世の記憶のようなそんな感じがしているのだ。
リサコの背後にいる人格たちにもこの記憶を共有しているが、彼らはこれをリサコの夢ととらえていた。
あっちにいるときはリサコはリサコひとりで、誰も一緒にはいなかったようなのだ。
「どうやって行くの?」
「あそこへの入口はいくつかあるけど…」
良介の視線がリサコから離れて、空中を彷徨った。彼にしか見えない何かを見ているようだった。
「やっぱりあそから行こう。アイアンタワービル…」
良介が空中を指さしながら言った。彼に見えているものがリサコには共有されていないことを忘れているらしい。
見えたところでよくわらないのでどっちでもよかったけれども…。
…アイアンタワービル。それはリサコのこの摩訶不思議な人生を象徴するかのように新宿にひっそりとたたずむ雑居ビルだ。
そのビルの九階には『有限会社 ヨクトヨタ』という会社があり、たしか良介の作ったシミュレーションの中ではオブシウスたちがログインするためのポイントとなっていたはずだ。
「アイアンタワービルはここにもあるのね…」
「ああ、あのビルはどこにでもある。そんでその九階が何かしらの歪みになってるんだ。だからAIだった俺はそこにログインポイントを作ったんだろうな。その時は無意識だったけど」
なんだかわからないが、とにかくあのビルはポータル的な場所のようだった。
「良介はこの世界のどこにでもアクセスできるんじゃ? それなのにビルから行く必要があるの?」
リサコは良介が見ている世界がまるで想像できていなかった。何でもできるようで、そうでもないような。
「うーんそうだね。説明が難しいんだけど。俺は、割といろんなところの情報にアクセスできるけど、そこに実際に行くことはできないんだ。インターネットで情報を閲覧できるけど、そこにいるわけじゃない…って言えばわかる? 俺はAIだけど同時に人間だから肉体がある。でも特定の場所から特定の場所へは、リサコを介すると移動できるんだよ。どういう仕組みなのかまるで解らないけど。リサコはいろんなところに実体がある。エイリアスみたいなものかな? リサコと一緒にいると、俺もそこへ移動できるんだ」
良介はなるべく言葉を選んで説明してくれたのだが、やはりよくわからなかった。
とりあえず、足を運ばないと移動はできないってことか…とリサコはざっくり理解した。
「じゃあ、行こうか」
良介は立ち上がると玄関に向かった。
リサコは慌ててその後を追った。
それはまるで、近所のコンビニにでもいくかのような感じだった。
いや、というか、良介は財布も携帯も持っていなかった。机の上におきっぱなし。
手ぶら…。手ぶらで行くの?
リサコの記憶するかぎり、オブシウスたちのいる世界ではクーデターが起こりドンパチやっていたはずだ。
それからどのくらい経ったのか、どの時点に行くのかはわからないけれど、危険な場所に行くのではないのか?
「ちょ、ちょっと。何も持って行かなくていいの?」
良介は振り返ると何も持っていない手を広げ頷いた。
「役にたつものは何もない。行こう。車を呼んだんだ」
良介のマンションから階下に降りるとタクシーが停まっていた。
二人が乗り込むとタクシーはそのまま走り出した。
料金は支払い済みになっていた。
ネットサービスで呼んだのだ。行先も設定済だ。
ネット回線を使うことなら良介は端末を使わないでもできるようだ。ただ、移動するためには肉体が伴うので、歩いたり乗り物に乗ったりが必要になる。
リサコはさっきの良介の説明が何となく理解できた気がした。
ということは、良介にとってリサコは乗り物みたいなものなのだろうか?
ほどなくしてタクシーは新宿に到着し、アイアンタワービルの前に停車した。
車から降りて、リサコはビルを見上げた。
ここに立つのは何度目だろう。その都度、世界は変転していたように思う。
少年だった良介と二人で来たこともあった。
いまこうして大人になって再び彼とここに立っているなんて想像できただろうか。
先に歩き出した良介が振り返ってリサコの方へと手を伸ばした。
リサコはその手を取り、アイアンタワービルの中へと入った。
エレベータの前のホールは以前に来た時とほとんど変わりがなかった。
薄暗くて陰気臭い雰囲気。
エレベータが降りて来てドアが開いた。
中に乗り込み九階を押す。
驚くほどゆっくりとエレベータは最上階へと上がっていった。
九階に到着すると『有限会社 ヨクトヨタ』は営業中だった。
何をしている会社かはわからないが、ヤギの夢の中にいたときに調べた感じだと、何かIT関連の会社だったような記憶だった。
良介は躊躇することなく、会社の中に入っていた。
受付のお姉さんが二人座っていたが、彼女らは良介の方を見なかった。
全く彼の存在に気が付いていない様子だった。
これは、双子のおじさんに会いに行った時のネットカフェと同じだった。
リサコがさすがに入るのをためらっていると、良介が振り返って手招きした。
「大丈夫だよ。ここの人たちはリサコも感知しない。これはね、ポータルになってる場所の特徴だよ。あ、でも話しかけたら気づかれちゃうからね」
リサコは頷くと黙って良介の後に続いて会社に入った。
会社の中では人々が忙しなく働いていた。
パソコンに向かってガチャガチャやっている人、電話でワーワー喋っている人。
それら忙しない人たちの横をすり抜けて良介は会社の奥へと歩いていった。
そしてとあるドアの前で立ち止まった。
ドアには831と数字が書いてあった。
中に入ると、そこは普通の会議室だった。
どことなく見覚えがあった。
この何の変哲もないオフィスの一角。
「よし、うまく機能した。行くよ」
良介が言いながら会議室の入口から反対側の方へ向かうと、いつのまにかそちらにもドアが出現していた。
「これ、リサコがいないとできないんだよ」
そっとリサコの背中に手を回しながら良介が囁いた。
リサコはこの世で最高のパートナーにエスコートされて新たに出現したドアを潜った。
そして光に包まれた。
その光に包まれると、圧倒的な慈悲の心に触れたような気分になった。
ああ、私は愛されている!!!!
リサコは以前にこれを体験していた。
思考をすべて支配されてしまう高揚感!!!!!
この高揚感は場所を移動するときに感じるものだ。
たぶん。
リサコは今、何だかよくわからない世界の階層を移動しているのだ。
精神の裏側で、彼女を構成する人格たちが驚愕に満ちた思いでこれを共有していることが感じられた。
みんな一緒に行ける!
リサコはもう一人になることはないのだ。
目を覚ました。
薄暗い部屋にいた。
不衛生なベッドにひとり。良介がいなかった。
リサコは起き上がると部屋の中を見渡した。
見覚えがあるようなないような…。
錆びだらけの狭い部屋だった。
小さなテーブルの上にライターと白い粉が散らばっていた。
リサコはこれがドラッグであることを即座に見抜いた。
人格のひとりにこの手のことに詳しい者がいるのだ。
…ここはどこ?
誰かがドアをノックする音がした。
「リサコ? いる?」
良介の声だ。急いでドアをあけると、半泣きの良介が立っていた。
リサコの姿を認めると、良介はリサコをぎゅっと抱きしめた。
「よかった。焦った。別々に転送されることは想定してたけど…」
リサコは良介がこんなに焦っているのを初めてみたので、これがどれほど彼を不安にさせたのか想像した。
何でもわかる彼にとって、何かを見失うことは想像を超えて恐ろしいことなのかもしれない。
リサコはそっと彼を抱き返した。
ふと横を見ると、隣の部屋のドアが少し開いていて、誰かがこちらを覗いているような気がした。
ここがオブシウスたちの世界であるなら、治安はそんなによくないはずだった。
「良介、一回中に入って状況を整理してもいい?」
二人は部屋の中に入った。
改めて見ると、この薄汚い部屋はだいぶ堕落している者の部屋らしかった。
机の上のドラッグに加えて、床にはアルコールの瓶がいくつもころがっていた。
「ここ何? オブシウスたちのところに来れたの?」
「うん。移動は成功した。ここは、山本理沙子の家だ」
「…山本理沙子…?」
「シミュレーションの中にいた時の君の本体って言ったらわかる?」
「あ、軽犯罪で捕まって更生プログラムを受けていた?」
「そう、その山本理沙子の部屋だ」
リサコはもう一度部屋を見渡した。
「随分荒れてるね…」
「まあ、ここの奴はだいたいこんなだよ…」
良介は言いながらベッドに腰を下ろした。
リサコもそれに続く。
「ここからオブシウスたちがいるガルシアセンターは徒歩で15分くらいだ。センター管轄の居住区だから他よりマシだろうけど、治安は最悪だろうな。監視カメラが破壊されてて街の様子がよくわからない。クーデター起こした奴らがどこにいるのかもよくわからないな…」
「今って、私がここから出てからどれくらい経ってるの?」
「数分ってところかな」
「過去に戻ったってこと?」
「いや、リサコの認知の地点に飛んだんだ」
またよくわからないことになってきたので、これ以上この件を追求するのはやめることにした。
「とりあえず行くしかないよね、歩いて。間に合うかな…」
「そうだね。なるべく安全そうな道は通るけど…」
このタイミングで、リサコの脳裏で会話を聞いていた一人、ディーツーが強引にリサコと交代した。
「だったらあたしの出番かな」
リサコは “表層の店” に立ってステージに立つディーツーの後姿を見ていた。
夜遊び担当。長身の男だ。ちなみにゲイである。好色なので良介に変なことをしないかリサコは少々ハラハラした。
確か、良介とは面識がないはず。
「誰だ?」
良介が警戒心を含む声で言った。
人格交代に気が付いたようだ。
「ディーツーです。お初です」
ディーツーは深々と頭を下げた。
「あたし、治安が悪いところは慣れてるんで、代わりに同行しますよ。ってゆうのは口実で、ここの街にちょっと興味あるだけなんだけどね」
「突っ切るだけだぞ」
「ダメね。あんた本当に警察だったの? ずんずん行ったら逆に目立つじゃないの。それにこの服。小奇麗すぎるわね」
言いながらディーツーは部屋の隅にあるクローゼットを勝手に開けた。
そこには派手な衣装と地味な衣装、両極に位置する服がかかっていた。
「ふーん。山本理沙子ちゃんは売春でもしてたのかねぇ。これなんかどう?」
山本理沙子の服を物色すると、ディーツーはスカートの短いやたらとセクシーな服を取り出した。
「そんなのダメだよ」
あわてて良介はディーツーから服を奪うとクローゼットに投げ入れた。
「何よ、本当は見たいくせに。じゃあ、あんたはこれを着なさい」
ディーツーは不貞腐れながらも、今度は大きめのパーカーを取り出して良介に投げた。
リサコの持っているTシャツやパーカーはどれも大きめのサイズだったので良介にも着ることができた。
これを着ていれば確かにここの住民に溶け込めそうだ。
ディーツーは自分には地味なTシャツを選び、薄汚いキャップをかぶった。
「これで準備オーケーね。いくわよ」
「ちょっと待って、悪いけど、リサコかオーフォに変わってくれない?」
良介は戸惑っているようだった。何しろディーツーとは初対面なのだ。
「ちょっとリサコ、りょうちゃんが変わってって言うんだけどぉ」
ディーツーがステージからこちらを振り向いて言った。
こちら側に向かって言われた言葉は良介には聞こえない。
リサコはステージに上がってディーツーの横に立った。
「一瞬いい?」
ディーツーにそう言うと、ディーツーは「いいわよ」と言って少し身を引いた。
それと同時にリサコは表に出ていた。
「良介、ごめん」
「リサコ?」
良介はリサコが戻ってほっとした様子だった。
「あのね、急に変わってごめん。ここはディーツーで行くのが最善って満場一致で決まった。悪い奴…悪い子だけど悪い奴じゃないから、任せていい?」
良介は一瞬「え?」という顔をしたが、すぐに頷いてくれた。
リサコは身を引いてディーツーに主導権を渡した。
これでいい。私だと怯えちゃって目立ってしまう。
「というわけなの、いい?」
「リサコがいいなら俺はいいよ」
「何それ、萌えるぅ」
良介はブッと噴き出すと「君、面白いね…」と言いながらリサコの…いやディーツーの手をとり山本理沙子の部屋を出た。
(つづく)
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