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声を上げて長年ためこんだ「毒」を吐き出そう

最近、女性に対する差別が大きな社会問題となっている。

それらの報道に接すると無性に腹が立ってしょうがない。なんでこんなに腹立たしいのかと自分でも驚くほどだ。

それまであまりその手の話をしたことがなかった私だが、最近は女性差別への怒りを口にすることが増え、家族が「お母さんがおかしい」と嫌がるぐらいには怒っている。

その理由はわかっている。これまでの人生であからさまな女性差別に何度も直面しては我慢し続けてきたからだ。

当時は女性差別があっても、それをおかしいと声を上げることすら許されなかった。そんなことを言えば頭がおかしい人間だとみなされ、上げた声を全力で叩き潰されたものだ。

そんなことを繰り返しているうちにあきらめが先にたち、声を上げることもしなくなっていたのだ。

しかし今、ようやく声を上げても許される時代になった。

もちろん、今もひどい差別は続いているが、少なくともそれをおかしいと言いやすい空気ができつつある。

そのせいだろうか。これまで心の奥底に渦巻いていた怨念に近い怒りが表に噴き出し、心の生傷に塩を塗り込むような強い痛みを感じるのだ。

女性差別に対する長年の恨みつらみ、そして周囲に流されてしまった自分への激しい怒りを、私はどこに持っていけばいいのかわからない。今さらどうなるわけでもないのに、負の感情が抑えきれず持て余している状態だ。

もちろん、これまで送ってきた人生が無駄だとは思わない。それに、この負の感情が噴き出しているのは、むしろいい傾向だと思っている。そうやって自分の中にある毒のある膿を放出すれば、きっと心が楽になり新たな道が開けるような気がする。

私たち上の年代は、女性差別に出会うたびにため込んだ積年の怒りという「毒」を、間違っても下の世代の女性にぶちまけてはいけない。怒りをぶつける相手が違う。女性同士でいがみ合ってどうするのだ。

同年代以上の女性には、

「私たちだって我慢したのだからあなたも我慢しなさい」

「今の若い人は恵まれているのにわがままばかり言う」

なんて言葉が出る人も多い。正直言えば、私ものどまで出かかったことが何度もある。

しかしそれは、声を上げられる若い女性への妬み以外のなにものでもない。そのような感情を持つこと自体が非常にみっともない。せめてポーズだけでも、余裕のある大人の女性でありたいではないか。

それには、自分の中にある「毒」を出し切り、負の感情を自分で昇華させるしかない。自分の心の問題は、自分でどうにかするしかないのだ。

だから、これまで味わった悔しい思いと正面から向き合いたい。そして、折に触れて「NO女性差別」という意思表示を行い、自分の中にある「毒(負の感情)」を少しずつ吐き出していこうと思っている。

幸い、私は「書く」仕事をしている。その仕事を通して今後はもっと声を上げていきたい。

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