「枚岡神社」が元春日とはどういう事だろう?
前回はこちらです↓↓↓
今回の寺社めぐりの発端は、今から半月ほど前のチコさんからのLINEでした。
私はすぐ、説明文の「なで鹿」で検索すると、一発で「枚岡神社」と出たものの、初めて聞くその名になんの感慨もありませんでした。
しかし、ちょっと読んでみると「元春日」とあり、あの奈良の「春日大社」の神様はここから勧請したというのです。
え?こんな大阪郊外の河内の田舎の神社が?
世界遺産となった春日大社の元とは、意外中の意外で、俄然、この「枚岡神社」にも行ってみたくなり、チコさんにお願いしたのです。
枚岡神社と春日大社
紀行レポートを書く前にちょっと予備知識を仕入れてみると、この2社の関係性や藤原氏との繋がりが見えてきたのです。
さらに創建年を確認してみると、
春日大社は奈良時代の神護景雲2年(768)の1250年前ですが、
枚岡神社は初代神武天皇即位前3年と伝わり、即位が紀元前660年なので実に約2700年も前になります。
石切さんといっしょやん!ほんまかいな??
主祭神トレード?!
双方のHPを見比べてみるとどちらも主祭神は以下の四神です。
・武甕槌命ータケくん
・経津主命ーフッくん
・天児屋根命ーアメくん
・比売御神ーヒメちゃん(アメくん嫁)
以下、太字のニックネーム表記で
これら四神は春日神または春日明神や春日権現とも称され、春日大社からさらに分霊されて全国に1000社も存在します。
先日の丹波篠山の春日神社もそのうちの一つなのです。
肝心のご祭神勧請に関して、春日大社には書かれておらず、枚岡神社にはしっかり明記されていました。
春日大社にとってはどこから祭神を勧請したかは
どーでもよいことなん?💦
枚岡神社の由緒によると、
・神護景雲2年(768)にアメくん・ヒメちゃん夫婦が春日大社へと分霊
【枚岡神社⇒春日大社】
・宝亀《ほうき》9年(778)にタケくんとフッくんが牧岡神社へと分霊
【春日大社⇒枚岡神社】
神様トレードみたいなことをして親密な感じなのですが、方や日本が世界に誇る超有名な全国に千社もある総本山。
方や大阪人もその名を知らない、たかだか地方の河内国一之宮。
この差は確かに大きい。
アメくんは藤原氏の始祖?
今年の大河の準主役・藤原道長(柄本佑)のご先祖といえば藤原不比等。
彼は持統天皇など天皇家5代に仕え、太政大臣として藤原氏の地位を確立しました。
そのまた父が大化の改新で有名な中臣鎌足です。のちに天智天皇(中大兄皇子)より藤原性を賜ります。
そのまた祖先がアメくんこと天児屋根命だと伝わっているのです。
まとめると直接の系図はこうなります。
アメくん(天児屋根命)ー中臣鎌足ー藤原不比等…藤原道長
春日大社は藤原氏の氏神として知られていますが、アメくんは元は枚岡神社の主祭神なので藤原氏が篤く信仰すべきはこちらではないですか?
天孫輔弼の精神は脈々と続く
さてこのアメくんは天照大神から特別な任務として以下の2つを授かっていました。
天孫輔弼ー天皇を助ける事
神事宗源ー神事を確立する事
ご先祖のアメちゃんの任務を、その子孫の藤原氏は脈々と受け継ぎ、天皇補佐として、また縁戚関係を結びながら1300年にも及び、日本の代表的な氏族として続いてきました。
※藤原氏に関してはまた後日「光る君へ 番外編」としてまとめる予定です。
枚岡神社が「元春日」と言われる所以は、神様トレードする際、先に主祭神となる神様を春日大社に分霊したからなのです。
いざ、枚岡神社へ
長い前置きでしたが予備知識を得た上で、枚岡神社についてまとめてみます。
初体験の「茅の輪くぐり」
参道広場には茅の輪があり、今が「夏越の祓」の時期だと気付きました。
その作法とは下図の通り、左から右へ八の字にくぐったあと、もう一度左から中央後ろへと抜けるのです。
(地域により作法は変わります。)
しかし私は、最後の左周りを忘れてショートカットしてしまい、チコさんから指摘され再チャレンジしました(笑)
初体験の「茅の輪くぐり」をたった38秒の早送りバージョンで動画にしました!
↓↓↓
信心のない私は、暑かったので本心を言うとスルーしたかったのですが、めったに恵まれないこの機会を逃すともったいないし、京都では人が多くてこんなにゆったりした状況ではできないと思い、頑張りました!
これで今年は下半期も大丈夫でしょう。
「夏越の祓」に関しての詳細は、拙書・奥の枝道 其の五「八坂神社」の項で書かせていただいてます。
巫女体験
「参道広場」を抜けて小川に架かる橋を渡ると、横を見ても上を見上げても、巫女さんの団体を見かけました。
「おお!休憩か?」と言ったものの、この神社の規模の割には人数が多い。
その答えは拝殿前にありました。
「巫女体験」ができるとは、正直、ちょっとそそられます。
「60まわってもいけるんやろか?」
「年齢制限は書いてないからいけるで。」
なるほど彼女たちはこの体験している巫女さんたちかと思たのですが、HPを確認してもこの日の日程はありませんでした。
しかし、この体験中の巫女さんたちとしか思えない。
巫女さん姿は若い子がいい。
ババアにはこの朱色の袴はちょっと抵抗あるわ💦
中でも「笑いの実践」っておもしろい!
これは神道云々抜きにしても、笑うことで人生は好転するのだから、これだけでも立派な教訓を学ぶことになりますね。
なかなか面白い企画があるなぁ。
内心はすごく興味津々なので、頭の片隅に憶えておきます。
拝殿と本殿
長い階段を上がると、拝殿の軒下には黄金に輝く吊灯篭がたくさんつるされていて、思わず二人で「春日大社や~!」言ってしまいましたが、元がこちらなので、「春日大社」が倣ったのかもしれません。
明治12年(1876)に再建。当初の屋根は檜皮葺きでしたが、現在は銅板葺きに替えらています。
なんと、正面の神額は最後の太政大臣となった三条実美の筆によるものとの事です。
拝殿前に令和の日付で「天皇陛下」と掲げられていたので、てっきり現・天皇が来られたのかと思いましたが、よく読んでみると、本殿の修復工事に伴う遷座祭に陛下から供物(お供え料)を賜ったという事のようです。
それだけ天皇家と深い関りがあるというアピールでした。
次は本殿だと思い、右から周りこんでみても、完全に柵で囲われて全く入れませんでした。
仕方がないので柵内にスマホを入れて撮影しました。
令和に修繕したばかりの「中門」と「透き塀」は美しく、こちらも黄金の吊灯篭が輝いていました。
本殿を護る狛犬たちは、意外と新しい感じですが、すごく勇猛な雰囲気でかっこいいです。
この奥に、アメくんとヒメちゃん、タケくん、フッくんのお社が4棟並んでいるのでしょう。
創建以来、たびたび焼失し、そのたびに氏子たちによって再建されています。
天喜4年(1056)、宝治元年(1247)、そして天正7年(1579)年の焼失は織田信長の兵火によるものです。
魔王もこの頃は必死だったから、あちこちを焼き払ってるな💦
御神木
なんとこの立ち入り禁止の聖域内にはご神木の柏槙(イブキ)の大木があるそうです。
枚岡神社創祀の地、「神津嶽」(境内図右上奥)にあった神武天皇お手植えの木をここに挿し木したものだと伝わり、大阪府の天然記念物に指定されています。
神武天皇お手植えってちょっと信じがたいが💦
ただし長年の自然現象にさらされて損傷が激しく、やむなく伐採することになり、現在は3メートルの切り株のみ残されているそうです。
感謝と祈りの道
本殿の右手を見ると、いかにも霊験あらたかな道があり、これに沿ってお社が並んでいます。
この原生林の中の小径が「感謝と祈りの道」というらしい。
かなりの縮小版ではありますが、この感じもまた春日大社と似ています。
イヤ春日大社が似てるのだけど💦
ひときわ朱く艶やかなのは摂社は「若宮神社」です。
本社の御子神?
ということはアメくんとヒメちゃんの子供ってことでしょうか?
天押雲命(アメクモくん)がアメくんの子供で、中臣(藤原)氏の祖先神だとのことですが、母はヒメちゃんって事でいいのでしょうか。
この社の後ろの「出雲井」からは神水が湧き参道へと流れ落ち、どなたにもお受けいただけます。
この神水は、生駒山からの湧き水で、創建以来ずっと枯れずにいるそうです。
ホントかな?
実は私たちより少し先に、とても熱心に一社ずつお参りされている老年の方がいて、チコさんは「なんか知らんけど、あのおっちゃんの通りに参っとくわ。」と所作を真似てお参りしていました(笑)
境内敷地のギリギリのところに、見事な石垣がありました。
野面積なのですがビロードのような滑らかな苔が覆い、いかにも歴史を感じるものでした。
「たつみばし」と書かれた橋があることから、ここが境内の辰巳(巽)の方向である東南であるとわかりました。
なるほど境内図は東が上になっているで、この位置は確かに辰巳です。
方向音痴の私は今頃、理解できました。
枚岡公園
念のため言っておきますが、「ひらパー」ではありません。
境内を出てそのまま続く枚岡公園のことです。
ミッキーに反応したのはチコさんで、私はまったくディズニーには興味はないため、おそらく一人だったら完全スルーしていました💦
チコさんいわく、これはパチもんではなく本物だそうです。
著作権の問題もあるので、もしかしたらディズニーとも関係あるのかなぁ。
ここにもまた大正天皇のお后「貞明皇太后」の名があり、天皇家との関りをアピールしています。
ハケ・ブラシは大阪の地場産業らしいです。
知らなかったのですが、東大阪自体が、町工場が多く、いろんなものを発明・生産していることで有名です。
とにかく暑い!!
あまりの暑さにギブアップです。
まだ梅雨だというのに一滴の雨も降らずでカンカン照りの一日となり、暑くて苦しいほどでした。
この後サッサと地元の松原へと帰って、近所のカフェでピーチ味のかき氷を食べて命を繋ぎました(笑)
【参考文献】
・奥の枝道 其の五 京都・神社仏閣編(上)
・奥の枝道 其の六 京都・神社仏閣編(下)
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