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東京オリンピックを見て「君が代」を塾考してみた。


日増しに盛り上がる東京オリンピックですが、連日メダルラッシュで嬉しい朗報が続きますね。
目が離せないほどの熱戦だらけで、見ているこちらも力が入ってしまって、肩が凝る日々です。

表彰台に晴れ晴れとした表情で上がる選手たちは、本当に美しい!
見ているだけで、涙があふれてきます。

何度見ても感動の表彰式。
その時に流れる「君が代」を聞くと、今さらながら、いい国歌だな…と、思って、なお一層胸が熱くなってきます。

開会式でのMISIAさんの「君が代」も圧巻の歌唱力にジーンときましたねー。

実は子供の頃、地味すぎ!とか、かっこわる!とか思ってて、国歌に自信を持ててなかったのです。

しかし、自分自身が人生の経験を積み、その歌詞の意味を知る事で、今では、じわじわと迫ってくる名歌だと心から思えるのです。

さて、この「君が代」ですが、日本人としてもっと深く知るべきだと思い立ち、あらためて色々考察し、さらに深く考えてみました。




意味をあらためて考えてみる



ご存じの方も多いと思いますが、まずはその意味をおさらいしてみましょう。

君が代は 千代に八千代に 
さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで

意味:あなたの命が、はるか長い年月をかけて、小石が集まって大きな岩となり、それに苔が生えるまで続きますように。 

「君が代」とは元々、「天皇の治世」という意味なのですが、一般的にはこの歌を受ける側の人の長寿を祝うという意味なのだそうです。

要するに祝賀の歌という事ですね。

また、「君」と恋愛対象にある人を指したりもするので、恋歌として謡われる事もあったそうなのです。

ここで、私独自の解釈ですが、一言一句丁寧に詠んでみると、また違った意味にも思えてきます。

特に後半のくだり、

さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで
一人一人は小石のようにバラバラだが、大きな岩のようにまとまり、一致団結での支え合いが悠久に続きますように

どうでしょう?

こんな風にも読み取れませんか?

少なくとも私は、オリンピックの勝利歌としてなら、こちらの意味で捉えています。

世界一短い国歌ではありますが、短いながらも日本語の奥深さを感じさせる詩なのです。


誰が作詞したのか


「君が代」の詩は、905年「古今和歌集」の「読人知らず」の項に初めて登場しました。

1000年を優に超えているのですね!
先ほど世界一短い詩だとお伝えしましたが、世界一古くもあるのです。

世界最古であり、その歌詞の通り、事実上悠久の歴史を歩んできた詩という事です。

しかし、残念ながら「読人知らず」という事なので、誰が詠んだか特定はできておりません。

今のところ、2つの説がありますので、独自に見解してみました。


説1)木地師(木工職人)の藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそん いしいざえもん)とする説

彼は第55代・文徳天皇の第一皇子惟喬親王(これたかしんのう)に仕えていた木地師(木工職人)。職業柄、その材料を求めて各地を訪ねていたが、滋賀県春日村の春日谷で、谷間の渓流にあった「さざれ石」を見て、「珍しい石だ、目出度い!」と、主人である惟喬親王へ詠んで奉った歌であるという。

さざれ石は、伊吹山の麓に多く存在し、学名を「石灰質角礫岩」その特徴として、石灰質が年月をかけて雨水によって溶解される時、粘着力の強い液が生じて個々の小石を凝結させるという。

説2)奈良時代後期の貴族・歌人の橘清友(たちばな の きよとも)とする

彼は、奈良時代後期の貴族で第54代仁明(にんみょう)天皇の外祖父。
第51代平城(へいぜい)天皇へ祝事に謡い奉ったという。



ざっと調べてみるとこんな感じだったのですが、どちらも天皇に捧げたという点では信憑性はあります。

捧げた天皇の歴代数で見ると、古さでいうなら橘清友説ですね。

しかしですよ。身分のある橘清友が詠んだのなら、「読人知らず」としないのでは?堂々と名乗っても良さそうです。

ここはやはり、一介の職人にすぎなかった石位左衛門であるのではないかと、私は思うのですが、どうでしょう。




作曲はいつなのか


明治2年(1869)、当時、薩摩藩の軍隊将校であった大山巌と軍楽隊教官だったイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンとで曲をつけたのが始まりです。

しかし、ジョンはイギリス人だったからか、日本語の叙情を理解できてなかったようで、西洋っぽくなりすぎました。

そこで11年後に宮内省雅楽課が改め、さらにドイツ人の音楽教師・フランツ・エッケルトが編曲しました。

それから13年後の明治26年(1893)になって儀式に使用され始め、なんと昭和5年(1930)頃に、やっと国歌として定着したようです。

さらに法制上の「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌となったのは、なんと平成になってからで、3年(1999)だというのだから驚きました。

国歌を定める意識が薄く、当てはめるべき法律もなかったのか、どこよりも古くから誕生した割には、正式に定まったのは思ったより遅かったようです。

これもあれも、どうもしっくりいかずで、紆余曲折あったようですが、結局は最良の詩に最良の旋律が付いた、秀作となったのではないでしょうか。




起源は九州か


福岡県・志賀島にある志賀海神社(しかうみじんじゃ)には民俗学的に大きな価値がある「山誉め祭」(やまほめさい)という神事があります。
その神事の際の神楽歌(がらくうた)が「君が代」の起源だという説もあります。

ではその「山誉め祭」の始まりはいつなのか?
なんと、2,3世紀にまで遡り「古事記」「日本書紀」に記載されているというから、もう神話の域です。

14代仲哀(ちゅうあい)天皇の后(きさき)であり、15代応神(おうじん)天皇の母であった神功皇后(じんぐうこうごう)にまつわるのです。
169年生まれで269年死亡。え?100年生きたって事ですよね。
この時代にここまでの長寿だった事だけでも、すでに神がかってます。

彼女には神と通じる事ができる巫女的な能力があり、朝鮮の新羅(しらぎ)を征服するようご神託を受け、急逝した夫の仲哀天皇に代わって、女将軍として出兵し、新羅だけでなく百済(くだら)、高句麗(こうくり)含めた三韓とも征服した「三韓征伐伝説」の元となった人物と言われています。

その三韓出兵の際、福岡県・志賀島にある志賀海神社(しかうみじんじゃ)にて、兵士たちを海山の幸で饗応し、山誉の神事を奉納すると、それを見た神功皇后は、以後その神事を庇護した事に始まり、現在に伝わったのが「山誉め祭り」なのです。

その雅楽歌の歌詞を確認してみると、

君が代だいは 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身み骸がいに命いのち 千せん歳ざいという
花こそ 咲いたる 沖の御おん津づの汐早にはえたらむ釣つる尾おにくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや
志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
いるかよ いるか 汐早のいるか 磯いそ良らが崎に 鯛釣るおきな



う~ん。なるほど、それっぽいですね。
しかしながら、神功皇后の存在自体、あまりにも神がかっているので、神話や伝説の域を抜け出せず、事実なのかどうか確信できないのです。

しかし、明治14年(1881)に作られた日本初の肖像画入り紙幣に神功皇后が採用されている事から、少なくとも明治には、その存在は信じられていたようなのです。

それに反して、時代はずっと下って7世紀半ばの飛鳥時代に即位した女帝・第37代斉明天皇(さいめいてんのう)の実績が、そのまま神功皇后の神話となったという説もあります

斉明天皇は「大化の改新」での中心的人物、中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ)と大海人両皇子(おおあまのおうじ)兄弟の母であり、日本史に大きく貢献した女性ですので、実在は明らかです。

さぁて、どうでしょう??

「君が代」の起源を追っていたら、歴史的大事件と神話・伝説のお話になってしまいました。

もう、実在したのかどうかなんて、どうでもいいかな。
こんなロマンのある話なら。

そして、現在でも神事は続いているということに驚愕するとともに、「君が代」が世界一由緒正しい国歌だという事だけはわかりました。




誇り高き日本国歌「君が代」


ここで、立憲君主制ではありますが、王を頂くイギリス国家と比較してみましょう。

その王室の始まりは1066年にイングランドを征服したノルマン人のギョーム2世が始めたノルマン朝で、ざっくり1000年弱の歴史があります。

そして、イギリス国歌は“God save the Queen(King)”と歌い、神が王を守るとなっています。王<神の形ですね。

日本ではどうかというと、天皇の起源は「古事記」「日本書紀」によると、紀元前660年に即位した神武天皇という事になっています。ざっと1400年前です。

さらに、その天皇の始祖は天照大御神(あまてらすおおかみ)とされています。 という事は、天皇=神という形で続き、少なくとも昭和前半までは現人神(あらひとがみ)として崇めていました。

「<」「=」では全く違う。

天皇は神に守られているのではなく、天皇自身が神であり、民を守るという構図が出来上がります。

そういう風に考えると、イギリス国歌は、神である天皇の御代・治世を歌う「君が代」とはまったく格の違うものになるわけです。

しかし、敗戦後1947年に施行された日本国憲法において、天皇は日本の象徴として位置づけられました。

実際の統治権利はなく、ただの日本のシンボルとなったのです。

これは、神を始祖とする天皇をうまく位置づけたなとも思えます。

本当なら、天皇を象徴とした時点で、「君が代」はそぐわないのではないか。とも思えてきます。

いや、考えようによっては、それまでの悠久の歴史の中で、「神」としての実績があったからこそ、象徴となり得たのだと言えるのではないでしょうか。

という事で、
神の国である日本の国歌「君が代」は他国とは段違いの、歴史と格式とを併せ持っていると結論付けます。


日本国民よ、
もっと誇りをもって「君が代」を斉唱しましょう!

そして、東京オリンピックでこれからもどんどん「君が代」は聞けるはずです。


心して「君が代」を聞きましょう!!

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