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ココロとカラダが同時に壊れるとどうなるのか

私がフルタイムの仕事を再開することになったのは、
自分自身のキャリアを構築したいという思いと、
もう一つは教育費を捻出する為でした。

結婚・出産など様々なライフイベントが進んでいく中、
女性が新たにキャリアを構築しようとするとき、
自分に置かれている環境を受け入れ、
進んでいく事は容易なことではありません。

それを賢くコントロールできることが理想ですが、
そんなことも考えず無我夢中で進んだ私は、
ココロとカラダが壊れていきました。
「決して無理をしては駄目。」
当時の私に今の私が忠告してもどうにもなりません。

■パートからフルタイムへ

フルタイムで働きたい。と当時の夫に申し出をした時に
「今までの生活スタイルを変えずに働けるんだな。」と条件提示があり、
「できる。」と言ったことが、家族が崩壊していく始まりとなりました。

「自分さえ頑張ればなんとかなる。」
そんな思考が私の脳内に常にありました。

■カラダの不調

椎間板ヘルニアの始まりは、子供達が幼児の頃です。
「布おむつは子供の為にはいい。」と言われれば実践する。
子供をおんぶしたまま、洗濯機にお風呂の残り湯をバケツで入れ洗濯する。
こんな積み重ねが、私の椎間板をすり減らしていきました。

■ココロの不調

当時の夫は、周りから見ると「良い夫」です。
ただ、痛みを分かち合える夫婦ではありませんでした。

生活スタイルを変えないと約束をした私は、要望をできるだけ達成すべく、
深夜帰宅の夫にご飯を出し(おかずは5品希望)、5時起きでお弁当を作り(残り物は極力NG)フルタイムで働き、子供が塾で食べる夕食を作り届け、
自分達の夕食と塾へのお迎え…とにかく1分でも時間があれば何かをする。という毎日でした。

子供達の受験が終わり教育環境が整った直後、夫の単身赴任が決まりました。
単身赴任先の生活環境を整える為、家族全員で赴任先まで行き、
夫と別れる新幹線の中で寂しくて大泣きしました。
また、私は「一人で頑張らなきゃ」と更に思うのでした。

夫は毎週末、単身赴任先から4時間車を走らせ戻ってきます。
そのうち「俺様」が帰って来るようになりました。
私は、土日も料理に精を出し、保存可能な料理を作り持たせる。
思春期の子供の悩みも、私の苦しい心の内を言える状態ではありませんでした。

ある時、夫が月曜日まで休暇を取り、私の作る夕飯を食べてから単身赴任先に帰る。という約束だったのに、
私の仕事が残業になってしまい、帰るのが遅くなると連絡を入れました。
仕事が終わって連絡をすると、夫は不在で子供たちに何も告げず、子供たちの夕食も用意せず
黙って単身赴任先に車を走らせていました。

これがわかった時、私のカラダがガラガラと音を立てて崩れていきました。
自分が壊れてしまった。心療内科に行かないとまずい…
あの感覚は一生忘れる事はない
と思います。

■カラダとココロが同時に不調になると…

うつ病は眠れなくなると言いますが、私は逆でした。
また、突然理由もわからず腰痛が同時に悪化していきます。
1日中眠り続け、腰が痛く歩けないので四つん這いでトイレに行き、
1日おにぎり1個しか食べられない。
そんな状態から少しずつ回復していき、10日程で会社に復帰
3か月後にまた同じ症状に陥る…そんなことを何年も繰り返しました。
休職もせず働き続けた当時の自分を今思うと、
死なずに生きている自分が今いるのは奇跡だと思っています。

うつ病の時は、人生の大きな決断はしないほうがよい。
と専門書には書かれていますが、私は離婚を決意しました。
その後、私はうつ病が治りました。

あれから10年以上が経過し、うつ症状に悩むことはありませんが
最近気づいた事があります。
人の怒鳴り声を聞くと、普通の人より過剰にココロがざわつく自分がいます。
他人に怒鳴っていても耐えられません。
このような職場で私は働くことができない事がわかりました。
もしかしたら、うつ病の後遺症なのかもしれません。

椎間板ヘルニアは、少しずつ負荷をかけて運動していく事で
改善していき、フルマラソンを走れるようになりました。



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