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楚々

寒い時期に咲く桜を、今年はたくさん見た。

職場にきれいな冬桜が咲いていて、朝、いつも見上げている。ときどき小鳥が来る。

春咲きの桜と違って、ひと枝にわずかしか花をつけない冬桜は、ひかえめで、花も小ぶりで、その楚々とした佇まいにとても惹かれる。立ちどまって、よく眺めている。






そういう品種の桜だけでなく、ふだんは春に満開になる桜でも、意外と秋にも、咲くんだ、ということを知った秋だった。

冬枯れの枝先に、ひとつふたつ、思い出したようにそっと咲いている。河津桜も、枝垂れ桜も。川べりの、大きなソメイヨシノにも、ぽつんと花がともっていた。
春になったら人がいっぱいになるその場所には、だれもいなくて、枝のあいまに隠れるようにひとつだけ咲いていた。

みんなと一緒ににぎやかに咲くことも、たったひとり、ひそやかに咲くことも、どれもとても、ひたむきで、美しいと思う。



だれもいない土手で河津桜のほんのすこしだけ咲いているのを見つけて、しばらくそこにいた。

いくつか例外的に秋に咲いてしまうのには生物学的な理由があるのだけれど、そういうことは私にはよくわからなくて、ただ、見ている。

春に咲くために抱いてきた、体のなかに盈ちてゆくものがあふれてこぼれているような、そんな感じがする。
そっとこぼれたものを、やさしく受けとめる手のひらが心にあればいいなと思う。あなたがいま咲いていること、そのまま受けとめる手のひら。


ときどき虫たちが飛んできて、花びらにうもれていた。花はしずかに抱きとめる。
あふれて、こぼれて、渡してゆく。交わしあう。惜しみなく。命の、ささやかないとなみ。
光のなかで花は透きとおる。そこからこぼれてくる。私も大切なものを受けとった気がする。



冬が近づくごとに花の姿は見えなくなった。見慣れた冬枯れの梢になってゆく。
ほんのいっときこぼされたものを大切に手のひらに抱いている。想うほどあふれてくる。指先からこぼれて言葉になってゆく。



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