今さらながら、狛犬の魅力に気付いて
noteの出会いに感謝です!
相互フォローさせていただいているkomajinさんの著書、「大阪狛犬物語」を拝読いたしました。
なんせどのような内容なのか、
私みたいな人間に理解できる内容なのか、
そして狛犬の魅力を目いっぱい感じられるものなのか、
まったく見当がつかなかったので、まずは地元の図書館で借りて読ませていただきました。
内容がかなり充実しているため、2週間の貸出期間では読み切れず、さらに延長して読み、結局は購入させていただきました。
というのも、今後のフィールドワークに大いに活用できると判断したのもありますが、知識の乏しい私には繰り返し読む必要があるからです。
komajinさんは各所の「狛犬」を検証され、その慧眼は作成年や作者、素材にもおよび、一対の狛犬からとてつもなく深い歴史を導き出しておられます。
最初は私も呆気に取られる思いで読ませていただいていたのですが、やがてクセになり(笑)、知らない間にその世界に魅せられていました。
正体不明、架空の霊獣
komajinさんはあらゆる狛犬に関して精通しておられるのですが、こちらの著書は特に大阪の狛犬についての検証と考察をまとめられています。
最初は、マニアックな研究をされているなと感心しながらも、ただ何となく記事を拝読していたのですが、記事や著書を読ませていただくと「狛犬」だけではなく、神社を訪れる際の見るべきポイントも非常に参考になり、今後の紀行にも大いに役立つと気づかされました。
それまで私は、神社仏閣では歴史上で誰が関わり、どのような史実があったか、教祖や開祖、あるいは祀られている神々などぐらいしか関心はなく、「狛犬」にまで着目していませんでした。
「狛犬」から見える歴史もまた奥深いものであり、またそこから神社仏閣のゆかりが見えてくるのです。
そもそも狛犬って何?
私にとって「狛犬」とは、正体不明の架空の霊獣であり、本殿や拝殿前の左右一対で魔除けとして神様をお守りしている像だということです。
それは神の眷属や神使としての役割を果たしているものもあります。
例えば稲荷神社では狐。
先日訪れた鞍馬寺では虎でした。
本殿や本堂の中の神や仏には興味はあっても、その番人のような狛犬たちを私はただのお飾り程度にしか考えておらず、神社仏閣を訪ねても完全スルーしていたのです。
ふと思ったのですが、よく寺院の屋根にも見られる「鍾馗さま」や珍獣像と同じ役割なのか?
奈良の法隆寺や東大寺の屋根にも見られました。
「魔除け」という意味では狛犬と鍾馗様は同じでしょうか?
大阪のトップ神社
すみよっさんの狛犬
正直、本書はそもそも私のような者に理解できるかどうかの不安が大きかったのですが、初っ端から摂津国一之宮・「住吉大社」の狛犬たちに詳しく触れています。
当然ながら、私はぐいぐい惹き込まれました。
同時に私は何度も訪ねていて、いったい「すみよっさん」の何を見ていたのだろうと、大きな後悔が湧いてきたのです。
大阪の寺社のツートップといえば、「四天王寺」と「住吉大社」でしょう。
過去にも記事にしましたが、この寺社をしっかり見ずして地方の寺社は語れないと、今更ながら気づき、来年はちょっと原点に返る意味で、これらの「大阪ツートップ」にはさらに着目してゆきたいと思っています。
今年見た心に残る狛犬
今年、レキジョークルで犬山~岐阜へ紀行しました。
思い起こせば岐阜の伊奈波神社で見た狛犬に一目ぼれしたのが、そもそもの目覚めるきっかけだったような気がします。
伊波神社・逆さ狛犬
伊奈波神社に変わった狛犬があることは事前に調べて知っていたので、楽しみにして訪問しました。
まずは、本殿への階段下に鎮座していた狛犬たちは、私の目にはふつうの部類に入るものだったので、さほど詳しく観察することもなく通り過ぎました。
件の狛犬は、この階段を上ったところにあります。
暑いなか岐阜城を訪ねた後だったので、疲労いっぱいでキツかったのを思い出します。
上ってみると拝殿前のスペースは思った以上に狭く、狛犬の全容を捉えるのには少し苦労しました。
どこだ?とその狭いところでキョロキョロしながら振り返ると、とても愛らしいポーズを取った狛犬たちが居ました。
おそらく、知らなかったら見過ごしていたでしょう。
ひっそりと隠れるようにそれらは鎮座していました。
あなたたち、こんなところにいたの?
顔は怖いのですが、お尻の丸みがあまりにも可愛く、前足をついて顔を置き、多少顔面がひしゃげたように見えるのは、きっと前を向こうとしているからでしょう。
「こんな狛犬もいるのか!」
事前に知ってはいても、実際に目で見ると素直に魅入ってしまいました。
この時にも、noteのkomajinさんを思い出したのです。
大正時代初期の狛犬
この逆さ狛犬は、石川県に逆さ獅子として多く存在し、中でも金沢市最古の古墳時代・547年に草創された「石浦神社」の「逆さ獅子」を元に広まったそうです。
これらの「逆さ狛犬」は、だいたい明治時代から昭和初期にかけて作られ、戦後になると作られなくなったそうです。
この伊奈波神社の狛犬も、台座のどこかに製作月日が彫られていたかもしれませんが、まったく注視していなかったので、写真も撮っていません。
写真があっても判読できないかも💦
ちょっと検索してみるとあいち おさんぽナビの文中に「大正時代初めに作られた」とありました。
ということは、やはり100年は軽く超える狛犬なのですね。
この逆さポーズにはどういう意味があるのかは、文献にないため断言できませんが、以下のことが想像されています。
・雲を蹴るのは縁起の良いことなので、そのためのポーズ。
・当時は軟らかい凝灰石を使っていたので細工がしやすく遊び心で。
どちらが理由であっても戦後には作られていないのはちょっと残念です。
好奇心旺盛な日本人の事ですから、もっとユニークな狛犬が作られたかもしれません。
イヤ、私が知らないだけできっと現存しているのでしょう。
石造だけではない狛犬たち
私はまったく知識も興味もなかったので、狛犬といえば「石」という固定概念がありましたが、komajinさんの著書によると「青銅製」や木製、備前焼や瀬戸焼などの「陶製」のものもあると知りました。
そういう狛犬を見た記憶がありません。
正確に言えば、見たかもしれないのですが、まったく気付いていないだけかもしれません。
本書ではその狛犬の材質にも触れ、特に私が苦手な石材にも詳しく、さらには石工に関しても探求し、どこのどの集団の誰それの作品だということも調べ上げておられ、その造詣の深さには驚くばかりです。
すみよっさんの「太鼓橋」前の狛犬と同じ石工たちによるものが、松原市の「屯倉神社」にあるとの記述を見て、さっそく行ってまいりました。
我が家からは近い神社で何度か行ってはいますが、狭いスペースながら年代の違う多くの狛犬が鎮座されているのを知り、これまた今さらですが驚きました。
これもまた後日、別記事にしたいと思います。
今のところ、私にはさっぱりわからないことだらけで、逆にどのお話も新鮮で食い入るように読ませていただきました。
いままで私の紀行の裏テーマは「秦氏」でしたが、今後はそこに「狛犬」も加え、より一層奥深い散策を目指してゆきたいと思います。
【今後の参考にしたい記事】
クリスマスイブというのに、まったく関係のないマニアックな記事を投稿してしまいました。
代わりに過去記事を再掲させていただきますので、お時間のある時にどうぞ。
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