年末です、これでもかと年末感を。

良いお年をお過ごしください。

年末になると飽きるほど口にする、耳にするこの言葉。相手のこの次の一年を願うとても優しい言葉。だけど私はなるべくなるべく、大切な人とはともに良い年をお過ごしたいので、いい年にしましょう。といいます。これから始まる一年、素敵なものにするためにはあなたが必要不可欠なのですと、届けばいいなという願いを込めて。


二年ぶりに紅白歌合戦を見ながら、少し早い栗きんとんを頬張っています。この新しいパソコンのキーボードにもようやく慣れてきました。慣れてしまいました。寂しいな。新鮮な日々ってのは、安定して続かないものです。安定なんか、新鮮ではないから、なんだか矛盾かもしれないけど。

来年は、あと二時間もすれば今年になって、今年は昨年になります。過去の喜びや栄光や、そんな瞬間は、未来を歩くための力になります。だからこそ、今を確実に更新していかないといけない。浸ってはいられない。

まぁでも、少し今年のことにでも浸ります。

大好きな人とご飯を食べる時間の素晴らしさに気づいた年でした。その中でも、新参者の大好きな人との食事は大切な思い出。初めて連れて行ってもらったのは京都のマイナー感プンプンのタイ料理。特にたくさん食べたのは胡散臭いインド人のいるような店のナンとカレー。おしゃれで緊張してしまうような人かと、思っていたけど。地下街の蕎麦屋に入って、一年だけ抜けた掃除環境の賞の謎を解いたり、コンビニのイートインで縮こまってとり天食べたり、全然思っていた以上にバラエティ豊か。いつだって冒険をしているようでした。来年は、どうかな、どうかこんな日々が続きますように。良い年にしましょう共に。

新しいことを知りすぎた年でした。世の中は無限だと、知らなかったわけではないです。知っていたけど興味がなかった。興味を持つってかんたんなことじゃないと思います。人の気持ちのコントロールほど難しいことはありません。みんな恋をしたことがあるなら知っているでしょ。だから、自分の気持ちを誘導するのだって一苦労。そんな中いろんなことに興味を持ちました。素敵な年でした。周りの人に、新しい世界へ連れて行ってもらいました。ありがとう。いい年にしましょう共に。

今年最後に、見せる言葉を綴ることの難しさを痛感しています。

私は本番に弱いタイプだから、予想できていたけどね


前を向く時間が長ければいいなと思います。下を向いたときも、道端の花や、水たまりに映る虹に気付ける人でありたいです。

あなたが下を向いてしまったときに寝そべって滑り込んであっかんべーしちゃうようなチャーミングを持つ人でありたいです。

年を越す。とはいえ普段と何一つ変わらない夜。月の光量も風の強さも地球の回るスピードも、何一つ変わらない。変えているのは自分たちで、ご馳走なんか用意しちゃって、いつもより多めのお酒も飲んで、子どもたちの就寝時間がいつもより長くなるのを許す大人たちに、浮かれたジョークで溢れた特番を作り出すテレビマンたち。全ては私達が作ったファンタジーなのであります。

なんて愉快な生き物なんだろう私達は。

平凡があるから特別な日がそう見えてしまうだけで、普段からスーパーのかき揚げが200円なら大晦日に「高っ」なんて声をあげないし。その代わり800円もした栗きんとんを特別な日の贅沢だと味わえもしない。

難しい。

いつもを平凡な日として特別な日を待つのも素敵だけど、365種類の特別な日を繰り返せる年齢になった頃には、きっと人生に満足して、そうだな、目を細めて曲がった腰に手を合って笑っているのでしょうか。先が長い話だな。

毎日が記念日ね、なんて甘いセリフを囁やけちゃうような付き合いたてバカップルみたいな人間になりたいものです。早速2時間後から始めてみようかな。365スペシャル。新年の抱負ができてよかったです。


2018.12.31.

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