見出し画像

「道を外れる」ことへの不寛容さ【雑記】

僕自身鋭意就職活動の身ですが、日本では未だに「よりよい生活を送るにはかくあるべき」という道を信仰する人がまだまだ多いような気がします。
特に自分の祖父母世代くらいに顕著でしょうか、未だに

大学へ現役で行く→4年間で卒業する→いい会社に入る→それが、幸せ

と言ったフローチャートが刷り込まれている人が多いなぁと感じます。

そして往々にして、そうした思想は世代とともに伝播していくものだと感じたことがありました。

経験の有無が産む、「理解の壁」

この記事を読んだとき(もう3年ほど前ですが)、とても考えさせられたのを覚えています。

というのも、これは何も親から子への「学歴の伝播」だけの話ではないと感じたからです。

中学時代、同級生は50人少々いましたが、この内いわゆる四大に進学したのは、私が知っている範囲でも10人いるかいないかだったと思います。

この場合、マイノリティになるのは大学に行った側になるわけで。

現に、小学生の頃から「海外で働きたい、だから大学に行きたい」というおぼろげながらも進路を固めていた自分に投げかけられる言葉といえば、

「どうして大学なんか行くの?」「偉いねぇ、大学行くとか。私にはできないなぁ」「なんか勉強できるアピールみたいでムカつく」

といった具合なわけで。

まぁ、そういう人たちにはそれなりに自分でも人生歩むのだから関係ないんです。
自分自身では大学行くためにそれなりに勉強し、高校も町外の学校に通いつづけてきました。

そうすると、今度は「大学へ行くまでのプロセス」が彼らにはわからない。
勉強する、ここまではわかるけど、「どのくらい勉強するのか」とか、「どうやって大学を選ぶのか」と言ったことまでは理解が及ばない。

親から子への伝播も遠因ですが、「大学」という選択肢が頭にあるかないかというごく単純なレベルで、同じ学年間でさえも差を生んでしまっていたんだろうなぁと、今になって思います。

浪人する人達って...。

それを痛感した出来事がありました。

以前、中学時代の同級生とTwitterでやり取りしたときに、こんなリプライをされたことがあります。

浪人する人達ってどういうつもりなんだろう?ウチらですら、できないなりに必死に勉強して現役で専門入ったのに、あの人達は金銭的にも精神的にも親のスネかじって勉強してるんだもん。怠けてるから浪人なんかになると思うんだよね(後略)

おいおい、いくらなんでもそれは違うだろう、(ホントに専門学校通ってるのか?)と思いつつも、その反面「こういう人にはいくら説明しても理解されないんだろうな」という諦めにも似たなんとも言えない気持ちにさせられました。

このリプを送った彼女の場合、「浪人=怠けて大学落ちた奴」というステレオタイプが知らず知らずのうちに「常識」として蓄えられてしまったのでしょう。これもある種一昔前の凝り固まった考えではないかというのが個人的な思いです。彼女も専門学校を受験したはずなのですが。

ただ、大学受験を経験された方ならご存知のはずです。

浪人なんて、そんな軽い気持ちでなれるものでは無い、と。

確かに一部にはそういった(怠けた)人もいるかも知れません。
ただ、大学受験を経験した人の目には
「高みを目指して挑戦したけど及ばなかった」
「第一志望に絶対のこだわりがあるんだ」
といった「名誉ある敗北」として映る場合が多いものです。

一方で、これをいくら彼女たちにとうとうと教えたところで理解してもらうのは難しいと思っています。

結局そう思うか思わないかは、「大学受験を経験したか否か」といった経験則が支配的だからだと思うからです。

何もこれは「進学」に限った話ではない

今でこそセクシャルマイノリティや女性の社会進出など、あらゆる事項で一昔前ではありえなかったような「寛容さ」が社会で見られるようになって来たと思います。

―都市部では。

一方で未だに「常識」という「一見広大に見えるけど実は自分の周りでしか通用しないハコ」の中で物事を判断する人が多いと思います。

そして、「それにそぐわない生き方をする人」は「道をハズレた人」と認知されてしまうのかなぁと。

これは完全に僕の憶測でしか無いのですが、最初にも記したようにこうした不寛容な考え方ほど、世代を超えて伝播してしまう負の要素になりうると思います。
特に、祖父母世代との関わりが密になりやすく、なおかつ外とのあらゆる関わりが分断されやすくなる「田舎」では、それが色濃くなってしまうのではないかと、経験上思います。
決して地元に残った同級生たちを悪く言うつもりは毛頭ないのですが、成人式の折に久々に友人にあっても、根本的に会話が噛み合わない場面もあったりしました。

その時に「あぁ、生きてる世界がここまで違うようになってしまうのか」と悲しい気持ちになったものです。

案外、本当の「不寛容な社会」は思ったよりも近く、深いところに眠っているのかもしれません。

些か荒削りな文章ですが、今日はこの辺で。

―滞在先のシェアハウスにて―

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?