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初夏のレキジョークル① 犬山編 其の一

前回はこちら↓↓↓


集合時間に遅れた人は見捨てます。

これはレキジョークルグループLINEのノートに挙げた注意事項の筆頭です。

朝10時までに現地到着するには、当初は最寄り駅7時集合だったのですが、毎回のように電車の乗り継ぎでハプニングがあるので、30分早い6時半の集合に変更したためです。

7時57分発「JR新幹線のぞみ76号・東京行」に確実に乗るため、念のために集合を早めた事が結果的には良かったのです。

たとえ乗り遅れたとしても乗車券さえあれば、1本遅らせても自由席で向かう事はできるし、事前に細かくスケジュールは立てているので、こまめに連絡を取り合えばどこででも合流できます。

これが車で向かうならそうはいきませんが、電車なら、一人の遅刻者に全員が合わせる必要もないし。

少々冷たいかもしれませんが、レキジョークルメンバーはみんな基本的に単独でも行動できる人間ばかりなので、そこはドライになれるのです。


想定外の時間ロス

その注意事項が功を奏したのか、誰一人遅刻せずに集合はしたのですが、結局、小さなハプニングネタはありました。

ミコさんがJR名古屋駅の改札を出られず、ちょっとした時間ロスがありました。

ややこしい事に出口改札が新幹線とJRの2段構えになっていて、新幹線出口でチケットが出てきたのをミコさんは気付かず通り抜けてしまったようです。

今回、チケットレスにせず本来のチケットにしたので、改札でもたつくことはないと思っていたのですが、甘かった…。

それに途中の乗り換え駅でトイレに行こうとすると、混雑で並んでいて、そこでも時間ロス。

さらにはお得な「名鉄サービスチケット」を買うのに、目立つところにアナウンスがなく、探し回った上、丁寧すぎる説明に時間ロス。

新幹線には間に合ったのですが、まさかの名古屋駅で相当な時間ロスがありました。

やっぱりねぇ。
「名古屋」はナメたらあかん。

集合時間を30分早めて、大正解でしたが、昨年の「名古屋紀行」で「名古屋駅」の様子を学習していたにもかかわらず、やはりここで手間取ってしまったのは一番の想定外でした。



木曽川の眺めが素晴らしすぎて

名鉄犬山線に乗り、木曽川を渡ったところの「新鵜沼しんうぬま駅」で降りたのは、先にホテルへ荷物を預けて身軽になるためです。

電車の中で雄大な木曽川の景色を見た途端、先ほどまでの疲れが嘘のように一気にテンションは上がりました。

木曽川の澄んだエメラルドグリーンがキラキラと輝き、周りに並ぶ山々の美しさに、疲れなど一気に吹っ飛びました。

素晴らしい!
ただただ素晴らしい!


ゆったりと水を湛えた木曽川と山並みが目にも眩しく、思わずうっとりとしてしまいます。

近所の大和川とはあまりにも違い過ぎて💧

写真だと川の色は「青」ですが実際には「緑」でした。
なかなか見たまんまに写せない💧


絶好のローケーション宿

今夜のお宿は「八勝閣 みずのを」です。
お部屋の写真を完全に撮り忘れました!

木曽川のきわにある旅館なのでロケーションは抜群でした。

たっぷりの水を湛えた木曽川と国宝・犬山城とのコラボ景観は、一目見た瞬間から、感嘆のため息が漏れるほど雄大で堂々としています。

この旅館を提案したのは私ですが、あらゆるクーポンを駆使して2度3度と予約し直し、最安値で取ってくれたくれたのはリンさんです。

同じ日で取り直すということは、いったんキャンセルしているわけで、そのスリルはなかなかのもの。

メンバー全員、感嘆の声を挙げて讃えたのは言うまでもありません。

主婦はお得が大好きなので、些細な金額でも安かったら嬉しいものです。
特に大阪のおばちゃんは値切って当たり前で「定価」で買い物するという概念がない。

今回初めてリンさんがこんな裏技に長けている事を知り、食いもん奉行のミコさんといい、地図奉行のチコさんといい、レキジョークルは最強です!


木曽川一張一弛いっちょういっし

木曽川(きそがわ)は、長野県から岐阜県愛知県三重県を経て伊勢湾に注ぐ木曽川水系の本流で一級河川、いわゆる木曽三川の一つ。

Wikipedia

木曽三川とは、木曽川と揖斐川、長良川の事で、それら周辺の集落は堤防で取り囲む輪中わじゅうといわれる形式でした。

各戸、石垣などの上に建てられた「水屋」は、母屋より高い位置に備えられ、非常時のための食糧や農具などを保管し、避難場所としての役割をしていたそうです。

この川も何度も暴れて、人々の生活の脅威となってきました。
地元民の過去の治水工事の苦労を想像すると、なんとも言えないものがあります。

この日に見たゆったりとした優しい姿も、
大暴れして人々の生活を呑み込んでしまう姿も、
どちらも木曽川の姿で、ちっぽけな人間たちは、大自然を間借りしているだけのほんのささやかな存在である事を思い知らされるのです。

この川による恩恵と災害とともに生きることがこの地の課せられた使命でした。


いざ、犬山城へ

荷物を預けてすぐに犬山城へと向かいました

晴天ではありますがなかなかの強風で、日傘を差そうにもあおられて裏返ってしまいます。

犬山橋から犬山城を望むショット

それでも犬山橋を渡る時は、遠くの犬山城が青空に映える優雅な姿に見とれ、程よく木陰となった川沿いの遊歩道は心地よくて至福のお散歩タイムとなりました。

正直なところ、犬山はもっと高いと思っていました。
88mしかないので当然かもしれませんが、実際にテレビでは上手く撮影されていたのだと知りました。

低く感じましたが、その小ぢんまりさがまたいいのですが。

犬山城南の登り口に2つの神社がありました。

三光稲荷神社

創健は不明ですが、おそらく犬山城築城の1537年前後でしょうか?
城主の織田信康から始まり江戸時代の成瀬氏に至るまで庇護され、明治の神仏分離によりこの社名となりました。

「猿田彦神社」は境内社のようですが、実は御祭神のお1人を祀られているのです。
確か、過去に訪れた「白髭神社」もそうでした。


おばちゃんたちにはどうでもよい事ですが、恋愛成就を願うピンクハートの絵馬で有名だそうです。


針綱神社

創健ははっきりしないぐらい古く、推定でなんと1000年だと言われ、濃尾一帯の総鎮守であったとされています。

見た目はついでにあるような神社ですが、「官社」として指定された「式内社」で、平たく言うと国が認めて建てられた公立の神社なのです。

犬山城の守護神でもあり、毎年4月の「犬山祭り」はこの神社の祭礼との事。

織田信康が築城当時、自ら手彫りの狛犬一対を奉納してわが子の安産祈願したという逸話も残ります。

隣の「三光稲荷神社」に比べると地味なので、一見すると勘違いしがちですが、社格で言うとこちらの方が高く、由緒や歴史もある神社なのですね。


神社なのに三社とも達筆なのには驚きました!
ほとんどの神社の御社印にはがっかりさせられるのですが、こちらは予想外に素晴らしいものでした。
神社も直筆の達筆だとグッと好印象になりますね。


あんまり引き延ばすのは好きじゃないのですが、このまま「犬山城」の話になると、とんでもない文字数になるので、ここらでいったん区切ります。

だいたい到着までにドラマがあり過ぎたのご容赦ください💦



>>>続きます


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