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SARSとCOVID-19に関する日々の雑感(備忘録)

※前半部分はスレッズから転載。

2003年にSARSが流行した時は私自身がその渦中にいて大変な思いをした。今コロナ禍で大変な思いをしている子育て世代と全く同じ経験を20年前に経験したわけだ。

感染が広がってバタバタ人が死んでいく。運良く重症から回復した人の喉には気管切開の跡と思われる丸く大きな傷があって痛々しい光景だった。医療崩壊で体調を崩しても受診できる病院がなく、家のそばにあった火葬場兼葬儀所はいつも満員御礼。子どもをウイルスからどうやって守ろうかと試行錯誤の連続だった。

ただでさえ少ないマスクは品切れだったから、不織布やガーゼを買って自分でマスクを作った。薬は市販薬に頼るしかなかったが、漢方薬も西洋医学の薬も強くて効果があったので、それで乗り切った。

人づてに聞いた怪しい民間療法にも挑戦したし、地元のラジオ番組MCが「港が封鎖されて物資がなくなる」とエイプリル・フールのジョークで言った言葉に踊らされて大量の物資を買い込むバカな真似もした。

でも現地では地元の人も日本人同士も誰も変な差別をせず、ともにこの難局を乗り越えよう!といった雰囲気があったから乗り越えられた。

※以下スレッズのポストに加筆※

感染症の流行と戦争で私達の暮らしが悪い方向 に激変した2003年。それとほぼ同じ事態が2023年の世界で再現されている。

感染症についてはマスク不足が解消された反面医療崩壊で市販薬で乗り切るしかない状態が目前に迫っている。日本の市販薬は効き目が弱いからそれだけで乗り越えられる気がしない。そもそも市販薬すら尽きる恐れがある。そうなったら怪しげな民間療法に縋るしかなくなって社会が大きく混乱しかねない。

戦争については2003年より泥沼化しており、世界中で日々の暮らしが苦しくなっている。値上げに耐えられる財力がないとすぐに詰んでウイルス感染する前に餓死しかねない。

それらの災厄に対して政府が無能なのはどちらも同じだが、ともに助け合いながら災厄に立ち向かう気持ちを持つ人が20年前より大きく減った分、人生が詰む確率が飛躍的に高くなっているのが現状だ。

「自分さえ良ければ他の人などどうでもいい。それが生き延びる術だ」

…と信じて疑わない人が増えたが、本当にそうなんだろうか?

日々の暮らしが自分以外の数多の人間に支えられている以上、「自分さえ良ければ…」と皆が好き勝手なことをすればするほど自分の生活が成り立たなくなり、やがて人生が積んでしまう。

まだ若くポテンシャルに満ちた人が頭角を現す前に潰されてしまい、子どもや老人、障がい者などの社会的弱者は社会のゴミとみなされて粛正されるかもしれない。

そんな未来をみんな望んでいるの?

自分だけは大丈夫だという考えは幻想に過ぎないとわかってないの?

それは日本だけの現象なのか世界的な現象なのかはわからない。でもお互いがお互いを支え合って社会が成り立っている以上、感染症や生活の悪化に関してはある程度自分勝手な願望や気持ちを抑えて「この難局を乗り越えよう!」手を取り合うべきではないだろうか。2003年の中国で一般人がそうして来たように。

今、日本人がそれを実行できるかどうかが、今後私達が無事に生き残れるかどうかの分岐点になると私は思っている。

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