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あけましておめでとう、と今は素直に言うことができる

正月が大嫌いだった。年末年始は毎年大嫌いな本家――父親の実家に行かなければならなかったから。クソみたいな親戚たちに嫌味と意地悪をたっぷり浴びせられ、泣きながら年を越すのがお決まりだったから。

本家では毎年元旦の早朝に、チェサと呼ばれる韓国式の法事が執り行われる。うちの場合、出てくる料理はルーツと同様雑多で、キムチやナムルもあるけど、黒豆とか海老とか栗きんとんに伊達巻、さらにはボルシチまで揃っている。

正月のチェサは、親戚一同が会する日でもある。顔も名前も一致しない、自分との関係さえよくわからない人間が、わたしを見て「大きくなったなぁ」とか「肥えたんちゃうか」とか「あんまし背が伸びんかったなぁ」とか「相変わらず骨と皮だけやな」とか、好き勝手に無遠慮な言葉を投げつけてくる。

大晦日の夕方から女だけがチェサの料理の準備に追われ、男はひっくり返って酒を飲む。こたつに入って友達みんながTwitterで騒いでいるガキ使も紅白も観ることは許されず、「女だから」とその一点のみを理由に、わたしも"料理班"に振り分けられた。従兄弟の中では"女"はわたしひとりだけだったから、無邪気にゲームをしている彼らを尻目に「なぜわたしだけ」と理不尽な強制に不満を募らせていた。もちろん素直に言うことなど聞くはずなく、ただ所在なげに母親たちのいる台所をうろうろするだけだったけれど。そしてただ台所にいるだけで料理を手伝おうともしないわたしに、祖母もといクソババアが早口で嫌味を捲し立てて来る、というところまでがわたしにとっての正月だった。

加えて、父親は人前でわたしが失敗するのを許せない人だった。料理の運び方ひとつ気に入らないと、正月だろうと親戚の前で容赦なく怒鳴りつけてくる。そんな父親を泣きながら睨みつけていると、親戚の誰かが「お父さんをそんな目で見るんやない」「きつい子ぉやわ」と注意してくるのだ。

正月が大嫌いだった。良い思い出なんかひとつもなかった。茶色く染めた髪を本家に行く前に強制的に黒染めさせられるのも、名門お嬢さま学校を退学したこと(そして"頭の良くない"共学の学校に編入したこと)を父親の面子のために親戚にひた隠しにしなければならないことも、なにもかもが嫌で嫌で仕方なかった。

正月を好きになったのは、結婚してからだ。夫との正月はもう3度目になるけれど、今年も変わらず穏やかであたたかい。料理の得意な夫が年越し蕎麦と雑煮を作り、今では夫の好物になったトックだけはわたしが作る。皿洗いはたいていわたしが担当で、日本酒を燗するのは夫の役目だ(これを書いてる今、ちょうど夫が熱燗を作ってくれた)。

夫の膝に頭を預けてソファにひっくり返って観るガキ使や紅白は格別で、ときおりツボに入ったわたしの体が震えると、夫はくすぐったいと笑いながら髪を撫でてくれる。誰に傷つけられる不安も心配もなく、どろどろに癒される時間だけがそこに流れている。

年を越すことが特別にめでたいとはしゃぐ人たちのことを、昔は冷めた目で眺めていた。ただ年度が変わるだけのことをありがたがれるなんて、おめでたいのは頭の方なんじゃないのかと毒づいたりもしていた。今のわたしは、すっかりそのおめでたい頭になってしまった。夫と過ごせる正月が、わたしをそういう思考にさせるのだ。

正月を好きになれてよかった。もう二度と、わたしはやりきれない悲しみと悔しさの中で新年を迎えなくてもよいのだ。Twitter上で交わされる軽い調子の挨拶をねじくれた気持ちでスクロールすることなく、心から自然に同じ言葉を返せるのが嬉しい。

あけましておめでとう。そしてさようなら、わたしを傷つけるだけだった人たち。あなたたちは、血の繋がりがあるだけの、ただの他人だ。わたしはわたしの手に入れた幸福の中で、わたしの近しい人とだけ、今後の人生の正月を過ごす。あなたたちに次に会うのは、たぶんきっと、あなたたちのうちの誰かの葬式だろう。あなたたちは死ぬまで、一生、そうやって誰かを殴って満足していればいい。わたしはもう、そこには行かない。

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