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この頃のこと

とろめくように日々は過ぎて、おだやかに夏を生きています。

仕事にもすこしずつ慣れてきました。
おろしたてだったブラウスがやわらかくなって、かわらず肌ざわりが心地好くて、優しい服をまといながらできるだけ丁寧に仕事をしています。

働きはじめたころは八重桜が咲いていたけれど、もうさるすべりが咲いている。歩く道すがら色味を変えてゆく植栽の、夏の光にゆれるのを眩しく見ています。日々がとても、愛しいです。




ほんとうに体が弱かったから、あまり寝込まずに過ごせているこの1年が夢かなにかのようで実感がわかなくて、どこかまどろむように淡い日々を泳いでいます。

朝、目を覚ましたとき、呼吸ができて、体を起こすことができて、鳥の声が風にのって流れてくる窓辺に立って、雲を眺めているとき、自分の体が他人の血によってできていることを思います。

私は人体2体ぶんの輸血を受けていて、それがなければ生きることができませんでした。
その後もたびたび体をこわしていたので、いつ、どこでなにが損なわれるかわからないという気持ちがあります。

あたらしく馴染んだ職場の人たちとの、すこやかな日々も、突然失われる、そうどこかで思いながら、でもゆっくりと、できることをつづける。つつましく。丁寧に。
あまり大きく自分を変えずに働けること、ほんとうにありがたいなと思います。




命の淵にたったとき、名残りがほとんどなかったです。うすれゆく意識のなか、まぁいっか、と思った記憶があります。したいこと、たくさんしてきたし、いろんな経験もできた。
淵から戻ったときのほうが、これからどうすればいいのかわからなくなったくらい。

いま、叶えたい夢があるとすれば、つつましく日々を生きること。やわらかなものを返してゆくこと。
(もう献血できないので血は返せない)
ことばは舟だと思っていて、そこに大切なものをのせて、流してゆきたい。

小さな命にできることって、案外大きいと思うのです。私が、ということではなくて。だれにとっても。そういう命の小さな営みの大きな力に、支えられてきた生だと心から思っています。



波は忘れんぼ、
きれいなきれいな貝がらを、
砂の上においてくよ。

金子みすゞ「波」


なんの意図もはからいもなく、たゆたう波がそっときれいな貝がらを浜辺に置いてゆく。
私はそれを拾って生きてきて、たくさんの貝がらをガラスびんに入れて眺めてきたけれど、そろそろぜんぶ、返してもいいのかなと思っています。

いつか波のように、渡したことさえ忘れてしまうほど、さりげなく、なにかを置いてゆけたらいいなと思います。


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