カウンセラーの皆様、自分を発達障害かもしれないという仮説を立ててみるのも乙かもしれない。

ADHDとASDは対極にあるように思われがちだが、私がはじめて発達障害について専門医から教わった時すでに、集合のベン図で重複があることは教わっていた。

そして知的障害の併発が多くて大学まではなかなかたどり着けないと。

その頃は大学の学生相談で高機能自閉症の人とめぐりあうことは希でその医師は大学保健センター勤務の先駆者だった。

学生相談学会のセミナーで「会ったことある人?」に挙手したのはフロアで私だけ。

それからわずか3年後には事態は一変、その精神科医は懇親会で引っ張りだこになっていた。

話題を戻すと、X上にはADHDとASDの両方ですとカミングアウトしておられるアカウントはたくさんある。

私は前述のひとりの学生以外発達障害の人と会ったことがない現場臨床を過ごしてきたのでいったいどんな感じかわかりにくかったのだが、いざ自分がマニュアル的な「一般社会人」的業務にすごい不適応をおこした。

ケアレスミスが多く、後に入ってきた社員の方が仕事を覚えていき、仕事量で私を追い抜いていく。

細かいステップのチェックリスト作ってもらったのだが、そのチェックリストそのものをチェックすることを忘れる。

そして、忘れ物が頻発するようになる。警察署に5回届をするところまで行き着いた。警察に向かう際に忘れ物を更にしてしまうという具合。

こうして気づいたのは、これまではそんなに立て続けに面接しなくていい一人職場が大半で(明学チーフ時代は非常勤数名いたが、自分が担当したのは一日3名程度)気ままさが許されていたからADHD特性に気づかないでいられただけではないかということ。

以前もポストしたが、子供時代は周囲に迷惑かえりみず話しかけてはしゃべくりまくる、むしろ外向型だったのが小学校への適応で周囲に疎外されいじめを受けて、自分は内向的な人間だと思い込んでいた。

そして忘れ物をしまくって教室のうしろに立たされることを毎日のように繰り返した。

好きな科目はほとんど何の努力もしなくても(教員養成大付属で)トップをとれたが、数学などの理系の集中力を要する科目はまるで頭に入らない。

少しでもつまらないと思うと居眠りばかり。

(これは今でもそうだ。学会の講演や個人発表で少しでもつまらないと感じると睡魔との闘いで何も覚えてない。ただ、演目の鑑識眼がものすごく上がったので、私が感心するしかない、フロアからその長所を「的確に」、しかも最近は30秒くらいでコメントすることばかりである。そうやって私が評価した発表者は数年後には私より人気者になりいい職につくことばかりである)

実験系心理学の知識がなければまるで入れなかった当時の大学院受験のためには、心理療法関係の受験勉強は「まるで」やらすに行動主義や認知心理、社会心理や統計(初歩だが)の勉強を、有斐閣の「心理学の基礎知識」と「心理用語の基礎知識」まる覚え、ミネルヴァの心理学辞典の術語を「英語で」覚える域のことをした。

だって当時の立教大学院はそういう問題しか出なかった。臨床なんて5分の1くらい心理学実験の最新の英文ペーパーの抜粋の理解問われた。

かなりの根をつめた努力はした(他大学学部哲学科出て親にバイトしなくても資金援助うけて大学院浪人できたしね)、ホントそれくらいだ、必死に勉強した時期は。今でもそれはすごい財産だが。

フォーカシングについては大学院入る前にジェンドリン論文原文で読みこなして既刊本の訳、間違ってますよの域だったわけで(だからそれを送りつけられた訳者の恩師村瀬孝雄に気にいられた)。

・・・また話がとびかかったが、自分でも、ある種の「拡散的」思考力と、むやみに集中できるところが両方ある、いずれにしても周囲の空気読まない人間だとは思っていたが、今振り返ると、ASD(人の5倍以上の経理の仕事量をこなす父は明らかに高機能のそれだったと今では思う。大人は父と同じくらいに頭が回るものと思い込んでいたし)的な血と、むしろのんきな母親由来のADHD的な血の「合質」だったと今では思える。

思春期からは「排尿困難」=公衆トイレで他に人がいるだけで出ない)になるほどの対人恐怖になったが、これは小中学校でたたかれまくった後天的なものだったと思う。

それは精神分析的にいえば「自分のー衝動をー自然とー出す」ことへの禁制だったのではないか?

もちろんそれに、自分の男としての自信のなさ、劣等感もあったろう(おたくそのものだったし)。。

これが、自分でフォーカシングを自己流に身に着けてから独力でたどり着いた最初のシフト(気づき)であり、これをきっかけに、マジ、公衆トイレで小用を足せる状態に一気に回復した。

それでも、#中井久夫 の「分裂病と人類」に学部時代に感銘し、「自分は微分回路認知の塊のS親和者だな」と思い込んでもいて、自分に少し妄想性があると感じていた(何しろファンレターとライブ行っただけで、浜崎あゆみの歌詞は自分に向けてのものと確信していた時期がある)から、私の「合質」ぶりは更にややしこくなる。

いずれにしても、躁うつ病の薬は、一見私のそう状態であるかに見える買い物依存をおさえるのにまるで効果はなかったし、鬱相があまりない。つまり「内因性」の周期があるかといえばない。

結局妻子との離婚による別離をきっかけとした「適応障害」の鬱状態にパキシルなんぞ出されたおかげで躁転していた時期に「ご狂乱の時代(中島みゆき)」があるだけで、基本は手元に金の工面がつくとわかればADHD特性全開、金を使い果たせばしぼむ、そういうことであるに過ぎなかったと思う。

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こういうことをタラタラと書くのはカウンセラーとしてはどうかという意見もあるかもしれないし、重度のADHDやASDの皆様に、自分はそんなものではないと言われそうだし、今後再びカウンセラーの仕事を再開しても安易に自分を同一視しないように努めたいが、でも、何か参考になる人もいるのではないか。

いずれにしても、私のアカウントをずっと追ってきて下さった皆様は、またこの話かよと思われるのは承知である。

私が同じことを書いているかに見えて、今回の書きぶりが、ロールシャッハで言う「形態水準」がこれまでで一番高い集約的なものだとは感じていただけるのではないかと思う。反応数むやみと多いが。

だからカウンセラーの皆様も、自分はちょっと変かな?と思ったら、やせ我慢せずに、いい精神科医にかかって、発達障害の可能性も検討して、もしそうならあっさり適合した薬飲んで活動するのもいいのではないかと思う。

薬なんて、「近視にめがねかける」ようなものかと。

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