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アメリカの友人(小説感想)_徐々に非日常へ巻き込まれる描写が巧みな心理サスペンス

パトリシア・ハイスミスによる1974年の著作で、「太陽がいっぱい」「贋作」に続くシリーズものとなっている。主人公のトム・リプリーがシリーズ共通で登場することになっているらしい一。らしいというのは、私が本作をシリーズものということに気付かず、前2作品を知らずに読んだからだが、知らなくても充分に楽しめた。
以下ネタバレを含む感想を。

不思議と嫌な感じのしない男、トム・リプリー

トム・リプリーはリーブス・マイノットというアメリカ人から、高額の報酬をと引き換えに「簡単な殺しをしてくれ」と依頼される。どう簡単かという説明はなく、まずは引き受けて貰えるかどうかの判断を迫られる時点で怪しいのだが、トムは特に金に困っていないので引き受けようとしない。リーブスは他に誰か心当たりがいたら紹介してもらえるようにトムへ言い残してその場は引き揚げる。

トムはふと1ヶ月前に一度だけ会ったことのある真面目そうなイギリス人、ジョナサンのことを思い出す。トムが自己紹介したらジョナサンから「ああ、はい、お噂はかねがね」と、まるでトムが過去に行ってきた悪事を見透かすようなセリフを言われたために嫌悪感をおぼえていただけのことだが、とにかくジョナサンのことを思い出した。
ほんの少しのやりとりだったが、ジョナサンに軽く仕返しをしたいと考えたのだろう、リーブスの殺人依頼を受けるように仕向けることになる。

また、本書の原題は『リプリーのゲーム(Ripley's Game)』というだけあって、余命いくばくもない善人(ジョナサン)に報酬をちらつかせて殺人をさせることは可能か。ということを楽しんでいるフシがある。
一度会って嫌な印象を受けたというだけで、ジョナサンを疑心暗鬼にさせて、間接的にせよマフィアの殺人に巻き込むというのは酷い話しだが、このあとの展開が一方的にトムが悪いような印象にならないのが不思議だ。
むしろトムとジョナサンが男同士の絆を結んでいるかのように感じられるようになる。それは、トムとジョナサンがマフィアを撃退するために取った行動というのが、英雄的で決断力のある行動を取っているからだ。

逆に殺人を依頼しておきながら、マフィアに脅されてジョナサンのことを白状したリーブスこそ最悪な男なわけだが、ある意味とても人間らしい弱さを持っているとも言えるし、だからこそ危ない橋を渡りながらも生きながらえている。

依頼を受けざるを得ない状況に追い込まれる巧みな心理描写

裕福ではないが妻と子がいて真面目に生きてきたジョナサンがなぜ殺人依頼を受けることになったのか。ジョナサンは白血病を患っており、あと何年生きられるのか分からない。また自分の死後に妻と子へ残せる潤沢な財産はない。

そんなジョナサンの心の隙をついて、トムは「医者が嘘の診断をしている」という噂を人づてに流す。そしてリーブスをけしかけて、ドイツの医者を紹介するついでに殺人依頼をジョナサンに遂行させるのだが、このあたりの心理描写がとても巧い。
真っ当に考えたらありえない話しなのだが、人づてに自分の余命が長く無いと聞かされることによって、「医者が自分以外に本当の余命を語っている」と思わされてしまう。
優秀な医者を紹介してもらったからといって殺人依頼を引き受ける必要などまったくないし、報酬が入るとはいえリスクが高すぎて交換条件としては割りに合わない。
しかし真面目なジョナサンだからこそ、リーブスに借りをつくりたくないからドイツの医者を紹介してもらった見返りに殺人を引き受けてしまうのだ。つまり、ドイツの医者へかかると決断した時点でジョナサンはもう引き返せないところまで来ていた。

トムのジョナサンに対する愛情

列車内で二人目の殺人の困難さに覚悟を決めかねていたジョナサンのところへ、突如トムが現れて加勢してくれることになる。

元々トムには非日常的な刺激を求める傾向があるし、マフィアを嫌悪しているという描写もある。しかしクレバーなトムがマフィアからの報復を考えなかったハズがない。
かといってジョナサンをリーブスの依頼を引き受けるように仕向けた罪悪感があったというのは理由として薄い。つまりトムは無自覚であったにせよ、いつしかジョナサンという男に対して愛情を持っていたのかもしれない。

すべての事件が終了した後にトムがリーブスをオルリー空港へ送るシーンにこうもある

ジョナサンが一度だけ使った歯ブラシは、なぜかリーヴズに持たせたくなかった。

では、ジョナサンの方はトムに対してどう思っていたのかというよ、本当のところはよくわからない。

自分の家が襲撃された際にトムを庇ってわざと車内の拳銃の男とトムの間に入った行動はとっさの行動であったしまともな精神状態では無かった。
しかし、平穏な日常を乱した元凶であるトムを許していることは窺える。(真面目なジョナサンのことなので、二人目のマフィア撃退に加勢に来てくれたトムの行為に感謝していただけかもしれないが)

そうして、妻のシモーヌがジョナサンの行動を怪しむようになってから、ジョナサンを間にしてトムとシモーヌが対立するわけだが、そのやり取りはまるで恋愛の三角関係のようだ。
パトリシア・ハイスミスは同性愛者であったので、ひょっとしたらムとジョナサンにそういう愛の形を投影させたのかもしれない。

彼自身は神のような心境だった。どこかを撃たれていたが、なぜかもうどうでもいい。これが死だ。これまで死を直視しようとして、果たせずにきた。覚悟を決めようとして、決められずにきた。覚悟などできるわけがなかった。結局、ただ身を委ねたらよかったのだ。自分がやったこと、やりそこなったこと、成しとげたこと、努力したこと──すべてが空しく思えた。

ジョナサンの死の間際の心境を読むと後味の悪さは残るが、トムはゲームを最後まで生き残ったし、シモーヌは財産を手に入れて終わる。
マフィアに命を狙われる非日常へ引きずり込まれて、事態が収束するまでのそれぞれの登場人物たちの心理描写に、緊張感を感じられてよかった。

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