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大阪市の神社と狛犬 ⑰東成区 ①八王子神社~昭和と江戸の狛犬たち~

大阪市東成区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。東成区は大阪市の東部に位置し、北は城東区、東は東大阪市、南は生野区、西は中央区・天王寺区と接しています。主要道路の集まる今里交差点は、通称「今里ロータリー」と呼ばれ、この付近が区の発展の拠点となっています。
この辺り一帯は、古代において、上町台地の東側の低湿地に流れ込む淀川と大和川の土砂が堆積してできた土地で、「東にる」ことから「東生ひがしなり」と呼ばれたといいます。奈良時代の和銅年間には新しい郡郷の制度ができ、上町台地の東が「東生郡」、西が「西成郡」と定められました。「東生・東成」の地名は、まさに1300年以上の歴史をもつ由緒あるものです。

東成区には、八王子神社御旅所も含めて神社が6社あります。さらに熊野大神宮に隣接する妙法寺の境内社を含めると7社になります。東成区では、この7ヶ所の狛犬を訪れたいと思います。
まず最初は八王子神社にお参りしましょう。大阪メトロ緑橋駅から南西に、徒歩で10分ほどの地に鎮座します。


八王子神社

■所在地 〒537-0022 大阪市東成区中本4-2-48
■主祭神 八王子大神(孝霊天皇の第八皇子、稚武彦命わかたけひこのみこと
■由緒  創建年代は不明だが、応神天皇の頃と言い伝えられている。孝徳天皇が高麗狗一対を献納したとも伝わる。もとは「八王子稲生大明神」と称したが、明治維新後「百済神社」と改めている。 明治42年に西今里の八剱神社を合祀し、「八王子神社」と改称して現在に至っている。
なお、「八王子」とは普通は素盞嗚尊の御子たちのことだが、当社では孝霊天皇の第八皇子、稚武彦命わかたけひこのみことを指す。


狛犬1

■奉献年 昭和五年十月建之(1930)
■作者  石匠 天満 平清
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

八王子神社拝殿
拝殿前の石造狛犬
拝殿前石造狛犬(阿形)
拝殿前石造狛犬(吽形)
拝殿前石造狛犬(阿形)
拝殿前石造狛犬(吽形)

八王子神社は、東成区中本の住宅地の中にある。西側の立派な鳥居を潜ると、参道が左にカーブしていて、その正面に八王子大神をお祀りする社殿があった。
拝殿前に立派な体格をした花崗岩製の狛犬が安置されている。
たてがみや尻尾の彫りは深く立体的で、目は瞳がなくて恐ろしげだ。口元は、阿形は三角の舌を見せ、吽形は食いしばるような歯並びを見せる。難点をいえば、阿形の玉を取る左前肢が胴から突き出した丸太ん棒のようで不自然だ。
昭和5年の奉献で、吽形の台座に「石匠天満平清」と刻銘されている。「平清」の狛犬は、大阪を中心にいくつか見ることができる。拝殿前の狛犬は、いわゆる玉取り子取りタイプで、吽形の前肢に取り付く子狛が、逆立ちしていてかわいい。

拝殿前石造狛犬(吽形)の子狛


狛犬2

八王子神社の社殿に向かって左側に、境内社が数社鎮座している。それぞれに小型の新しい狛犬が置かれている。ここではそれらをまとめて紹介したい。

〈神宮遙拝所〉

狛犬は令和4年10月奉納


〈白龍王大神〉

狛犬は平成26年5月奉納


〈八立龍王大明神〉

狛犬は昭和40年10月奉納

『八王子神社略記』によると、「往古境内の池から昇天された龍王として崇敬され、殊に災難除、家業発達の守護神として古くより崇められている」と記されている。小祠の前には、宝珠を抱えて阿吽で一体になった蛇神の像がある。

白龍王大神前の蛇神 八立龍王大明神前にも同じものがある

「海に千年、山に千年棲みついた蛇は龍になる」と言われる。中国では、蛇のことを「小龍」とも呼ぶ。そういえば、あのブルース・リーの中国名は「李小龍」だったな。


狛犬3

■奉献年 寛政六甲寅九月吉日(1794)
■作者  不明
■材質  砂岩
■設置  八立龍王大明神左右

八立龍王大明神と左右の狛犬

この八王子神社ではいちばん古い狛犬である。損傷がかなり激しいのが残念だが、まだお役目を果たしている。

寛政6年奉献の浪速狛犬
寛政6年奉献の浪速狛犬(阿形)
寛政6年奉献の浪速狛犬(吽形)
寛政6年奉献の浪速狛犬(吽形)

狛犬本体は砂岩製で、すでに200年以上経過し、吽形の顔面などはひどい状態だ。基壇は花崗岩で、紀年銘はかろうじて「寛政六甲寅九月吉日」と読み取れる。寛政6年は1794年にあたる。
寛政年間は1789年から1801年までの12年間で、その前の天明年間の大飢饉や内裏炎上などの不安を払拭するために改元され、松平定信による改革が行われた。寛政の紀年銘のある狛犬は、大阪府全体で約40例残っている。

紀年銘


狛犬4

境内の植え込みの中に、かろうじて狛犬とわかる砂岩製の石造物がある。顔は鼻の辺りから下が崩れ、前肢もない。大きな石にもたれかかるようにして置かれている。

これだけでは、いつの時代のものかわからないが、特徴のある目の表現に似たものを探してみた。

大正区八阪神社・明和8年(1771)

しかし、釣り上がった目だけで判断するのは早急すぎるだろう。ここは大雑把に、江戸時代の浪速狛犬であると結論づけるにとどめたい。


八王子神社境内

〈狐像〉

八王子神社の境内社の一つに稲荷社があるが、さきほどの狛犬4のそばにも狐像が並んでいる。


諫鼓鶏かんこどり

拝殿の向かって右側に、珍しい鶏像がある。これは諫鼓鶏かんこどりと呼ばれるものだろう。三つ巴紋の太鼓の上に鶏が座っている。

中国の伝説的な帝王である尭帝ぎょうていが、朝廷の門前に諫鼓かんこという太鼓を置いて、自らの政道に誤りがある時は人民にそれを打たせて、その訴えを聞こうとした。しかし尭帝の政治に誤りが無く、人民が打つことが無かったため、諫鼓は鳥の遊び場になってしまった。
つまり、諌鼓に鶏が止まっているのは、善政により世の中がうまく治まっている天下泰平の世であることをあらわしている。
諫鼓鶏かんこどりは、京都市北区の天寧寺の境内にもある。


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