まいまいで「ブラ鞍馬」ー②
【前回はこちら↓↓↓】
ハッキリ言って、岩石に関して様々な説明を受けたのですが、まったくと言っていいほど記憶にありません💦
ですから、今回の主旨の一つである「地質学の視点から見る鞍馬」に関しては、ほぼお伝え出来ませんので、あしからずご了承願います。
興味がないというのは、こんなにも心が残らないものかと我ながら再認識しています。
下記イラストマップの右下の「仁王門」から入山し、ケーブルカーに乗って清少納言の「つづら折り」をワープし、最終的には貴船神社をスルーして左中央の貴船川のほとりの「鞍馬寺西門」までのコースです。
鞍馬寺は独特
鞍馬寺には他にはない特徴が見られます。
まず、寺内のケーブルカーも普通は各市町村などの公的機関の運営が普通なのですが、ここは鞍馬寺が運営しているのです。
ですから、愛山料の500円もケーブルカーの200円も、様々な維持のためのものであり、寺自体の管理によるものです。
他にも基本的なことに特徴がありました。
🍁鞍馬弘教
宗派は「天台宗」から独立した「鞍馬弘教」で、
直感・幻視・瞑想・啓示などから神と通じる「神智学」を基本とした観念なのです。
寺なのに神ですかー⁉と思いますが、実は神は神でも日本の神道ではなく、
1875年に結成されたアメリカの神秘思想団体である「神智学協会」の影響を強く受けています。
ますます混乱しますが、この信仰こそが鞍馬寺の大きな特徴です。
日本で宗教法人の認可がおりたのは昭和27(1952)といいますから最近の事で、まさしく新興宗教です。
天台宗×神智学=鞍馬弘教ということでしょうか。
これにもまた日本人の宗教観念の大らかさが見えますね。
🍁三位一体の「尊天」
御本尊がまた面白い。
・毘沙門天王
・千手観世音菩薩
・護法魔王尊
これら三尊を一つにした「尊天」と言われるものなのです。
良いと思うものを取り合わせたようですが、ご本尊も三体とは、なんと欲張りな宗派でしょう!
開山は鑑真の高弟である鑑禎なので、元々は「律宗」だったのかな?
これこそ芋づる式にいろんな宗派が絡んでくるので、私の頭ではここまでが限界です。
🍁羅網
しげちゃんのお話によると、この羅網はこの世のあらゆる自然体系を表したものだとの事で、密教での「曼荼羅」と同じ意味のものでしょうか。
鞍馬山の大自然の中で、共存する全ての生態系バランスがあるからこそ、それぞれの命があるという思いが込められているのです。
🍁狛犬ならぬ狛虎?
鞍馬寺では狛犬ではなく狛虎でした。
「狛」とはオオカミに似た珍獣という意味なので、オオカミ+犬or虎or狐or猿or獅子という感じで、それぞれの神使いがオオカミ化した姿を象としたものなのでしょう。
御本尊の一尊である毘沙門天がこの地に現れたのが、ちょうど寅の月・寅の日・寅の刻だったそうです。
あれ?「どうする家康」みたい?
また、毘沙門天のお使いの神獣が虎であるとも伝わっているので、鞍馬山では「犬」ではなく「虎」が番人としてご本尊をお守りしています。
「今年は阪神ファンのお参りも多いでしょうね~」
byしげちゃん
🍁宇宙的真理のパワースポット
鞍馬山の本堂である「金堂」前野には星曼荼羅を模した金剛床があり、その中央の三角マークには、天のエネルギーが集まる最強のパワースポットと言われています。
【光】太陽の精霊ー毘沙門天王
【愛】月輪の精霊ー千手観音菩薩
【力】大地の霊王-護法魔王
これらの三尊が一体となった「尊天」は宇宙の真理そのものであるとされ、秘仏のご本尊としてこの金堂に安置されています。
エネルギーをわけていただこうと、入れ替わり立ち替わり、皆さんここに立って目を閉じ、「尊天」からのパワーを浴びておられました。
天狗伝説
🍁義経を育てた鞍馬の大天狗
幼少期の父の死、兄の裏切り、妻とは引き裂かれ、子は殺害され、そして最期は兄に攻め滅ぼされたという壮絶すぎる人生の源義経。
彼が鞍馬寺に預けられ、10年間ほど大天狗に育てられたという伝承はあまりにも有名です。
それが鞍馬山の「僧正ヶ谷」でした。
「木の根道」には圧倒されました!
写真では見た事はあったのですが、こんなにも迫力あるものとは!
ここで義経が飛んだり走ったりしたなんて信じられません。
少なくとも私なら一瞬でコケて大怪我するのは間違いなしです。
あくまでも伝承なので話半分としても、普通に歩くのも困難でした。
一つ一つが盛り上がっているので、歩くというより「またぐ」という動作になります。
この辺りの地盤は「ホルンフェルス」という、とても固い「変成岩」の一種なのです。
その岩盤は地表近くまで迫っているので、木の根が土中に延びる事が出来ず表面に張り出てしまうそうです。
木々の生命力の強さと鞍馬山のこの地質が生んだ、この場所特有の光景なのですね。
大天狗に鍛え育てられた義経は、肉親とは縁がなかっただけに、もしかしたら親以上に慕い、また大天狗も実の子のように慈しみ、二人は深い絆で結ばれていたのではないでしょうか。
義経の報われない人生の中で、いちばん輝いて充実した時期だったかもしれないと思うと、胸が痛みます。
地質に関して、しっかり覚えていたのはここだけです。
例えば奥の院へと向かう途中に石垣があったのですが、ちょっとした展望広場になっていて、その眺望に目を奪われがちですが、しげちゃんはその後ろにある石垣に着目していました。
せっかく岩石に関して説明してくれているのに、私は言うと、
「おお~見事な打込接や!
しかも風雨にさらされて変色した感じがいい!」
という感じで、完全に石垣としてしかみていません。
赤矢印の所が一直線に石の大きさと積み方が変わっているのは、継ぎ足した跡であり年代の差があるという事ですね。
特に下方の石の大きさにも驚かされ、鞍馬山の豊富な石材があればこそできた石垣だと想像できます。
🍁天狗は神か妖怪か?
さて、天狗はいったいどこからきて、何者なのでしょう?
私たちが知る天狗のイメージは江戸時代に定着したもののようです。
「天狗」は天の狗と書きますが、この語源を辿るとルーツは中国のようです。
>平安時代
流れ星が落ちる時に犬が吠えるような声が聞こえるので、そのことから天の狗と例えたのです。
隕石が大気圏に突入する時の衝撃音は、犬の遠吠えのように聞こえるのかもしれません。
天狗はの正体は「流星」だという説はこの事なのですね。
しかしその流星、すなわち天狗の出現は不吉の象徴とされ、日本では日本書紀で「天の狐」と訳され、平安時代は人を化かす妖怪として扱われ、やがては天狗は人をたぶらかして連れ去る神隠しの妖怪として解釈されます。
さらには天狗は空を飛ぶことから、鳥のような姿だとイメージされ、12世紀には「屎鵄」と表現されています。
これには泥棒の意味もあるので、天狗は迷惑なものと扱われていたのがよくわかります。
>鎌倉時代
天狗が鳥のイメージとなったと同時に、仏法の敵として「魔」のイメージが付きます。
仏陀の悟りを妨げたのが「魔」であり、すなわち天狗だと解釈され、以降は僧侶の修行を妨害する「魔」としての性格が定着してゆくのです。
それとともに、欲にまみれて煩悩だらけの高僧が堕落した姿が天狗だとされ、本来は清浄な悟り人であるはずが、醜い心を持つことで闇落ちした姿となる事に例えられました。
南北朝時代、さらに不安定な政治体制となり戦乱が続いた事も、天狗の仕業とされ、悪しき存在として妖怪の代表にまでされてしまいました。
>江戸時代
ここにきて初めて天狗のイメージが180度変わります。
強欲のために魔物に堕ちた存在だったのが、むしろ人間の強欲や高慢を戒める者と解釈されたのです。
魔物や妖怪から一気に「神」へと昇格したのです。
鼻高の現在のイメージを初めて描いたのは、室町時代の絵師・狩野元信で、天狗の絵を依頼されたものの、見た事もないその姿を想像もできず悩んでいたところ、夢に現れたのが妖しい者をそのまま描いたのがそうだったらしい。
あくまでも伝承なので、どこまで真実なのかはわかりませんが、元信の描いた天狗のイメージが今に続いたようです。
私個人の意見としては、赤い皮膚と高い鼻という特徴から、白人の外国人の事がそう見えたのではないかと思っています。
白い肌は時には上気して赤くなりますし、日本人に比べたらかなり鼻は高いですから。
平安時代あたりに何かの手違いで偶然に日本にたどり着いた西洋人が、その外見の違いから特異な目で見られ、迫害されて、山奥に棲み着いたため、様々に噂されて伝承話が残ったのではないかと妄想します。
さてさて、真実はいかに?
天狗の存在は本当に不思議すぎて、想像の幅は無限ですね。
また長くなってしまいました。
あと紅葉の事と、疲労困憊となった顛末を語らねばなりません。
まいまいで「ブラ鞍馬」ー③へつづく
※トップ画像は「金堂」前から見える景色です。
【参考文献・サイト】
・「天狗説話考」久留島 元 (著)
・天狗(てんぐ):魔物から神へと昇格した稀有(けう)な妖怪
サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。 どうぞご協力よろしくお願いします。