会津 福島に行った。早朝、気球を見に行くつもりだったけれど結局濃霧で気球は飛ばなくて、のんびり川沿いを歩く。田畑の続く農道は霧で真っ白だった。 霧たつ秋の、白い景色のなかに、野焼きのにおいがする。 ふるさとも霧が多かった。川や水路、田んぼ、水の豊富な湿地。 稲刈りのころはどこからか野焼きの煙が流れてくる。霧のなかを歩いて学校へ行った日のこと。刈り取りを終えた田の向こうに飛んでいた気球のこと。畑でとれたねぎをたくさんのせたお昼のうどん。 霧の立ちこめるなか浮かんでくる
海 叶えられることは叶えてしまおう、と思って、海に行った。生まれてはじめて、海で泳いだ。 人の少ない夕方の海、太平洋は思ったより何倍も波が高くて、なんども頭から波をかぶって、なんども倒されてしたたか足を打って、そこにざぱんと潮水がかかる。 浮かんでいても信じられないくらい体は上下して片時もとどまれない。 水のなかはずっと動いていて、ときどき海面に顔を出して沖を眺める。新しい波が来る。 ほかに来ていた人もいなくなって、遠い水平線が見える。潮と砂にもまれて頭がぼうっと
灯台のある海辺の町に泊まった。小雨の降る白い海を眺めてすごす。 すこしずつ明けてゆく夜を照らすように灯台の明かりが見えては隠れる。明滅する光。命の鼓動みたいだった。 十年の付き合いになる人から、小説、書きませんか、と声をかけてもらって書きはじめたのが一月、渡したのが三月。フィードバックをもらって、五月と六月はずっと直していた。勤めの仕事以外の時間、ほとんどを書くことにあてていて、六月の末にようやく渡すことができた。 通勤するあいま、道沿いに咲いていた立葵がきれいだった。遠く
五月のはじまりの日。明けがた小さな夢を見た。 海辺の美術館の窓から眺めた、ライラック色の海。朝焼けに染まる、静かな水面。 シーツのうえで、うすれてゆく記憶をたどるように書いておいた。忘れたくなくて。小さな情景。 でも、どうしてそういうものを、とどめおきたい、と思うんだろう。 初夏は鳥の声で目ざめて、葉をわたる風が窓辺から届く。 ときどき朝の散歩をする。森を歩く。朝露にぬれた草のなか。肌にふれて心地好かった。シジュウカラの声がする。 エゴノキの咲くのをずっと待っていて、
年度の切り替わりのせわしなさでたびたび寝こんでいた。めまいがひどくて夕方眠ってしまう。 ベランダからときどき外を見ていた。咲き初めだった桜が葉桜になってゆく。花びらの散る夕暮れはしずかだった。 ぐあいの良いときに外に出て水辺に白山吹の咲いているのを見つけた。今年も会えた。好きな花が生きていること。ただただ、見つめてすごす。 三月、春風みたいな言葉にふれて、ゆさぶられて、毎年春はゆれてしまって冷静さをたもつことがむずかしくて、でも凪いでいたい、と思った。返事を書かなかった。
2月某日 湯あがり、散歩に行く。 朝の林。恋い交わすような鳥の声を聴く。 3月某日 絵を贈っていただいたお礼に、プレゼントを贈る。 ガラスでできた、小枝のかたちのカトラリーレスト。お箸を置いても。ペンや、絵筆でも。 大切なものをひととき休ませる、とまり木になってくれたら。 3月某日 ここにいつも、ジョウビタキがいるんですよ、と見知らぬおじいさんに教えてもらった場所に、今日も鳥はいなかった。幻のジョウビタキのすがたを想う。おじいさんのほうが幻だったのかもしれない。
春。梅の花を見ている。 ほころぶ。こぼれる。梅の花にそえられる言葉。 長く保ってきたものがあふれてゆくような、こぼれるイメージの近くで梅の花は咲く。 こぼれる、というと思い出すことがある。 長い小説を書いていたころ、文章のことをひとつひとつ教えてくれた人がいて、私が書くものをいつも読んでくれた。書ききることができなくて、指がとまってしまう。その書きかけの小説について話していたとき、その人が言った。 水を運ぶというのは、むずかしいんです。どうしたってこぼれてしまう。
雨が降った日に傘をさして散歩をした。 林のなかには誰もいなくて、空は白かった。いつも散歩のとき耳を澄ませて聞いている鳥の声がしなくて、雨音だけが続いていた。静かだった。 生活のなかの仕事の比重が大きくなって人と会う時間もふえた。それはそれで楽しくて、でもバランスをとるようにひとりになる時間もとっている。 体はずいぶんよくなって、年明けに行ったときお医者さんは笑顔だった。 ほんとうによくなってくれてうれしい。波はあっても過ごせているなら大丈夫。でも必ず、休み休み、です。
冬になると、すこし写真のトーンが変わる。 弱まる光にそっと抱かれたような感じになる。 冬の光は、とてもやさしい。 弱さ、というやさしさを思う。 ◯ 変わろうと思った今年だった。 ちがう仕事をはじめ、新しい人たちと出逢い、いままで読まなかった本もたくさん読んだ。 何かに近づき、そのぶん何かから離れ、でもおだやかに、つつましく生活ができて、よかったと思う。 別れも、失ったものもたくさんあったけれど、距離や不在が培ってくれるものもたくさんあった。大切に愛しさを育んでいる気
寒い時期に咲く桜を、今年はたくさん見た。 職場にきれいな冬桜が咲いていて、朝、いつも見上げている。ときどき小鳥が来る。 春咲きの桜と違って、ひと枝にわずかしか花をつけない冬桜は、ひかえめで、花も小ぶりで、その楚々とした佇まいにとても惹かれる。立ちどまって、よく眺めている。 ◯ そういう品種の桜だけでなく、ふだんは春に満開になる桜でも、意外と秋にも、咲くんだ、ということを知った秋だった。 冬枯れの枝先に、ひとつふたつ、思い出したようにそっと咲いている。河津桜も、枝垂れ
目をさます時間が、すこしずつゆっくりになっている。秋が深まってゆくな、と思う。 たなびく雲を眺めながら体を起こす。 ときどき散歩をする。 森を抜けた野原に萩が咲いていた。つつましくてとても好き。あたらしいフィルムで秋をうつす。 夏よりやわらかくなった光を萩も私も受けている。 草木の、赤くなってゆく実。黄色くなってゆく葉。 ほんとうにつらいことがあって眠れなかった日、朝焼けがきれいだった。一羽、鳥が飛んでいた。職場への道にも萩が咲いていた。朝露。光るしずく。葉を伝ってしず
ときどき海の夢を見る。 青くてしずかな海。とぷん、と行くときもある。 ゜ ゜。 泳ぎたいな、と思って、水につかった。 水はやわらかくて、水泡がゆらゆらとのぼっていって、魚のようになって泳いだ。 水のなかにいると、お腹のなかにいたころとか、生まれるまえのこととか、魚だったことをうっかり憶い出しそうになる。 存在の深いところで相手を呼んでしまう歌。私も一介の水泡だと思う。 水のなかは、夢のなかと似ている。 やわらかくて、あいまいで、とけそう。水につかったままのような気持
とろめくように日々は過ぎて、おだやかに夏を生きています。 仕事にもすこしずつ慣れてきました。 おろしたてだったブラウスがやわらかくなって、かわらず肌ざわりが心地好くて、優しい服をまといながらできるだけ丁寧に仕事をしています。 働きはじめたころは八重桜が咲いていたけれど、もうさるすべりが咲いている。歩く道すがら色味を変えてゆく植栽の、夏の光にゆれるのを眩しく見ています。日々がとても、愛しいです。 ほんとうに体が弱かったから、あまり寝込まずに過ごせているこの1年が夢かなにか
写真展を見るためにひさしぶりに都内に出て都心を歩いた。 ビルのあいまに咲く夾竹桃の白い花がきれいだった。咲きはじめたさるすべりの色にみとれて、どこにいても私は草木を見ている、と思う。 のうぜんかずらの橙色があちこちで咲きこぼれている。 実家の庭にも咲いていた。物干し台の近くにあって、白いシーツを干す母の肩越しに鮮やかな花が見えた。その光景がとても好きだった。 母は結婚後、家出したことがある。 そのときの話をよく父から聞いた。出窓から飛び出してサンダル履きで田んぼのほうに逃
姫沙羅という花がとても好きで、咲くのをずっと待っていた。 六月の初めころ、白くて小さな花をつける。 朝咲いて、夕方に散る一日花で、地面にもいくつも落花が咲いていた。 それよりすこし大きい夏椿も、とても好きで、そのやっぱり白い可憐な花を、この時期よく見にゆく。 雨のふる時期に咲くことを選んだその気持ちに、ふれようとしてもなかなか届かないまま、眺めている。 高校生のころ、ほんとうにつらいことがあると、よく目をとじていた。 お布団に入って暗がりのなかで目をとじていると、まぶ
新しい日々が流れてゆく。シャワーみたいに、肌を伝ってさらさら流れて洗われてゆく。 新しい仕事のためにブラウスを買った。真新しいブラウスに袖を通す。 肌ざわりが心地好い。うすくてしなやかで、かすかに張りがあって、ふんわりやわらかい。私もまたそうありたい。 昔、東北の雪深い町をおとずれたとき、タクシーに乗った。しんしんつもる真っ白な雪のなかを行く。 雪道の運転は、いつかは慣れるものですか。 そう訊くと、運転手さんは、頷かなかった。 慣れたら、いけないと思うんです。