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源氏の身内争いが戦国時代を招いた?


ご先祖を辿られるなかで、どうしても史実と重なる部分もあり、その時に触れられる歴史が、簡潔で秀逸な筆致でまとめられています。

ご自分のご先祖が岡山県の八幡神社の氏子である事から、
源氏の血筋が後に「室町幕府」を創建した足利氏に繋がるという事を、わかりやすく知る事ができます。

私もずっと以前に、何かの本で知った時、「へぇ~!」と感心した記憶はあり、その時はあまりのややこしさにまとめられず、その系図は複雑に絡み合い、全容を知る事はできませんでした。

私の脳内ではまとめきれず、そのまま忘れていたのですが、上記の「ファミリーヒストリー」さんがまとめられた記事で、私の中で繋げることができました。

系図を作成しながら、覚書のひとつとして記事にしておきます。


源氏の血統が日本史を変えてきた


清和天皇から始まり、河内源氏として続いた頼信の子である義家と義光が続くことになります。

義光は甲斐源氏となって信義の時代に武田氏となります。
今年の大河「鎌倉殿の13人」で八嶋智人さんが演じ、嫡男を誅殺されていましたね。

この血統が後には武田信玄へと繋がることになるのです。

そして、義家の方も多くの子を成しましたが、
血統が残ったのは義親よしちか義国でした。

義親の血統

鎌倉幕府を創建した源頼朝へと繋がり、ご存知の通り、仲間や身内同士で熾烈な惨劇を繰り返すも、たった3代で滅んでしまいます。

義国の血統

そのまた子・義重と義康から別々の血統が生まれます。

【義重の血統】
新田氏
に繋がり、6代後の新田義貞が、元は同じ血族だった鎌倉幕府を滅ぼします。
彼の嫡男の義範が山名氏となり、同じ血統でありながら枝分かれしてゆきます。

南北朝時代には、この両氏は敵対します。
新田氏は南朝
山名氏は北朝

【義康の血統】
その子のうち、義兼と義季の血統が続きます。

ー義兼ー
こちらは、後の室町幕府を創建する事になる足利氏に繋がり、そこからまた実に様々な家系に繋がる事になります。
一部だけですが次の通りです。

細川氏ーのちの藤高(幽斎)は「本能寺の変」の時に、懇意にしていた明智光秀に味方せず、秀吉側に付いた決断は、現在まで続く家系となった。
斯波氏ー世襲により越前尾張遠江などの守護なるも、遠江は今川に奪われ、尾張は織田信長に奪われ、放逐されて滅亡。
今川氏ー桶狭間にて信長に敗れて以降衰退の一途をたどり、高家として細々と続くも、明治に入ると途絶える。
吉良氏ー本家は有名な「忠臣蔵」の一件で改易となるが、分家は明治後も残る。

義季よしすえ
徳川の家系図ではこちらの血統が徳川氏(得川)に繋がるとなっています。

この徳川へ繋がる事は、無理にこじつけたと思えますが💧

千世の独り言


八幡太郎はちまんたろう義家がキーパーソン

上記の血統をたどれば、どうも源義家が元のようなので、ちょっと調べてみました。

彼は平安後期の武将であり、文武両道の理想的な武士であったとされています。
伊予守・頼義の長男に生まれ、石清水八幡宮で元服した事で、八幡太郎と名乗ったのが由来です。
その直流の子孫、源頼朝は鎌倉幕府を開き、初めて武家による幕政を行いました。


前九年の役

陸奥の有力豪族・安部氏は税も納めず、独立的な勢力として強大になりつつありました。
そこで、義家は朝廷からの追討命令を受け、父・頼義と共に出陣し、苦戦したものの、安部氏を見事に討ち果たしました。


後三年の役

当時、最盛期だった東北地方を治める清原氏が、独裁体制となった末、家督争いから内紛が始まります。
義家はこれに介入して平定しました。

しかし、朝廷はこれを私戦と捉え、褒章を一切出さず、それどころか貢納こうのうが途絶えた事を責められ、役職を罷免ひめんされてしまいます。

それでも義家は私財を投じて家臣たちへ褒美を取らせ、労をねぎらい、武家の棟梁として大きな信望を得て、勢力を拡大しました。

そうか。
血統こそ全てだった時代の東国武士たちが、特になんの人望もない頼朝に力を貸した理由がここにあるのかも。

千世の独り言

八幡太郎義家とは、初めて武家の棟梁の地位を確立した人であったのです。



戦国時代は源氏の血筋が招いた

戦国時代とはいつからいつまでをいうのでしょうか?
日本史の大きな方向転換となった時期に誰が関わっていたかを考えてみました。

始まりは「応仁の乱」(1467~77)

京都を中心とする内乱。 将軍家の相続問題と、畠山・斯波両管領家の家督争いから、諸国の守護大名が細川勝元の率いる東軍と、山名宗全の率いる西軍に分かれて争った。

コトバンク

戦国時代の始まりとして、室町幕府の将軍の家督争いによる明応の政変との説もありますが、やはり「応仁の乱」がキッカケではないでしょうか。

約11年もの間続いた戦乱の中心となった家は、細川氏と山名氏で、上記では義国を祖とする血筋である事がわかります。

源氏は身内争いが宿命かも

千世の独り言


終わりは「大坂夏の陣」(1615)

こうなるまでに、織田信長と豊臣秀吉の天下統一がありはしましたが、その後も大きな権力争いが続いたので、やはり徳川家康による総仕上げとなった「大坂夏の陣」というのが妥当でしょう。

上記の徳川家の系図が正しいのであれば、これもまた義国の子・義康を祖とて枝分かれした源氏の血筋という事になります



日本史のターニングポイントには源氏

このように順を追って考えてみると、八幡太郎義家の子孫が日本史の変換期には必ず関り、歴史を塗り替えてきたのです。

歴史に「if」はないのですが、ここで妄想すると、
彼がもし、この世に存在しなかったとしたら、日本史は全く別のものになっていた可能性が高い。

鎌倉幕府も室町幕府もなかったかもしれません。

もしかしたら豊臣が続いて、徳川幕府もなかった可能性まであります。


たった一人の存在で大きく歴史は変わり、脈々と続くその血統から、また別の血統が生まれ、違う歴史が紡がれていくという事実。

SFでよく題材にされる「時空の違い」というのは、
結局のところ、私たち人間の奇跡のような存在により生まれた、何パターンもの血統の上に成り立つものではないかと思えてくるのです。


今年の大河「鎌倉殿…」も、当時代の過去と未来を頭に描きながら楽しんでみたら、もっと面白くなるかもしれません。


若い頃、不思議に思って調べようとした事でしたが、武将の「義」とか「朝」とかの通字がややこし過ぎて断念した事を思い出し、今回、間違っているかもしれませんが、なんとかまとめるキッカケをいただた「ファミリーヒストリーさん」には感謝いたします。





《参考文献》
新田氏系図
足利氏系図
源氏の系図
徳川氏の系図
Wikipedia




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