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すでに始まっている道長の黒い計画

敦成あつひら親王様は、の東宮様となられるお方ゆえ」

思わず本音が出た道長(柄本佑)の言葉。
言われた藤式部(吉高由里子)も「は?」と思わず反応していました。

ー次は敦康あつやす親王様ではないのですか?ー

喉元まで上がってきた言葉を、藤式部は飲み込むしかありませんでした。

それもそのはず、まだこの時点では順当にいけば第一皇子である敦康あつやす親王が次の東宮であるはずで、一条天皇自身も愛する皇后・定子の忘れ形見である彼をと望んでいるはずだからです。

以下、37話を振り返るとともに、知らない方にはネタバレになるかもしれませんが、史実をもとに今後の「光る君」の展開予想をまとめたいと思います。

尚、皇子の名前がよく似ているためややこしいのですが、今のうちにしっかり整理しておきましょう。
・敦やすー定子の子
・敦ひらー彰子の長男
・敦ながー彰子の次男


運も実力のうち?

それにしても道長はあまりにもラッキーでした。
なかば諦めかけていた彰子(見上愛)が帝の子を懐妊し、しかも生まれたのが男子。
これはまさしく天が道長に味方したと言って良いでしょう。

その反面、一条天皇をはじめ周りの公卿たちにとって、この先にひと悶着あることを予想させる「悩みのタネ」が出来てしまったとも言えます。

冷泉天皇と円融天皇の2皇統

現段階での東宮は冷泉れいぜい天皇の第2皇子の居貞おきさだで、のちの三条天皇(木村達成)です。
その母は道長の長姉・超子とおこで、一条天皇と同じく道長の甥にあたりますが彼が7歳の時に他界し、その上超子とおこと道長とは年が離れすぎていて、の姉弟関係は親密ではありませんでした。

道長から見ると同じ甥であっても、非常に仲の良かった姉・詮子あきこ(吉田羊)を母に持つ一条とは、まったく違う存在でした。

宮内庁「天皇系図」

62代・村上天皇を父に持つ冷泉天皇と円融天皇ですが、先に即位した冷泉は体が弱く在位期間が短いまま弟の円融が天皇となり、東宮には冷泉の皇子だった花山(本郷奏多)を据え、予定通り即位はしましたが、道長の父・兼家の策により退位させられ、一条が即位したのはドラマのとおりです。

この時、花山の弟である居貞おきさだ(三条)が即位しても良かったのに、4歳も年下の一条が先に即位し、その東宮に据えられたのは、単にドン・兼家の陰謀と言うだけではなく、この冷泉と円融の2皇統から交互に天皇を出すというという取り決めがあったのかもしれません。

ですから、居貞おきさだ(三条)は実に25年間もの東宮生活を送る事になりました。

道長にとっての追い風条件

自分の直系の孫に皇子が誕生したのです。
これはもう道長にとって自分の外孫が皇位を継ぐ絶好のチャンス到来です。
こうなれば、東宮・居貞おきさだも第1皇子・敦康あつやすも邪魔でしかありません。

条件1)中関白家の衰退
敦康あつやすは皇后・定子が産んだ正真正銘の妃腹きさきばらでありながら、その父・道隆が早くに病没し、その上嫡男とその弟である伊周これちか(三浦翔平)と隆家(竜星涼)が「長徳の変」を起こした上、絶望のあまりに定子自身も髪をおろして出家してしまい、一気にその系統(中関白家)は衰弱していきました。

一条の厚意により再び位を授けられても、相変わらず不穏な行動をやめない伊周はそろそろ完全失墜するでしょう。

これで中関白家は完全に力を失いますが、素直に自分の立場をわきまえ時世を見た弟の隆家の系統は続いていきます。

条件2)敦康あつやすには後ろ盾がない
上記の事態になったため、敦康あつやすは第1皇子でありながら有力な後ろ盾がおらず、他の公卿も納得できず、いくら天皇でも最愛の定子の皇子だからという”人情”だけでは、どうすることもできずに追い詰められることになりました。

条件3)翌年にまた彰子が皇子を産む
彰子が敦成あつひらに続いて、また皇子を産んだことは、これほど道長の立場を盤石にしたものはなかったでしょう。
道長は敦成あつひら誕生の時も大喜びでしたが、次男の敦良あつなが誕生の時には、心の底からガッツポーズで彰子を讃えた事でしょう。

それにしても道長の系統(御堂流)にとって、彰子は最たる勲功者ではありませんか?
最初こそ「うつけバカか?」と陰口をたたかれた彰子でしたが、ふたを開ければ、彼女は実家の栄達に大貢献したのです。

条件4)三条天皇(居貞おきさだ)の病気の悪化
居貞おきさだが即位した後、父に似て丈夫ではなかったのか、眼病を患い、ほとんど失明の状態となり、耳も聞こえづらくなったとか。
これもまた退位を迫るための正当な理由となりました。

すでに敦成あつひらが東宮となっている以上、道長にとっては三条天皇も邪魔な存在であり、それだけでなく政治に関して意見も合わなかったので、徹底的に追いやりたかったと思われます。


道長と彰子は似たもの親子

ここで思うのですが、道長と彰子は、よく似た父娘だということです。

この後、父の道長が第1皇子の敦康あつやすを差し置いて、自らの直系の敦成あつひらを東宮に据えた張本人と知った時、烈火のごとく怒ったのは他ならぬ彰子だったのです。
我が子ではあっても、ここは道理が通らないという事なのでしょう。
今の彰子と敦康あつやすとの蜜月ぶりを思えば納得もできますね。

この時に、父娘の間に深い溝が生まれて対立するようになったといいます。

この一件をみて、ふと思い出すのは若かりし頃の道長です。
道長もまた一見するとのんびりしていながら正義感だけは持つ人間であり、父の悪行を忌み嫌っていたところがありました。
「父のようにはなりたくない。」
と、ドラマの上ではいまだにキレイ事を言ってはいますが、結局はやる事成すこと自分本位の思惑しかないように思います。

そもそも、「御嶽詣みたけもうで(金峯山きんぷせん)」も、祈願といえば聞こえは良いですが、一条天皇にとっては「わが娘と子作りしろ」という重いプレッシャーの何ものでもありませんでした。

この時点で道長の”黒い計画”は始動していたのです。

ドラマではさも「源氏物語」がきっかけのように描かれていますが、この道長の大きな「圧」に一条は抗えなかったのです。

これらを含めた今後の道長の一連の言動を娘の彰子も嫌うのですが、彰子もやがては天皇家を背負って立つ「国母」となって87歳という長寿を全うし、存分に権力を発揮するのですから、やはり血は争えません。

もしも…

歴史にIFはタブーですが、この時、前述の条件が一つでも欠けていたら、道長の系統である御堂流の繁栄はなかったかもしれず、本当の意味で道長はツイていたラッキーな男であり、天がすべてにおいて味方してくれたとしか思えません。

逆にいえば、天が選んだ権力者が藤原道長だったとも言えます。


変化する彰子サロン

メンバー一丸となった豪華本作り

それにしても源氏物語の豪華本が出来上がるまでの一連の描写には興味をそそられました。
前回の藤壺内のドローン撮影による一部始終の映像と合わせて、ここまでの詳しい映像化は初めてではないでしょうか。

このあたりのNHKは本当に良い仕事をしていると思います。

中宮・彰子が自ら選んだ美しい紙や表紙に始まり、藤式部からの依頼に応えた達筆の行成による清書、女房達による裁断や製本に至るまで、和気あいあいとした雰囲気の美しい光景が繰り広げられました。
各女房達の手作業の所作も非の打ちどころがないほど優雅であり、それまでバラバラだったチームワークが一気にまとまったようでもありました

この冊子、どこかにあればなぁ。
なーんて思ってしまったのは私だけではないのではなでしょうか?
どこかの公家の蔵の奥底にでもあるではないかと、願望というより祈りに近い衝動がこみ上げてきました。

もし、発見されるような事があれば、国宝どころか世界遺産になるはずです。

藤壺の警備はスカスカ?

上記の豪華本もそうですが、「紫式部日記」には宮中で起こった数々のエピソードや女房達の様子も生き生きと描かれています。

それによると、藤壺に強盗が入ったのは大晦日の夜の事で、ドラマでは悲鳴を聞きつけた藤式部のみが駆けつけてますが、実際は他の2人の女房と3人で恐る恐る見に行ったようです。

ドラマでは襲われた2人の女房は白い下着姿でしたが、実際は真っ裸だったそうで、さすがの式部も目のやり場に困り、事件後も彼女たちの姿を見るたびに思い出されて、笑いが出てくると日記には書かれています。

紫式部も悪いな💦

驚くべきは中宮・彰子の住まいの警備はしてなかったのか?という事です。
簡単に侵入できてしまうなんてスキがあり過ぎませんか?

最後にちらりと盗賊の顔(伊藤健太郎)が写されましたが、NHKのキャストを確認すると双寿丸という名で、どうやら娘の賢子と良い仲になりそう。
ここでちょっと思い出したのは、かつての直秀の事です。

まひろとはお互いに好意を寄せながら、悲しい結末に終わりましたが、今度ばかりは同じような結果にならないよう、今からつい祈ってしまいました。
まったく先走り過ぎのただの老婆心ですが。。。


さて、一気に道長優勢に事は運んで行きそうですが、せめて道長くんもいつまでも聖人君主のようなことを言ってないで、そろそろ牙を向くのではないでしょうか。

いくらなんでも悪人にならなくては、話が通らないとは思うのですが、脚本家の大石さんはなおも聖人・道長くんとして辻褄合わせをするのでしょうか?

何より、突然、ききょう(ファーストサマーウイカ)が藤壺を訪ねてきたのは、喧嘩でも売りに来たのではないかと超心配でもあります。





【参考】
・美術展ナビ
・東洋経済オンライン





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千世(ちせ)
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