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[読切] ブレイヴ [三日月/曲からストーリー]

曲からイメージして物語を書く企画『曲からストーリー』に参加します。
この季節になると聞こえて来る絢香の『三日月』から。

遠距離恋愛の歌なのかなと思うのですが、これを、もっとどうしようもないほどに離れてしまった二人の物語にしてみました。

2,000文字以内で語りきれなかった。1万文字超えちゃった。

君も見ているだろう
この消えそうな三日月
つながっているからねって
愛してるからねって

作詞:絢香/作曲:西尾芳彦・絢香



ブレイヴ

 夜空を切り取る稜線の向こう側から、下弦の月が登るころ、私は彼と出会った。

 私の勤務地は国境近くの山岳地帯だった。季節は秋から冬へと向かい。山は紅葉で燃えていた。

 特別な捕虜が捕まったとのことで、監視兼世話役を言いつけられた私が上司の元に向かうと、捕虜の素性が私に明かされた。

 捕まった捕虜は敵国 マーガルラ皇国 第一皇子おうじ ラッシュだった。顔認証を七度かけて判定されたのでほぼ間違いはないとのことだった。

「奴は何か自国の極秘情報を持っているようだが口を割らない。“ブレイヴ” になら話すかもしれない」

 ブレイヴ…つまり私のことだ。千人に一人いるかいないか、我が国ジラート共和国にしか生まれない特異体質の人間のことだ。
 私は五歳のときにブレイヴであることが発覚し、それ以来、ずっとブレイヴとして生きてきた。

 ブレイヴは貴重な存在であるが、前線にいないと意味のない存在でもある。
 だから私はこうしてここにいるのだけれど…。

「わかりました。話を聞いてみます」

 私はラッシュが収容されている独房を訪れた。
 一国の皇子だというのに、ラッシュは他の捕虜が収容されるのと同じ、一般の独房に入れられていた。独房というだけマシと言ったところか。

 独房は、鉄製のドアにガラスの窓が付いてるタイプのものだった。

 覗いてみると、彼はベッドの上に腰かけてうなだれていた。
 これが初めて彼を見た瞬間だった。

 ラッシュは使い古しの囚人服を着せられてはいたが、育ちの良さが全身からにじみ出ているような青年だった。

 言葉は通じると聞いていた。言葉が通じるのは大変やりやすい。

 私は看守にドアを開けるように頼んだ。看守は私の身を案じてくれたが、大丈夫、という言葉をかけるとドアをあけてくれた。

 私が入っていくと、ラッシュは顔を上げた。

「私はジラート共和国第三部隊所属 第八 ブレイヴです。あなたに聞きたいことがあります」

 ラッシュは驚いた顔で私を見上げていた。

「ブレイヴ…? お前が? 始めて見た。…女、なのか?」

「あなたの知っていることを教えてくれませんか?」

 私は試しに言葉に少し圧を加えて言ってみた。

 ラッシュは苦しそうな顔をして私の言葉に抵抗した。
 だいぶ意思の強いタイプらしい。

 抵抗するのであれば、どれくらいの力で押せばよいのか探る必要がある。
 あまり押しすぎると、人格を破壊してしまう可能性もあるのだ。

「話してはくれませんか?」

 私はもう少し圧を込めて言った。ラッシュの喉から声が漏れたが、強靭な精神力で抵抗してきた。

「抵抗すると精神が持ちませんよ。話してくれませんか?」

「…い、いやだ…」

 強情な奴だ。質問の矛先を変えた方がよさそうに思った。

「あなたはどこへ行こうとしていたんですか?」

「…くっ、クローディア…」

 クローディア…隣の中立国家だ。

「亡命ですか?」

「そうだ…」

「亡命の条件は?」

「…じょ、情報だ」

「どんな情報ですか?」

「…い、言えない。言えない!」

 ラッシュはそう叫ぶと両手で顔を覆って完全に心を閉ざしてしまった。

 私はこれ以上刺激しては危険と判断し、その日の質問を終わりにした。
 自分の部屋に戻り、まとめてもらった資料に目を通した。

 マーガルラ皇国の内部についてはあまり知られていない。
 皇帝にはラッシュの他に娘がいる。彼らが国際的な場に登場することは時々あるが、普段何をしているのは不明であった。
 軍事的なことは皇帝の弟が取り仕切っているはずだ。

 資料の下の方に軍事的利用価値 “最大” との評価があった。つまり彼の命が交渉に使われるということだ。
 彼が我々に協力してくれるようならば、処遇を少しは変えられるかもしれない。

 ラッシュが我々に捕まり収容される前に、通信機や武器を持っていないか、身ぐるみはがされてチェックを受けているのだが、その際に、怪しいものは見つからなかったようだ。
 だが、体中に無数の傷跡あり、と記録があった。
 皇子としては不可解である。亡命してきた動機と何か関係があるのかもしれない。

 翌日、ラッシュの独房へ向かうと彼はパンとスープを食べていた。食べてくれるのはありがたかった。
 私は彼が食べ終わるのを待って独房へ入った。看守には扉を閉めるように言った。他の者の目や耳がない方が話してくれるかもしれない。

「解ってると思いますけど、このままだとあなたは交渉に命を使われますよ」

 ラッシュはプイと横を向いて話を聞かない姿勢を示した。
 その強情な態度に私は呆れてしまった。死ぬつもりはないくせに。

「私ならあなたを救えると思います。話してくれませんか?」

 これにラッシュはイラついた視線をこちらに向けた。

「聞きたいなら昨日みたいに無理矢理聞き出せばいいじゃないか。できるんだろう?」

「できません。あなたが先に壊れてしまうでしょう」

 これを聞いてラッシュはまたそっぽを向いてしまった。
 私はこの態度にだんだんイライラしてきた。自分の立場がわかってないのだろうか。
 甘やかされて来たボンボンとは少し違うようだけど、わがままな解らず屋なのかもしれない。

「こちらを向きなさい」

 私は圧をかけて言った。
 ラッシュはビクッとしてこちらを向いた。

「そんなにしてほしいなら、やりますけど。情報を渡しなさい」

 私は昨日やったのより強く圧をかけて言った。

 ラッシュは立ち上がって壁際まで下がって耳を塞いだ。

「何のために亡命したいんですか?」

 耳を塞いでこちらを見ているラッシュの目はひどく充血していた。効いている。

「どうして、亡命したいの?」

「…あ…アイリーン…」

 …アイリーン。ラッシュの妹の名だ。

「アイリーンがどうしたの?」

「…切り刻まれて泣いている」

 そう言うと、ラッシュはあきらめたのか体の力を抜いた。

「もしかして、妹さんを助けたいの?」

 ラッシュはゆっくりと戻って来ると、ベッドに腰かけた。
 私もその隣に座った。

「話してくれますか?」

 ラッシュは私の方を見ると、おもむろに上着を脱いだ。
 彼の体には、報告書にあったとおり、無数の傷があった。

「これをやったのは国の研究機関だ。アイリーンも同じことをされている」

 ラッシュは話しながら腕の傷跡をさすっていた。その手首には、無数のためらい傷の痕もあった。
 私は思わず手を伸ばして彼の手首に触れた。

 私に触れられるとラッシュはさっと手を引っ込めた。

「お前たちには話せない。解るだろう?」

 私はこれで理解した。

 ラッシュとその妹のアイリーンは何か特殊な体質、もしくは能力を持っている。
 それを利用するためには、彼らは傷を負わなければならない?

 マーガルラ皇国は身の毛もよだつ非人道的な研究を繰り返してるのかもしれない。

 軍事的なことである可能性が高そうだった。

 それを阻止するために彼は命をかけてマーガルラ皇国を抜け出して来たでのはないだろうか。中立国家であるクローディアに助けを求めて。
 確かにクローディアなら国際機構に通報して介入してくるだろう。

 その前に我が国がこの情報を得てしまうと、ラッシュは二度とここから出られない。そしてアイリーンも救えない。

 ラッシュが頑なに語ることを拒んだ理由が見えてきた。
 私にここまで話してくれたのは少しは信用してくれたのだろうか。

 私はラッシュの体についた傷を観察した。悪化して化膿しているところもあるようだった。

「少し、そのままで待っててください」

 私は独房を出ると、医務室に行って軟膏を持って来た。
 そしてそれを彼に見せた。

「これは我が国の化膿止めです。あなたの傷に使っていいですか?」

 ラッシュは好きにしろ、と言って後ろを向いてしまった。
 背中も傷だらけだった。

 私は背中の傷に薬を塗った。
 それから前を向かせると、胸の傷にも塗って行った。
 薬を塗っている間、彼が私のことをずっと見てるのがわかった。その視線が気になって、私は顔を上げることができなかった。
 気が付かないフリをして私は胸の傷に薬を塗った。

 腹にも塗ってやろうと指を伸ばすと、「もういい、あとは自分でやる」と言われて薬を奪われてしまった。
 薬を塗り終わると、彼は服を着て薬を返してくれた。

 私は彼の側によると、小さな声でこう告げた。

「このくらいの声なら看守には聞こえません。私はあなたの力になりたい。少し時間をくれませんか?」

 ラッシュは驚いた表情でこちらを見ていた。

「私はブレイヴです。できることはきっとあるでしょう」

 その日、私は進展なしとして状況を報告した。

 次の日。私は化膿止めを持ってラッシュの独房へ行った。
 薬を見せると、ラッシュはシャツを脱いで背中をこちらに向けて座った。
 背中の傷は昨日よりだいぶよくなっているようだった。

 薬を塗ってあげながら、昨日ああ言ったものの、どうしたらこの人とアイリーンを助けられるのか考えを巡らせていた。
 ひとつだけ解っていることは、この人をここから逃がさないといけない、ということだった。

「この薬はあなたにあげます。前は自分で塗りますか?」

 ラッシュはこちらを向くと、意外にも「前も塗ってくれ」と言った。
 その言い草や仕草はこの人が皇子であることを私に思い出させた。

「こうやって何でも誰かにやってもらってたんですか?」

 私は少し嫌味を込めて言ってしまった。自分のことを使用人か何かと思ってるのでは…と感じてしまったのだ。
 私はあくまでも対等でいたかった。

 ラッシュは無言でこれには答えてくれなかった。

 私は彼に近寄ると小声で話しかけた。

「私はあなたをここから逃がしたいと考えています。しかし時間がかかります。あなたに待っている時間はありますか?」

「正直あまり時間はない。…俺はお前を信じようとしている。努力はしている。だが…」

 ラッシュは私の手首を強く握ると、私の体を引き寄せた。

「…だが、お前が俺を騙していると感じた時には、俺はお前を殺す。それでいいか?」

 彼の息が私の頬にかかった。恐怖の匂いがした。彼は強気の言葉を言いながら、本当は怖がっていた。

「もちろんです」

 私は自分の手首を握っている彼の手に、もう片方の手を重ねながら言った。

「でも、私の言葉は真実ですよ」

 相手の手から力が抜けたので、私はその手を優しく握ってやった。暖かい手だった。
 これから季節はどんどん寒くなる。妹のアイリーンはこの手がなくてさぞかし心細い思いをしていることだろう。

 私がぎゅっと彼の手を握ると、ラッシュはサッと手を引っ込めた。

 それから私は、どうしたら彼を脱出させられるか作戦を考えるため自室にこもった。
 時々、施設内をまわって事前に集められるものを物色したり、監視カメラの位置や、見回りのスケジュールなどを再確認した。

 ブレイヴの能力を使えば、彼を逃がすことはたやすいかもしれないが、仲間の精神を傷つけかねない方法はなるべく避けたかった。

 上司には、進展がないために別のアプローチを考案中と報告した。

 気が付くと三日が過ぎていた。ラッシュをほったらかしにしてしまったと思い、慌てて独房へと向かおうとすると、兵士たちが落ち着きなく走り回ったり、コソコソ話をしている場面に出くわした。

 その只ならぬ雰囲気に、嫌な予感しかなかった。

 兵士の一人が私を見ると駆け寄って来た。

「探しましたよブレイヴ。隊長が読んでいます。講堂に負傷者が集めれられて…」

「何があったんです?」

「新兵器ですよ。おぞましい。早く講堂へ!」

 そう言って兵士は別の場所へと走って行ってしまった。
 私は講堂へ急いだ。

 講堂にはこの世のものとは思えない光景が広がっていた。
 私は恐怖ですくみあがった。

 負傷した兵士たち…本当にあれは人間なのか…がところ狭しと並べられていた。

 兵士たちは肉の塊のような姿になっていた。
 髪の毛や目、口や両手両足の成れの果てのようなパーツがバラバラにくっついた肉の塊だった。
 それらの塊が、苦しそうにうめき声を発しているのだ。

 …痛がっている! とても痛んだ。

 講堂の入口で固まっている私を隊長が見つけて近づいて来た。
 彼の顔も恐怖でひきつっていた。

「…これは、どういうことですか?」

「私にもわからん。敵の新兵器だ。着弾すると数秒でこうなってしまう。こうなると何をしても死なない」

 隊長は頭をかかえた。

「こんなものは、悪魔の兵器だ…」

 私も恐怖に飲まれそうになった。だけれども踏みとどまった。
 なぜなら私はブレイヴだから。ここで私がやれることをやらないと。

「隊長、しっかり」

 私は隊長に向かって圧と激を送った。
 隊長はビシッと背筋を伸ばした。

「…すまない。彼らに力をわけてやってくれ」

 私は肉の塊になってしまった者たちをひとりひとり回り、激を送った。
 彼らがこの先どうなるのか解らないけれど、とにかく、この今の瞬間、少しでも勇気を持てるように。

 彼らに勇気を送っていく分、私は消耗していった。
 こんなに消耗することはこれまでに体験したことはなかった。

 こんな姿になり、苦しみながらも決して死ねないなんて。この世の地獄ではないか。

 負傷者は次々と運ばれてきたが、やがて新しい負傷者は運ばれて来なくなった。
 私はひとりひとり丁寧に激を送り、力を与えて行った。

 全ての人に力を分け終えた時には、夜中を通り越して間もなく日が昇る時刻となっていた。

 私はその場で倒れ込んで眠りたかったが、ラッシュのところに行かねばならないと思った。

 ガクガクする足を叱咤しながら私はラッシュの独房へと向かった。
 ラッシュはベッドで横になり眠っていた。

 私が入っていくと、ラッシュは身体を起こし驚いた表情をしていた。

「あの兵器は何なの? あなたの体質と関係があるの?」

 私はラッシュの前にへたり込みながら言った。
 それだけで彼は全てを理解したようだった。

「まだ完成していないはずだ。あれを実際に使うなんて…」

 私はたまらず泣き始めた。
 ラッシュはベッドから降りて、私の体を支えてくれた。
 私はラッシュにしがみついて泣いた。

 彼は私の背中を抱いてくれた。

 私の涙の発作が収まると、ラッシュは耳元で静かに言った。

「止めさせたい。俺を逃がしてくれ」

 私は顔を上げ涙を拭うと頷いた。

「何とかしてみる。待ってて」

 私は独房から出ると、見張りに立っていた看守に向かって言った。

「私が戻るまで誰もここに近づけないで」

 看守は無言で了解の意を示した。

 その時だった。ズドンというものすごい音ともに地面が揺れた。
 電気が消え、天井からパラパラと砂のようなものが降って来た。

 建物の向こうの方から「空襲ー! 空襲ー!」という叫び声が聞こえてきた。

 私と看守は顔見合わせてお互いの腕を握った。

「ブレイヴ、ここは危険です。防空壕へ!」

「ダメです。あなたが先に逃げてください」

「いやしかし…!」

「行きなさい!」

 私は思いきり圧を飛ばしてしまった。パニックで制御が難しい。
 看守は、一瞬ウッと苦しそうな表情になり、それから持ち場を去って行った。

 私が独房の扉を開けると、ラッシュが出てきた。

「俺がここにいると知らせろ。攻撃をやめるはずだ」

「ダメよ、あなたが捕まっちゃう」

「…だけど」

「あなたはクローディアに行くんです。妹を救うんでしょう? 今を逃したらもうチャンスはありません」

 ラッシュが真顔になったので、私は彼の手を取り、目星をつけていた裏口へ向かった。
 その間にも敵国の空襲は続いていた。

 幸い、私が使おうと思っていた裏口は無事なようだった。

 私は裏口の側にある消火器入れを開けると、中から荷物を取り出した。
 ラッシュが脱出する際に必要となるものを集めてここに隠していたのだ。

 中には数日分の食料、防寒服、ロープ類、クローディアとの国境までの地図、銃が一丁入っていた。

「これで行ける?」

「充分すぎる」

 私を見返すラッシュの瞳がうるうるしているように見えて、私は慌てて目を逸らした。
 なぜだか指先がチリチリした。

 荷物をラッシュに渡すと、私達は裏口から外に出た。
 空襲の騒ぎでこちら側には誰もいなかった。

 私はラッシュの手を引き、基地の敷地を出ると、森の中へと彼を連れて歩いた。

 しばらく歩いて、安全を確認すると、私は基地の方を振り返った。
 ちょうど飛行機が飛び去り、攻撃が終わったところだった。

 威嚇攻撃だったのだろうか。攻撃は短時間だった。
 それでもあちこちから火の手が上がっているのが見えた。

「私が来れるのはここまで」

 ラッシュは私と向き合って黙っていた。

「これ、渡そうか迷っていたんだけど…」

 私は指令室からくすねたそれを彼に手渡した。
 通信機だった。

「受信器は私が持ってます。国内にいる間はいつでも会話できます。ただし、傍受される危険はあります。お守り…みたいなものです」

 ラッシュは通信機を大事そうに受け取ると、小さな声で「ありがとう」と言った。

 ラッシュがどんな顔をしているのか私は見ることができなかった。

 のどまで出かかった「行かないで」という言葉を飲み込んで、私は「生き延びて…」と言った。
 消えそうな声しか出せなかった。

 自然と私の目から涙があふれた。
 私は慌てて涙を拭いた。

 泣くつもりは本当になかったのだ。

 私が泣いていると、両手をラッシュに取られた。
 次の瞬間、私と彼の唇が重なっていた。

 そのまま、彼は私の頬を両手で挟むと、何度もキスをしてくれた。
 私は自由になった両手で彼のシャツを掴んだ。

 遠慮がちに舌が入って来たので私は受け入れた。

 もう彼とは二度と会えないかもしれないと思うと、今彼が望む全てを受け入れたいと思った。

 こうして私たちはしばらく口づけを交わしていた。
 この時間が永遠に続けばいいのにと思った。この瞬間を記憶に焼き付けなければ…と思った。

 やがて唇を離すと、ラッシュは私をひしと抱きしめて言った。

「一緒に行かないか?」

 私の心は揺れ動いた。このまま彼と一緒に行きたいと思った。
 こんなに彼と離れたくないと思っている自分に驚いていた。

 だけれども、私は彼とは行けないのだった。
 ここには私を必要としてくれている人がいるのだ。
 私にはやらないといけないことがたくさんある。

「…私は行けない…」

 私は勇気を振り絞って彼を押し戻して体を離した。
 顔を上げられなかった。彼のシャツを掴む手を離すこともできなかった。

「お前を置いていけない」

 ラッシュが私の腕を掴んだ。顔を上げて彼の顔を見ると、今にも泣きそうな顔をしていた。
 その表情からは、私を失う恐怖と、独りになる恐怖が感じられた。

 私は、ブレイヴとして彼を送り出さなければならないのだと悟った。

「ダメです。私は行けない。行きなさい」

 彼の精神の強さは知っていたので、強めに圧を飛ばした。
 私が圧を使ったのでラッシュはショックを受けたようだった。

 私を掴んでいた手を離して後ずさった。

「行って!」

 私はダメ押しで圧を飛ばした。同時に私の持てるだけの愛を込めて激も飛ばした。

 ラッシュの目が見開かれ、脳内にアドレナリンが放出されたことが覗えた。

 彼は腹をくくり、森の中を走って行った。
 その後を追いたくなる前に私は自分の居場所へと走った。

 空襲を受けた基地はひどい有様だった。
 幸い、今回の爆弾には例の兵器は搭載されていなかったようで、肉の塊のようになってしまった新たな負傷者はいないようだった。
 それでも対応が間に合わないほどにそこかしこに負傷者が溢れ、火の手があがっていた。

 攻撃を受けたのが、基地の南側半分に集中していたので、助かった者たちは北側に避難していた。

 私は次々と激を飛ばしてまわった。
 傷を癒すことはできないけれど、痛みを和らげることができる。
 私の声は疲れを癒し、気持ちを高ぶらせて絶望から遠ざけることができる。

 全てがようやく落ち着いたころには、すっかり夜も更けていた。
 私はひとり、講堂に向かった。
 爆撃の影響で天井が落ちてしまっていたが、瓦礫は取り除かれていた。
 そこには無数の遺体と、先の戦いで肉の塊になってしまった人たちが並べられていた。

 私は、変形してしまった兵士たちをひとりひとり回って激を与えた。
 こんな姿になっても彼らは痛みを感じている。少しでも和らげてあげたいと思った。

 それから、運び込まれた遺体にも私は声をかけてまわった。
 もう泣かないと誓ったのに、涙があふれて零れた。

 気が付くと私は講堂で気を失うように眠っていた。
 朝方、寒さで目を覚ました。

 ラッシュのことを想った。
 彼も凍えていないだろうか。防寒服は役に立っているだろうか…。

 ラッシュと夜を共にしたことなどないのに、彼がいない夜が寒くて寂しかった。

 彼が旅立ってから三日が立った夜。
 私の受信機が音をたてた。

「聞こえる?」

 囁くようなラッシュの声だった。

「ラッシュ?」

 あまり喋っていると誰かに気が付かれるかもしれなかった。
 だけれども私は会話を止めることができなかった。

「すごい景色だ。見せたいよ」

 ラッシュは呑気な感じで話を続けた。

「月が…細い三日月が昇って来た。もうすぐそっちからも見えるだろう」

 私は受信機を握りしめたまま立ち上がって基地の外に出た。
 月が昇る方向を見たが、高い山に遮られてまだ見えなかった。

「今夜は月を見ててほしい。俺も同じ月を見ているから」

「わかった…」

 涙が零れた。また泣いてしまった。
 私は弱い。

「…泣いてるの?」

「泣いてない」

「…そろそろ行かないと。声が聴けてよかった」

 わたしも…と言ったが、ほとんど声が出なかった。

「…じゃあ、元気で。愛してる」

 そうして通信は切れてしまった。私の返答を待たずに彼は通信を切ってしまった。
 最後に投げた言葉を投げっぱなしにしておきたかったのではないかと私は思った。

 ラッシュは国境を超える直前に連絡してきたのではないかと想像できた。

 行ってしまった。
 ラッシュは私の手の届かない場所へ行ってしまった。

 やがて、夜空を切り取る稜線の向こう側から、消えそうに細い三日月が昇って来た。

 月がゆっくり空を巡るのを私はずっと見上げていた。
 その姿が反対側の山脈の向こうに消えるまで、私はずっと月を見ていた。

・・・

 それから一ヶ月後。

 私は今、街頭に設置された大型モニターの前に立っている。

 戦争は終わった。
 ラッシュが終わらせたのだ。

 私たちの部隊は前線から撤退し解散。それぞれの街へ帰還した。

 ラッシュからの通信が途絶えてから数日後、クローディア国からの報告で国際機関が動き、マーガルラ皇国の非人道的な呪われた兵器の存在が明るみになると、あっという間に皇国は解体されて国自体がなくなってしまった。

 元マーガルラ皇国は現在、国際機関によって臨時政府が立てられ特別管理地区として整備が進められている。

 今日はこれから、元マーガルラ皇国の第一皇子であり、戦争終結の英雄となった ラッシュの最初で最後の演説が世界中に中継されることになっている。

 ドキドキが治まらなかった。
 どういう気持ちで彼の姿を見ればいいのかわからなかった。

 あの日、森の中で後ろ姿を見送ってから、彼の姿は一度も目にしていないのだから。

 中継が始まると、大型モニターの前にも人が集まって来た。

 画面に映し出された壇上にラッシュが現われた。
 最初は引きの映像だったので、小さすぎてそれがラッシュなのか分からなかったが、カメラが急にフォーカスし、顔がアップで映し出されると、紛れもないラッシュがそこにいた。

 私の心臓がバクバク鳴り始めた。
 隣に立っている見知らぬ人に私の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思うほどに。

「みなさんこんにちは」

 ラッシュは気の抜けた挨拶をした。

「僕は、元マーガルラ皇国出身のラッシュです。ご存じのとおり亡命したんで、今はクローディア国の一市民です。こうして公的な場に出て来るつもりはなかったのですが、どうしても言いたいことがあって出てきました」

 随分とラフな喋り方だった。間近で数日間、彼に接していた私にはわかるのだが、これは演技だった。
 おそらく親近感を持ってもらうための、ただの一般人という印象をつけるための演技だ。

 彼は一国の皇子らしくも、乱暴な不良のようにも振る舞えることを私は知っている。

 この演説を見ながらラッシュがとても遠くに行ってしまったのだと私は思い知った。少しでも自分のものだと思ってしまったのが恥ずかしい。

 ラッシュは、自分がこれから政治をするつもりはなく、クローディア国の研究施設に入って自らの体質が悪用されないための研究と、負傷した人たちの治療のための研究に一生をかけて協力していくつもりだ、と話した。

 それから、妹のアイリーンの状態や所在をあれこれ詮索する人たちがいるけれど、心身共に相当なダメージを受けている状態なのでそっとしておいてほしいと彼は言った。

 これで演説も終わりかと思われたその時、ラッシュは再び口を開いた。

「僕には会いたい人がいます。今どこにいるかわからない。生きているのかすらわからない。でもその人は僕を助けてくれた人です。とても勇敢な人でした。これを見てくれているかな…」

 言葉を区切ると、ラッシュを息を吸い込んでから、一気に言葉を吐き出した。

「俺の居場所は公表したぞ! 会いに来い!」

 言いながらラッシュは手に握っていたものをカメラの方へと突き出した。
 カメラは必死でそれを捉え、できるだけ大きく画面に映し出した。

 それは、私が彼に手渡した通信機だった。

(おしまい)


最初はバッドエンドを迎える予定のお話でしたが、あまりにかわいそうになってこうなりました。

物語の余韻が残るうちにもう一度歌を聴いてみてください。

君も見ているだろう
この消えそうな三日月
つながっているからねって
愛してるからねって

作詞:絢香/作曲:西尾芳彦・絢香



▽勝手に企画🌕同じ月を見上げて

休みん俳の勝手に企画で『同じ月を見上げて』も開催中。



▽【休みん俳】勝手に『#曲からストーリー』(曲から一句スピンオフ)

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