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推しが死ぬ話

まず断っておかなければならないのだが、このエッセイは竹宮惠子『風と木の詩』、萩尾望都『雪の子』『トーマの心臓』、吉田秋生『BANANA FISH』のネタバレを含む。
これらの作品を今後読もうと考えている人は、すぐにこのウィンドウを閉じてくれ。頼む、今すぐだ。わかるな。

とか書いた時点でもはやネタバレなんじゃないか、という苦情が寄せられたらどうしようかとビクビクしている。
でも、他に良いタイトルも思いつかなかったので、このまま書き進めることにする。

いちばん最初に推しの死を経験したのは、中学生のときだ。
高校生の先輩(わたしの通っていた学校は中高一貫校だった)に借りた『風と木の詩』ジルベール・コクトーの死である。
『風と木の詩』の内容については、今ここでわたしが語る必要もないほど有名だが、一応あらすじだけ。

19世紀末のフランス・アルルの寄宿舎学校を舞台に、誠実で肌の色が「とび色」のセルジュ・バトゥールと、あまたの男と関係を持つ妖艶な美少年ジルベールの恋愛が描かれた少女漫画で、現在のBL漫画の走りであり、上野千鶴子が「少年愛漫画の金字塔」と称した名作である。

当時14歳で、まだ誰とも付き合ったことがなかったわたしには、とても刺激的だったことを覚えている。
愛憎とセックスを真正面から描いたこの作品は、わたしのその後の人格形成に多大な影響を及ぼした。

オーギュスト・ボウしかり魅力的なキャラクターばかりなのだが、やっぱりもっとも心奪われたのはジルベールだった。

少女と見紛うほどに可憐で蠱惑的なジルベールは、自分の魅力に非常に自覚的だ。
たいていの男は、自分を前にすると理性を忘れてしまうことを、きちんと知っている。
わかった上で、自分から男たちを嗾ける、娼婦のような誘惑者だ。

この記事でも言及したが、「女の子」が男の従属物にしかなり得ないことに、子どもの頃深く絶望していた。
しかし、ジルベールは違う。
少女性を保有しながら、男性に対して能動的だった。

気高く、気難しく、それでいて繊細で神経が細く、男たちを次々と手玉に取るジルベールは、当然ながらまだ子供だったわたしの憧れの対象となった。
ジルベールが客体となるのは、セックスのときだけだ。
こんなふうな魅力的な主体になりたい、と強く憧憬の念を抱いたのを覚えている。

だから、夢中で読み進めたラストで、ジルベールがアヘン中毒になって馬車に轢かれて死んでしまったときは、とてつもない精神的ダメージを負った。
まるで自分の一部が死んでしまったような気分だった。

二度目の推し死亡体験は、実在の人物だった。
『ダークナイト』ジョーカー役で有名なヒース・レジャーである。
高校1年生のある朝、登校すると友人たちがヒースの事故死を報じるネットニュースを見てざわついていて、そこで知った。

絶望だった。
思春期だったこともあり、同級生には打ち明けることができなかったが、わたしはジョーカー役のヒースよりも、カウボーイの男性同士の恋愛を描いた『ブロークバック・マウンテン』のヒースが好きだったのだ。

同じくヒースを好きな友だちとよく話すのだが、あの揺れる瞳が切なくて大好きな俳優だった。
目だけであれほど感情を語れる俳優なんて、ちょっとヒース以外思いつかない。

ハリウッドデビュー作、ラブコメディ『恋のからさわぎ』で、ふつうの高校生の役をやっている彼も大好きだった。
本人はアイドル路線で売り出されることが嫌だったみたいだが、この作品のヒースは、歌って踊って女の子に恋をして、本当に楽しげで微笑ましい。
いたずらっぽい笑顔まだ幼く、ときめかない人間などいないだろう。

そんな彼が死んでしまっただなんて。
しばらく立ち直れなかった。
あまりにも早すぎた。

わたしは今年で28歳になるのだが、ピースの享年は28歳なので、もうすぐ年齢が追いついてしまう。
死後10年以上経つのに、わたしの傷は癒えていない。
憧れの対象の年齢を越えてしまう現実に耐えきれない。

ちなみに『ジョーカー』は、ヒースでないことが悲しすぎて未だに観れていない。
ヒースじゃないと認めない!とかそういうことじゃなくて、生きていたらヒースが演じたんだろうなぁとか、ヒースの死を実感してしまうのが怖くて観れないのだ。

その後友だちとの漫画の貸し借りで、萩尾望都作品に触れる。
代表作『トーマの心臓』では初っ端でトーマが自殺するし、今でも萩尾望都の中でわたしの中の1位2位を争うほど好きな『雪の子』の主人公エミール・ブルクハルト(本当は女の子だが、祖父の遺産を継ぐために男の子の振りをした妖しげな色気を持つ"少年")もラストで自死する。

思春期でこれだけ推しが死ねば、トラウマにもなる。
わたしが好きな人はみんな死ぬ運命なのかと思うと、本気でやりきれない気持ちになった。

そのため、なんだか主人公が不幸なラストを迎えそうな作品を勧められても、なかなか読み出すことができなくなった。

吉田秋生『BANANA FISH』も、ずっと前から友だちにおすすめされていたのに、読み終えた後の精神的ダメージを怖れ、二の足を踏みまくっていた。
アニメ化にあたりようやく全巻揃えて読んだのだが、予想通りアッシュ・リンクスに感情移入しまくり、自己投影しまくり、そして予想通りアッシュも死んだ。

実のところ『BANANA FISH』は数回しか読み返していない。
というか読み返せない。
アニメは1度しか観ていない。
あまりに悲しみが深かったし、読んだら/観たらまた心が死ぬことはわかりきっているからだ。

結局のところ、わたしは物語に「傷つけられる」のが好きなのだ。
わたしの好みがそうだから、自然とおすすめされるものもそういう殺傷能力の高いものばかりになるし、ハマるものも容赦なく気持ちを抉るものばかりになってしまう。

こういう物語を読んだあと、数週間は推しのことを引きずって気持ちが沈む。
ジルベールが生きる道はなかったのだろうか、アッシュが自由に平和な人生を歩むことは許されなかったのだろうか。
そして、もしヒース・レジャーが今生きていたら、どんな40歳になって、どんな役をやっていたのだろうか。

そんなことをぐずぐず考えて、そして考えてしまうことをわかっていながら、わたしは次もやっぱり「推しが死ぬ」物語を読むのだろう。

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