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福知山へ行ってみたら、最新技術と夢の城とシブい城下町があった。

先月6月25日(金)、以前から予定していた福知山への紀行がやっと実現しました。

やっとというのは、コロナの影響で延び延びになっていたからです。
当初は桜の季節に行こうと思っていたのですが、緊急事態宣言に伴って各施設が閉館となったので、5月の下旬なら大丈夫だと思って予定変更したら、また延長となって、さらに一か月延びての実現だったのです。

はっきり言って遠かった。
一泊するほどの距離ではないのですが、日帰りで行くにはちょっと時間がかかったという印象です。

京都は広いとつくづく思いました。
それもそのはず、福知山市はハズレもハズレ京都府の西の端っこで、竹田城で有名な兵庫県朝来市との境にあるのですから。

本当はもっと現地の寺社仏閣も回りたかったのですが、全然無理でした。
大まかに2カ所を回って、あとは食事と甘味の名店しか回れなかったのです。

それでも、いつも通り充実した一日となり、みんなそれぞれの満足するポイントは違っていても、それなりに良い紀行になったと思います。

さて、この日の参加メンバーは、
食いもん奉行のみこさん、体験型寄合衆のリンさん、反応型寄合衆のヒデさん、快活型寄合衆のトコさん、私の合計5名です。
今回はみこさんが車を出してくれて、運転してくれました。
そしてこの日は、反応型寄合衆・ヒデさんがルートのナビ奉行と会計奉行を兼務してくれたのです。

※メンバーに関しての詳細は「奥の枝道其ノ一」参照







グンゼ博物苑で設立精神と驚愕の開発技術を知る。

京都縦貫自動車道の「京丹波わちIC」で降りて、福知山に入ると山と田んぼの緑が美しく、晴天に恵まれたおかげで眩しいぐらいの風景が広がっていました。

やっぱり緑の性質がまるで違う!

その美しい風景の中、やっと着いたのが目的地のひとつのグンゼ博物苑です。
8時半に出発して10時過ぎですので、ほぼ渋滞にも遭わず予定通りです。

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ここまで遠かったー!
みこさん、運転お疲れ様です。
ヒデさん、ルート案内、ありがとう!
入口入ってすぐにおサレなカフェがあって、全員吸い込まれるように中へと入っていきました。
早速ですが、休憩です。
しかも、マフィンも注文して、芝生の中のテーブルに陣取りました。

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みこさんとヒデさんはともかく、他の3人は後部座席に悠々と座っていただけだったので、「食うんかい!」と思わずツッコミながら、早くもおばちゃんの"別腹"が起動しました。

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もちろんシッカリ朝ごはんは食べてきましたが、マフィンぐらい何の抵抗もなく胃袋に入ってしまいます。

グンゼと言えば、一番に浮かぶのが下着ですよね。それにパンスト、靴下など、とにかく直接肌に触れる商品を開発・製造・販売し続けています。

あくまで私の個人的イメージですが、グンゼのパンツといえば、昔の小学生がはいていた、おへそ付近まである股上のふか~いパンツを連想してしまいます。
そのせいで、下着メーカーの老舗とはいえ、つい多少の野暮ったさを連想してしまいがちでした。

しかし、今はものすごく進化していて、店頭で、お!いいな、これ。
と思ったらグンゼの商品だったりします。
今は本当にたくさんのメーカーの商品が並んでいる中、迷った挙句、手に取ってみたら、グンゼだったりすることがありませんか?

今回の訪問で、その理由がハッキリしました。
そんな昔のイメージは全くなくなって、あくまでも身体にノンストレスの商品への開発努力と進化に納得せざるを得なかったのです。
私の想像をはるかに超えた未来に向けての開発目標を目の当たりにして、驚愕してしまいました。

日本の老舗、おそるべし。

みこさんなどは、最初っからダンナへのお土産はパンツにすると、狙いを定めていました。

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私も便乗して、「開放感がハンパない!」というキャッチコピーのパンツを、ダンナと2人の息子にと3枚買いました。
3人とも気に入ってくれて、あまりのはき心地の良さに感動していましたよ。

さすが、グンゼです。

ここには展示蔵なるものが3棟あって、創業蔵、現代蔵、未来蔵と分かれています。

創業者は波多野鶴吉(はたのつるきち)です。
彼は当時、ここ、何鹿郡(いかるがぐん)・現:京都府綾部市の大庄屋の次男でしたが、8歳で波多野家の養子となりました。

京都で学業に励み、事業も興しますがことごとく失敗し、波多野家の財産をついに使い果たしてしまいます。

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鶴吉は帰郷して再出発しますが、地元の養蚕農家の生活の劣悪さに驚きます。
さらに、東京での品評会で京都の養蚕商品は粗悪であると酷評されてしまうのです。

故郷・何鹿郡(いかるがぐん)の地場産業である養蚕業を、何とかしなくてはいけない!と気づかされるのです。
そして、養蚕業の振興こそ、故郷にとって最重要な事だと奮い立ちます。
その後、組合の結成、養蚕学校を設立し、養蚕から製糸業に至るまでの知識と技術を教育し、人材の育成に努め、郡是(ぐんぜ)製絲株式会社の設立へと至るのです。

ところで、社名のグンゼの由来はご存じですか?
元々は郡是という漢字表記でした。

殖産興業政策を明治政府に立案した前田正名の言葉からきています。

「今日の急務は、国是、県是、村是を定むるにあり」
意味:今しなければなならないのは、国、県、村にとって最も相応しい最良の事を実行すべきだ。

この言葉に感銘を受け、鶴吉は郡のために急務である事なので郡是としたそうです。

おや?ここでもではなくなのですね。
特に明治維新という大革命を成し得た原動力となった、基本思想の登場です。
残念ながら、現代人には消えつつある思想でもありますね。

前田正名についてはまだまだ語りたいのですが、ここでは割愛して、またの機会にさせていただきます。

創業蔵と現代蔵で、創業者の思いと努力、現在までの軌跡を知ると、なんともその歴史に感動してしまいました。

そして、そして、最も驚愕したのが未来蔵です!!

グンゼが創業から培ってきた技術を応用した医療分野での貢献は、目を見張るものがありました。
「吸収性縫合糸」や「人工皮膚」の開発にまで取り組んでいたのです。

1988年グンゼが国内で初めて開発した「吸収性縫合糸」は、手術の際、抜糸しなくてもよく、身体に負担がかからない魔法の糸です。

え??それってグンゼだったの?

そのような医療用縫合糸の存在は知っていましたが、まさか身近な下着メーカーであるグンゼが初だとは知りませんでした。

日本の医療技術の向上を大きく助けたグンゼですが、それだけではありません。

そこから「生体内吸収性」を開発し、さらにまた応用して、縫合補強材、骨接合材、人工皮膚など、医療材料はバリエーションを増し、今では人工血管の研究まで進められているのです。

最先端メディカル技術を体感できるコーナーもあり、そのリアルさにも驚きました。

(↑体験しているのは食いもん奉行のみこさん)

かつて深い傷を負った場合、皮層を再生させるのは困難でした。
しかし、1996年以降の人工皮膚の開発より、2~3週間で細胞や毛細血管が再生させる事が可能となりました。

その人口皮膚による皮膚再生の過程を、プロジェクションマッピングでリアルに体験できたのは面白かったです。
重症のキズを負った腕に実際の手術過程が投影されます。
医療器具の使い方までわかるという徹底したリアルさでした。

(↑モデルは体験型寄合衆のリンさんでした。)

どこまでも身体にノンストレスを目指していたのですね。
お土産に買ったパンツどころではない開発技術です!
こんな素晴らしい企業努力を見て、180度グンゼへのイメージが変わってしまいました!

今まで、勝手なイメージを持って、申し訳ありませんでした!






「柳町」の鴨すきは美味すぎる!

着いてすぐマフィンを平らげたくせに、もうお腹が空いてきた!
おばちゃんたちの胃袋はどこまでも貪欲です。

さて、車で一気に20分ほどで福知山城の駐車場・ゆらのガーデンまで行って、無料なので駐車したまま、ランチ予定の「柳町」まで歩きます。

…と、これが大失敗!
調べてみたら、1キロほどですし、城下町の街並みを見ながらブラブラ歩くのも粋かと思っての選択だったのですが、とんでもなかった!

いったんR24に出て、内記一丁目交差点で北へ曲がり「城下通り」をひたすら真直ぐに北上するのですが、期待していた風情ある街並など1ミリもなく、ただっ広い車道が広がるただの幹線道路のみでした。

たかが1キロの距離ですが、変わり映えのしない景色の上、天気も良く気温も上がってゆく中の徒歩はキツかったー。
車で移動すべきだったと、心の底から後悔しました。

ほうほうの体でやっとたどり着き、柳町の店構えを確認できた時は、本当に嬉しかったです。

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過酷だった城下通りからまっすぐの通りですが、急に道幅は狭くなり、この一帯だけは想像通りの風情が残っていました。
明治の町家を改装して作られた店内は、裏庭の様子が心地よく、風情満載で落ち着いた雰囲気で、一気に疲れが取れていくようでした。

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それに、一歩入った途端、出汁の良い香りが充満していて、鼻腔をかすめるどころか、一気に肺の奥を通って胃袋の中まで到達して刺激されたのです。あの暑くて長かった過酷な労力を癒してくれる、期待通りのゴールに自然とみんなの笑顔が戻ってきました。

今回ここに決めたのは、食いもん奉行のみこさんが、事前にこのあたりのお店を何軒か選んでくれて、どれにするか、グループLINEで相談していると、快活型寄合衆のトーコさんの「鴨好き美味しそう!」という鶴の一声で決まりました。

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なんと、右手前のものは水菜か?と思ったら、実はネギなのです。
ネギをスジに沿って細く裂いた状態にしたもので、そうめんみたいになっています。
山盛りだったので、一瞬怯みましたが、しゃぶしゃぶした鴨肉と一緒だと、まったく抵抗なく食べ切る事が出来ました。

それどころか、〆には箱庭うどんとご飯を追加注文して、ぺろりと平らげてしまったぐらいです。
ガンガンに冷房の効いた部屋で暑い鍋を堪能するという、至福の時間を過ごしたのです。









新町商店街はシブすぎた

たっぷり休憩を取った事ですし、福知山城を目指しましょう。
とはいえ、またあの過酷な一本道はご容赦願いたいので、せめて「新町商店街」のアーケード下を通るルートを選びました。

商店街の入り口付近にこつ然と現れたSLです。
その時は意味が解らず、軽くスルーしてしまったのですが、「福知山鉄道館ポッポランド」という取り組みの一つのようです。
これは2号館らしいので、1号館が別にあり、福祉山市のイベントみたいなものの名残のようですね。

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ふと気づくと、幹線道路である「城下通り」も「柳町」からここまでも、ほぼ人がいません。
なんとなく予想は出来ていましたが、ここまでだと不安になってきます。
私の自宅付近では、ほんの近くのコンビニ行くだけでも、何人の人間に出会う事でしょう。
一応、ネットでは新町商店街も名所の一つとして紹介されていたにもかかわらず、誰一人歩いていなくて閑散としているのです。

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人がいないだけではありません。店も休業しているようです。
一歩踏み込むのを躊躇してしまうほどの静けさで、お店の様子も、私たちが小さい頃の昭和にタイムスリップしたような商店街でした。
昭和レトロと言うよりは、自然と朽ちて寂れた感じです。

"シブい"を通りこして"さむい"感じです。
まぁ、暑かったのでちょうど良かったと言えばそうなのですが、そもそも商店街とは地元の生活を支える存在であるはずですが、ここまで"さむい"と存在の意味すら疑問に思えてきます。

せっかくの城下町なのに、そ・れ・な・り・に整備すべきでは?という、ちょっとした憤りも感じてしまいました。

もったいないなぁ…
コロナの影響かもしれないですね。それを思うと、胸が痛くなりました。










明智光秀の思いが詰まった福知山城


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天守まで小山を取り巻くようにぐるぐるとした上り坂を登って、疲れが出てきた頃、やっとゴールです!
今回、私が楽しみにしていた福知山城に到着です!

何が楽しみかって、この城の石垣です。
一見すると、ただの「野面積み」のようですが、よーっく見ると墓石や塔なの石造物を転用されています。
わざわざ労力とお金を使って、石を切り出して用意するのではなく、すでにあるものを利用するという光秀の合理性が伺えますね。

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このような異物とも思える転用石を多用していて、不安定ではないかと思ってしまうのですが、400年以上も壊れることなく今に残っているのです。
戦国の天正時代の石垣なのですから、ちょっと感動してしまいます。

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発掘調査の結果、天守は何度か増築された跡があり、上の写真の石垣にもスジが残っていて、それより右側が天正時代のものだそうです。

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もう一つこの城で特徴的なのは、「石落し」の位置です。
通常は石垣を登って攻めてくる敵を払い落とすためのものなので、1階にあるのですが、その裏をかくように実は2階の軒下にあったりします。
敵は、手前にある1階の軒下には見当たらないので、安心して一気に登ろうとすると、注目していなかった2階から石が飛んでくるのです。

うーん、、、光秀、ただでは転ばない一筋縄ではいかない性格のようですね。
この石落しの位置は、そんな光秀の策士的な一面を感じずにはいられません。

そういえば、キリスト教宣教師のルイス・フロイスが光秀の事を、ものすごーくディスっていた記録を読んだことがあります。

~信長様から、なぜか信頼されていて、それを保つ器用さがあり、裏切り密会が大好きで、残酷で独りよがりなところもあった。ただ、それでいてウソをつくのが上手く、忍耐力も凄かったので、策の達人だった。~

一読すると、悪口オンパレードのようではありますが、解釈しようによっては、光秀の人柄がわかってきませんか??

裏をかえせば、忍耐に優れ、何かをするには慎重に打ち合わせを重ね、策をとことん練り、いかに敵の裏をかくか常に考え、それでいて、いっさい胸の内は見せずに、何事も冷静な判断と行動ができた人物だったようなのです。

だから、信長も「本能寺の変」で敵が光秀だと分かった時、
~是非に及ばず~
と、言ってしまったのではないのでしょうか?

余談ですが、この言葉の解釈は「仕方がない」と諦めの意味だったという説がありましたが、最近の説では「あれこれ言わず、戦うしかない」という前向きな言葉で、もっと言うと「もはや光秀であろうが誰であろうが、目の前の敵と戦うしかない」という意味なのです。
信長も、決してあきらめや迷いなどではなく、今現在しなければならない事を瞬時に判断できる性格だっだようですね。

しかし、戦国のカリスマ・信長も、まったくの不意を突かれた光秀の策略だったのです。

そんな光秀が「本能寺の変」を起こしたあと、簡単に「山崎の戦い」で秀吉に攻め滅ぼされてしまいました。

これには歴史の大きなイタズラを感じます。

大きな歴史の流れの中で、事の大小にかかわらず、その方向を変えるような人物がポッと現れ、消えていく事が所々であります。
不思議な事ですが、その人物が生を受けたのは、このためではなかったか。と、思えるほど歴史の要所に現れるのです。

例えば、平家を倒すために登場したのではないか、と思われる源義経(みなもとのよしつね)の存在みたいな。
その後、兄・頼朝(よりとも)によって追い詰められて自死した事を思うと、義経の人生は平家を滅亡させるためだけにあったように思えます。

光秀も完全にそうですよね。
信長の天下布武を阻止するためにこの世に忽然と現れた、みたいな。

というのも、光秀は謎だらけで、史実として明確なのは信長に仕えてからです。
信長の正室で、斎藤道三の娘でもある「帰蝶(きちょう)」とは母方の従弟だという事ですが、その肝心の「帰蝶」も信長に輿入れしたところまでははっきりしているのですが、その後の消息がまるでわからないのです。
それだけに、本当に血縁関係にあったのかどうかも疑わしくなってきます。

光秀は土岐家の一族で、美濃の明智城を有する明智の荘の出身であるとの事ですが、これまた決定打にかけるようです。

もしかしたら、どこの馬の骨かわからない人だったりもするわけで、そのどこの馬の骨かもわからない、ポッと出の人物が「本能寺の変」を起こした後、あっさりと死に、歴史を急旋回させたと思うと、光秀という人物はそのためだけに生を受けたのではないかという、神のイタズラ的な不思議さを感じてしまうのです。

謎だらけの光秀が起こした謎だらけの大事件・「本能寺の変」。
とんでもなく信憑性のある新史料が発見され、もっと解明されるまで、私の妄想は止まらないようです。
この件に関しての妄想と憶測はいくらでもできます。いや、妄想しているだけで幸せなので、むしろしていたいので、続きはまたの機会という事にします。

さて、福知山城の話に戻します。

明治の廃城令で失われた天守は昭和61年に生まれ変わり、中は博物館となっていますが、最上階から見える風景はほぼ当時のままでしょう。
遠くに見える由良川も、ゆったりとした山の稜線も変わらないはずです。

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ただ一つ、現存している当時のままの建物がありました。
二の丸への登城付近の銅門にあった「銅門番所」です。
天守台に移築されたり、また本丸に移築されたりあっちこっち定まらなかった番所ですが、今はここに大切に保存されています。

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天正7年に京都・丹波を苦心の上、平定して築城され、「本能寺の変」を起こす天正10年まで、たった3年しか光秀のものではなかったのですが、
それでも、信長の期待に応えて、大事を成し遂げたこの時の光秀は、達成感と希望に満ちた思いで築いた城であり、これからを見据えるための城でもあり、そして、何より光秀の最期の夢の城なのです。










栗、栗、栗だらけの「足立音衛門」


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そこそこ疲れてきたのですが、みこさんだけは、がぜん元気になってきました。
なぜかというと、最後に本日のお土産としてマークしていた、「足立音衛門」へお菓子を買いに行くからです。
先ほどランチを食べに歩いた、「城下通り」沿いにあるのですが、今度は車で寄ります。

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こちらも古民家を改装したような、風情ある建物です。
それもそのはず、この後ろにある邸宅と一式すべて、大正時代初期に建てられたもので、1997年には京都府文化財に指定されました。
ちょうどこの店部分は「主屋」にあたります。

なんと、パウンドケーキが1本一万円超えという強気の値段設定です。
確かに美味しそうではありますが、たとえ半額の5千円でも無理かな…
3千円でやっと、買おうかどうかの対象になります。
栗がゴロゴロ入っていて、美味しんでしょうけれども、一万円超えのパウンドケーキは、私にとって買う対象にはなりません。

しかしです!
あれだけ大きな幹線道路にも、商店街にも、誰一人通行人を確認できなかったにもかかわらず、このお店には次から次へと来店する人が絶えない!
なんか、それが不思議ではありましたが、それだけここは名店だという事なのでしょうね。

結局私が買ったのは栗パイ、栗入りシュークリーム、栗のみかさ。
十分美味しかったですよ。
お値段も手ごろでしたし。

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全員、アイスを買って、お店の横のベンチで食べ、ほどよい甘さがジワリと身体に染み渡るようでした。
今日もまた、いつも通り充実した一日だったので、疲れた体にやさしく効いてゆくのがわかりました。

みこさんは暑い季節の活動の時は、必ず保冷剤入りのデカいクーラーボックスを持参してくれていて、みんなのお土産も保存できるように準備してくれています。
ランチにしろ、お土産にしろ、それらに対しての情熱と信念は、もしかしたら才能ではないかと思いつつ、彼女のチョイスには、やっぱりハズレなしやな。と、また思ったのです。


本日歩いたのはたったの2キロ?!
体感的にはもっと歩いたような…

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