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そばにいる

目をさます時間が、すこしずつゆっくりになっている。秋が深まってゆくな、と思う。
たなびく雲を眺めながら体を起こす。


ときどき散歩をする。
森を抜けた野原に萩が咲いていた。つつましくてとても好き。あたらしいフィルムで秋をうつす。
夏よりやわらかくなった光を萩も私も受けている。





草木の、赤くなってゆく実。黄色くなってゆく葉。

ほんとうにつらいことがあって眠れなかった日、朝焼けがきれいだった。一羽、鳥が飛んでいた。職場への道にも萩が咲いていた。朝露。光るしずく。葉を伝ってしずかに流れる。

命のまわりを彩るものは、とてもやさしい。



 

生きるということを教えてくれたのは身のまわりの草木だった。

幼いころ、いつもひとりで歩いていた。
野辺の草や畦の花と話して風の声を聞く。歩きつかれると田んぼのへりにしゃがんだ。ねぐらへ帰る鳥が西の空を飛んでゆく。

夕陽はひとしく金色につつむ。隣で草が金色になってそよぐとき、私も金色だった。ただ金色になってゆれていればいいのだと思った。


そばにいる、ということを思うとき、畦の草を思う。

光にそまり、風にそよぎ、露にぬれて、そこにいる。
つつましく自分の生をいきることが、そばにいること、という気もする。
そうしてしずかに、深く深く、つながっていることを、体の奥で思い出す。





私もひとくきの草として、そっと背をのばす。
朝焼けを浴びる。雨や、風をうけとめる。ときどき泣く。潤って、色づく。ほほえんで咲く。
やさしくゆれながら、つつましく生きてゆきたい。萩や、畦の草がそうであるみたいに。しずかにそばで、そよぐような。


かすかで、深い、つながりのなかで、おなじ時間を呼吸すること。ただ素直に生きてゆくことが、そばにいることなのかなと思う。今日も萩が咲いている。私も命を生きている。


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