見出し画像

マスターベーションの中のきらめきを写し取りたいだけ

文章を書く気力が萎えている。しかもけっこう長い期間。毎日毎日来る日も来る日も狂ったように何かしら言葉を紡いでいたわたしがよもやこんな気持ちになるなんて、と自分でも愕然としている。書いていないと落ち着かない、そんな気性の持ち主であったはずなのに。

小説やエッセイはまだいい。問題なのは仕事の方だ。物を書く仕事なのに書く気が起きないんじゃオハナシにならない。真っ先に疑ったのは、うつの再発だった。でも、やっぱり違うと思う。

あのときのような死の淵を漂っている感覚は、たしかにない。布団の中から出られないわけではないし、泣きくらしてもいない。あいみょんのライブに2公演も行ったり、人を避けつつ静かな場所へ友人と飲みに行くくらいにはゴリゴリに元気だ。ただ「書けない」ということを除いては、わたしの精神は健康そのものである。夜も薬はまだすこしだけ飲んではいるものの、飲みさえすりゃぐっすり眠れる。寝つきも悪くない。

理由がわからないと頭を抱えていたりもしたが、本当は明白だ。自信を失っているのだ。これ以上ないほどに。

今年の文学新人賞は、ひさびさに1次選考すら通過しなかった。1次すら通らないような作品は、そもそも小説の体を為していないという言説がちまたでは囁かれている。それを頭から信じているわけではないけれど、嘘だと突っぱねるほど業界に通じているわけでもない。

その出来事が、わずかながらに有していた自身の文才に対する驕りを、完膚なきまでに叩きのめした。実はわたしはたいして文章がうまいわけではないのでは、という仄暗い疑いが胸の内にしみのように広がり、これ以降消えてくれない。

加えて、仕事でも行き詰まりを感じるようになった。フリーランスになって契約してくださるクライアントさんがヌルヌル増えていくのと同時に、能力不足を痛感することも増えたのだ。ペルソナを作り込みきれていなかったり、訴求があいまいだったりと、難しい仕事をまかされるにつれ自分の甘い部分が浮き彫りになるようになった。

わたしの書くものは、マスターベーションに過ぎないんだろうか。小説も、エッセイも、すべては独りよがりの自慰でしかないのだろうか。でも、ハナからわたしは、“だれかのため”と思って筆を執ることをしない。というよりたぶん、できない。自分の言葉で社会に影響を与えたいだとか、訴えたいとかは、つゆほども思っていない。そういうのはあくまで副次的なものであり、「好きです」「勇気をもらえました」などの感想はもちろん嬉しいけれど、もらえりゃラッキーくらいの心持ちなのだ。

わたし自身、メッセージ性の強い物語――ここでは広義の意味での、たとえばエッセイなんかも含むものとして扱う――に心惹かれることはほぼない。描き手の伝えたいことが明確にわかるような物語は、白々しくってどうも苦手だ。「テーマ」とやらが存在するんなら、まわりくどい物語の構造なんかわざわざ使わずに、そのまんまストレートに描きゃいいだけの話だろう。物語は形容できない事柄を表現するためのものだと思っているから、ガチッとしたメッセージが落とし込まれたようなものに対してはどうしてもしゃらくせえという気持ちが拭えないのだ。

心を奪われるのはいつだって、矛盾すら内包する物語だった。描き手の描きたいように描かれた、それこそ8割方はマスターベーションともいえるけれど残りの2割が弾けるほどにきらめく物語は、わたしの心にいつだって鮮烈な傷跡を残す。傷つけられる生々しい物語を受けてはじめて、この物語はわたしのためにあるのだと確信できる。とはいえわたしは傷つけられることにむちゃくちゃ臆病なので、えぐり取られる予感のする物語には友達に勧められても尻込みしてしまうのだけれど(読後は決まって1週間以上引き摺るから、精神の健康状態が良好じゃないとなかなかえいやっと思い切れない)。

だからおのずと書く文章も、自慰的になりがちなんだろう。自覚はある。わたしは常に、自分の読みたいものしか書いてこなかった。その中の2割はきらめきだと信じていたけれど、たぶん思い上がりだったのだ。読み手が勝手にきらめきを発見してくれるはずだと、驕っていた。

この2割のきらめきを、ひとの心を捉えて離さないなにかを、掬えているつもりだった。「なんて言ったらいいかわからないけどとても好きです」というような形容できない感情をコメントとしていただくことが多かったし、もっと遡れば学生時代も似たような趣旨の評価を教師から受けていた気がする。そして図に乗ったのだ。才能とやらがある気になっていた。

正直なところ、この気持ちの打開策が思いつかない。経験したことのない異常事態だし、乗り越え方すらわからない。ただひとつだけはっきりしているのは、マスターベーションの中のほんのひとさじのきらめきを、どうにかして写し取りたいということだけだ。それだけを求めて、這いつくばりながらきっと明日もキーボードを叩く。

読んでくださってありがとうございます。サポートは今後の発信のための勉強と、乳房縮小手術(胸オペ)費用の返済に使わせていただきます。