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湖東サイクリング③近江八幡へ

前回の記事です。


朝6時過ぎに朝食を食べたきりで、ハードなスケジュールをこなしていたのに、さほどの空腹は感じませんでした。

この日のメインイベントである安土城址を登る事が終わってから昼食を摂りたかったのですが、辺りには何もないので仕方がありません。

このままスケジュールを強行します。

次は「近江八幡」へと向かうのですが、少しでも景色の良いびわ湖よし笛ロードを使います。

出先ではいつも、一か所ずつナビ設定するのではなく、あらかじめ立ち寄る地点を複数カ所登録しておいて、その指示通りのナビに従います。


グーグルナビの認識間違い?

主人が先頭になって、当然のように西へ進みましたが、私のスマホのグーグルナビがUターンを指示します。

「ちょっと~。戻れって言うてるで~!」

先を行く主人を呼び止めて、不審に思いながらも反対方向から抜け道があるのかもしれないと思って、また「安土城址」を通過して、指示通り左へ曲がりましたが、またUターンをさせようとします。

また戻って、「安土城址」を通過すると、またUターン。

もうええわ!

二人で同時に突っ込みました。

どう考えても西に向かうのが正解ですが、どうしてもナビは反対方向を指すのです。

仕方がないので、新たに「びわ湖よし笛ロード」をナビ設定してみると、今度は無事に西へ誘導してくれたのです。

後から思うと…
いつもは一つの地点に着いたら、「到着」のテロップが出てそれをタップするのですが、「安土城」の時は私が気付かなかったのか、今回はタップした記憶がありません。

確かに、感激のあまりナビどころではなかったので、記憶は曖昧です。

(グーグルナビを普段使わない人はチンプンカンでしょう?ごめんなさい💦)


びわ湖よし笛ロードは快適ロード

「安土城址」の前を往復するといういちびったふざけた夫婦コントをしましたが、無事に「びわ湖よし笛ロード」に到着しました。

知らないうちに、後ろを走る主人が自転車の前かごにスマホを設置して、ずっと動画を撮っていました。

5分ほどの動画を20秒にカットしていますので、良かったら見てください。
千世が自転車を漕ぐ後ろ姿です。

この時はなかなかの強風で、あえてその風の音もそのままにしていますので、臨場感はあるかと思います。


野鳥観察の有名スポット

琵琶湖は古代から「鳰の海」(におのうみ)と呼ばれる貴重な水源で(鳰はカイツブリの古語)、水鳥を中心にたくさんの野鳥が生息している場所です

GOOPASS

動物には興味は薄くにおと言われてもまったくわかりません。

にお
Wikipedia

画像で確認してみても、私には鴨と区別がつきません。


実は走行中、5羽ほどのわしがロード沿いの畑に見かけ、主人は一目見て、

「ワシや~!」
と大声で言い、感動しているようでした。

私は周りの雄大な景色にばかりに気を取られていたので、この一言がなければ鷲の存在に気付くこともなく通り過ぎたと思います。

撮った動画の一部に、飛び立つ鷲とのツーショットをスクショしてみました。

わし」と「たか」の区別すらつかない私は、一目見て「わし」とわかる主人に感心しました。

ホントかなぁ…

私が偉そうにできるのは歴史だけなのです。

特に長男は、過去記事にもあるように生物全般に詳しく、鳥も一目見て識別します。
やっぱり興味の問題なのでしょうね。


よしこそ琵琶湖の財産

琵琶湖最大の内湖で総面積約222ha、その内109haをヨシ原を主体とするヨシ原群落で覆われた湿地地帯です。

日本野鳥の会滋賀

このよしが群生しているからこそ、多様な水鳥や小動物が生息し、自然体系の均衡が保たれているのです。

そういえば司馬遼太郎氏もこのよしの伐採による枯渇を恐れて、琵琶湖の将来を憂いておられました。

よしがあればこそ、美しい水が保たれ、貴重な生物も繁殖できるのであって、人間の勝手な利便性のために絶妙な自然体系の破壊を食い止める事は私たちの大きな責務なのです。

そこで、1992年7月1日に「ヨシ原群落条例」が施行され、「保全地域」と指定され、さらに2006年11月1日には「鳥獣保護区」とされたことで自然環境は回復してきました。

司馬さん、何とか琵琶湖の自然は守られましたよ!


どうして「よし笛」なの?

しかし、この道の名が「よし笛ロード」となった由来が検索してもわかりませんでした。
よし」はわかるのですが、なぜ「笛」が付くのか?

そもそも「よし」とは「あし」とも読み、日本では昔から「すだれ」や「屋根」の資材として活用されてきました。

以前テレビで見たことがあるのですが、
実は雅楽の楽器の一つ竹でできた「篳篥ひちりき」の音を発する肝心な部分の「蘆舌ろぜつ」に使われています。

クラリネット、オーボエなどにも同じような使い方がされているそうです。

よし」単体ではブーと鳴るだけで、美しいとは言い難い音ですが、他の素材の笛の肝心な部分には必要不可欠な素材として、今も重宝されています。

とはいえ、どうしてこの道の名に「笛」が付くのかわからないままですが…
どなたかわかる方がおられたらコメント欄にて教えていただきたいです。



大混雑の近江八幡

近江八幡には食事できる店も多いようなので、すぐに遅い昼食を摂りたかったのですが、あまりの混雑に愕然としました。

安土とはまったく異なり、こちらは人で溢れているのです。

ちょうど「たねや」前にあった駐輪コーナーに自転車を停めて、辺りを物色しましたが、どこも店は大混雑で行列ができています。

ひえ~甘かったな💦


千成亭

仕方がないので、南へ少し歩いて日牟禮ひむれ八幡宮の鳥居をくぐると「千成亭」を見つけたのですが、2階のレストランはすでにCLOSEDです。

またまた愕然としましたが、気を取り直して1階でなんとかコロッケを2つずつ買い求め、店内で食べることに成功しました。

コロッケを買うだけでも10分ぐらいは並び、私たちが買った後に振り返ると、外にまで行列は延びていました。

注意深く見ていると、日本人だけではなく中国人か韓国人とみられる方々も観光に来られていて、ここも京都には及ばないまでも、なかなかのスポットである事を認識させられたのです。

お腹が空いていたので、揚げたてのコロッケがどれだけ美味しかったことか!

少し生き返った気分です。

「千成亭」の裏から「八幡堀」に出ることができ、
そのまま散歩も出来ます。


日牟禮ひむれ八幡宮はちまんぐう

時間もすでに3時になろうとしていたので、すっぱり食べることは諦めて、絶対行きたかった「日牟禮ひむれ八幡宮」へと向かいました。

もう一度鳥居をくぐって元の道へ戻ります。


まずは楼門の重厚さに思わずシビレました。

「楼門」
無人状態で撮る事はできません💦

それもそのはず創健は131年、実在も不確かな13代・成務せいむ天皇が大国主神おおくにぬしのかみを祀った事に始まると伝わります。

神話の世界なのであくまでも伝承に過ぎず、憶測するしかないのですが、それだけ長い年月をかけて近江の八幡様として信仰を集めてきました。

Googlemap

現在の社殿は平安時代のものと推定され、どれも立派で重厚な風格をたたえ、その威厳に圧倒されました。

名前の由来に275年応神天皇の面白いエピソードを見つけました。

社の近辺に御座所を設けられ休憩した。その後、その仮屋跡に日輪の形を2つ見るという不思議な現象があり、祠を建て、日群之社八幡宮と名付けられた

Wikipedia

それから400年以上経った691年、
「日本書紀」の編纂にも関わったとされる|藤原《ふじわらの》|不比等《ふひと》が詠んだ和歌にちなんで比牟禮ひむれ社」と改名されました。

天降りの
神の誕生うみの八幡かも 
ひむれの杜に
なびく白雲

意外にも現在の日牟禮八幡宮ひむれはちまんぐうとなったのは昭和になってからで、1966年(昭和41年)だというのは驚きます。


「るろうに剣心」のロケ地

「ここや!」
と、主人が急に立ち止まって指さしたのは、映画「るろうに剣心」で神谷薫(武井咲)が剣心(佐藤健)に傘を持って近づいてゆくシーンの撮影場所だそうです。

確かにそのシーンは思い出せますが、バックの景色まではまったく記憶にありません。

確かに作中に何度も登場した川堀のシーンは近江八幡のものであることは有名ですが、日牟禮ひむれ八幡宮の境内はまった気付きませんでした。

景観が見事で美しい。
川堀を歩くととても気持ちがよく癒される。

昨年の「三井寺」の時と同じく、主人がいなかったらスルーしていたでしょう。

ここ「近江八幡」と言う名は日牟禮ひむれ八幡宮」からのもので、のちに福岡県八幡やはた市と区別するために頭に「近江」と付けたとのことです。


御社印はビミョー💦下手だと一笑できないけど上手くもない。
これだけの古社でもやっぱり大したことはない。




八幡山へ登れなかったのは痛恨!

当初は、ロープウェイで「八幡山」へも登り、豊臣秀次による「八幡山城」の史跡も見たかったのです。

現在のは元々は「下の八幡宮」といい、八幡山山頂に「上の八幡宮」がありました。

豊臣秀次が八幡城を築城するまでは、上下に社殿を構築する相当な規模の神社だったのです。

近江八幡の美しい景観は秀次が八幡山城の築城とともに整備したのが基盤となり、今なお市民の有志らの手で守られているのです。

豊臣秀吉の甥でありながら、結局はさんざん利用された挙句に自刃した彼の悲惨な人生を思うと胸に詰まるものがあり、近江八幡の街並みを見る限り、秀次の名君さが忍ばれてより切なくなります。

以前、訪れた高野山・金剛峯寺の「豊臣秀次自刃の間」を思い出し、残念な気持ちになりました。


ぜひとも八幡山城址も訪れたかったのに、すでに3時半を回っており、今から登ってもゆっくり見て回れないと思い、この日は断念することにしました。


おまけと編集後記

とにかく疲れたし、いったん近江八幡駅へ行き、車に戻ろうという事になり、一気に却って自転車を返すと、駅前の「ラーメン屋」に引き込まれるように入りました。

4時過ぎになってやっと昼食にありつけたのです。
名前も忘れてしまいましたがおそらく「だるま」だったかと思います。

そりゃもう、めちゃくちゃ美味しかった!
もう惨めな「昼食難民」は懲り懲りです💦

お腹を満たして、車に乗り込んで、再度また先ほどの日牟禮ひむれ八幡宮」あたりまで行きました。

というのも、このあたり一帯は駐車場が無料で、広い通りの両サイドに駐車があるのです。

最後に時間が許す限り、ぶらぶらしようと再訪したのでした。

お土産はクラブハリエのバームクーヘンではなくロールケーキにしました。

以前も、彦根のクラブハリエで買って帰り、とても美味しかったのでおかわりです。

1時間はブラブラしたでしょうか?
八幡山へ登れなかっただけでなく、かわらミュージアムにも入れませんでした。

舟で水郷めぐりもしたいし、他にもたくさんの名所はあるようで、これはほんの2,3時間で回るのは不可能です。
後日また訪れたいと強く思いました。

まっぷる


そういえば、「安土」ももっと頑張ればいいのにと思いました。
確かに「信長の館」も「歴史資料館」も素晴らしいですが、観光地としては地味すぎる。

信長の生涯最後の城下町として、ある程度の再整備をすれば、少なくとも「近江八幡」ぐらいの観光客は見込めるはずです。

海外でも人気の織田信長です。
もっと真剣に取り組めば、海外からも多くの集客を見込めると思います。

混雑するのは困るのですが…

振り返ると、同じ近江八幡市なのにこの格差は大きいと感じずにはいられません。

がんばれ!安土!!



【参考文献】
日本野鳥の会
よし笛公式ウエブサイト



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